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琉球王国時代、上流階級用の衣装として発展した織物の総称が首里織です。首里花織は浮織技術で花のような模様を織り出した織物で、首里織の代表といえます。首里織は、技術的には中国や近隣諸国の影響を受け、琉球の王族や士族の衣装として発展したため、格調高く洗練された印象なのが特徴です。
1983年に「首里織」の名称で、経済産業大臣指定の伝統的工芸品に指定され、以下の5種類があります。
首里花織:浮織で模様を表現。両面浮花織、緯浮花織、手花織、経浮花織の4種類。士族以上が着用しました。
首里花倉織:花織と絽織、紗織を市松状などに織ります。王家のみが着た格の高い夏衣。
首里道屯(ろーとん)織:平織地の中に部分的に糸の密度を高くして製織。士族男性の官衣。
首里絣:独特の「手結」技法で、手縞、綾の中、諸取切などの絣模様を織ります。
首里ミンサー:木綿の幅の狭い帯。緯糸を揃えて太く織る畝織と両面浮花織を組み合わせて織ります。
首里織の素材は絹を中心に木綿、麻、芭蕉布が使われ、植物染料や化学染料で染めます。
首里花織の制作には、花織模様を織り表すための仕掛け「花綜絖」を作ります。機織りのときは、地綜絖は機の足元の踏み木を踏んで操作し、花綜絖に接続した紐を機の足元にぶら下げ、紐を足で引っ張って操作します。複雑な花織模様を織る場合は花綜絖の枚数が増え、綜絖の順番を間違えずにきれいに織り上げるには手間と時間がかかります。
両面浮花織では、布の片面に経糸が浮き、多方の布面に緯糸が浮きます。糸の出方で表情が変わるので、織り上げた後でどちらを表にするか決めるといいます。
現在、沖縄県那覇市の一部である首里地区は、かつて琉球王国の王府で城下町でした。ここで多様な織り技法が生まれた背景には、外国との交流で技術がいち早く入ってくる地域であったこと、かつて島々から税として納められた布が集まったこと、首里の女性にとって織物は女性の教養として重視され、王妃や王族女性も家族などの衣類を織り、母から娘へと伝えながら技法を進化させてきたことなどがありました。特に王族だけが着た花倉織、王族・士族が着た道屯織は、首里のみで織られた特殊な花織技法でした。
明治以後、琉球王国の廃止後も、首里の女性の間では織物が伝承されていましたが、第二次世界大戦の沖縄戦で首里城下は壊滅的な被害を受けました。1922年に首里で生まれた宮平初子氏は、道屯織と花倉織の復元など、戦後の首里の織物の復興に尽力し、技法や表現の研究を重ねて、1998年に「首里の織物」で重要無形文化財保持者(人間国宝)に認定されました。2023年には祝嶺恭子氏も「首里の織物」で重要無形文化財保持者(人間国宝)に認定されました。
首里花織は上流階級の衣装として発展したことから、色柄ともに洗練された印象があります。立体感のある花織模様も華やかな雰囲気を醸します。首里花織の着物や名古屋帯は、パーティなどでの盛装や、おしゃれをしたいお出掛けなどにおすすめです。首里ミンサーは木綿の帯で、半幅帯や八寸名古屋帯があり、浴衣や紬などのカジュアルな装いによく似合います。
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