【 仕入れ担当 岡田より 】
愛する心、祈りの織物。
数ある花織の中でも、特に希少な読谷山花織のご紹介です!
複雑な浮花織のお柄が織り成された、
別格の風格を漂わせた芸術的なひと品。
いつかは花織の着物を…とお考えの方にも!
自信をもってオススメいたします。
お目に留まりましたら是非ともお見逃しなく!
【 お色柄 】
どこまでも味わい深い黒色を基調とした地色。
そこに南国の鮮やかな花々と丁寧な絣意匠が織りなされ…
見つめるほどに吸い込まれるような魅力を湛えてございます。
地色にパッと花咲く様子が、まるで夜空に咲く花火のよう。
繊細な絣の表現と、花織ならではの立体感が相まって、
生まれる洗練された面持ち。
贅沢な洒落の表情をご堪能くださいませ。
お袖を通せば、ふんわりと軽くやわらかに。
まぎれもない逸品、琉球の織物を、どうぞ大切にお召し下さいませ!
終生お手元でご愛用いただければと願いつつ、
大切にお届けさせていただきます。
【 読谷山花織について 】
1372年、琉球から初めて中国へ朝貢し琉球と中国の朝貢貿易の始まりとなりました。
その後1420年頃になると、大交易時代のなか交易品と共に、
読谷山花織のルーツとなる絣や浮織の技法も伝来しました。
伝来した技法を元に読谷山花織として独自に織られ、受け継がれてきました。
しかし、その染織技術は明治時代の中頃から時代の波に押され衰退しつつあり、
沖縄戦争後は人々の記憶からすっかり忘れ去られ、「幻の花織」となっていました。
約600年の歴史を誇る読谷山花織は、絶滅寸前となっていましたが、
1964年、人間国宝・興那嶺貞さんら情熱ある有志によって、
約90年ぶりに「幻の花織」が復活しました。
【 読谷山花織について 】
経済産業大臣指定伝統的工芸品(1976年6月2日指定)
沖縄県指定無形文化財
沖縄県中頭郡読谷村で作られている織物
明治時代の中頃から時代の波に押され一時衰退、
沖縄戦争後は一度絶滅寸前まで追い込まれたが、
1964年に読谷村の情熱ある有志によって約90年ぶりに
復活を遂げた。
織り地に先染めされた糸で、細かな点と
線による幾何学模様が織りだされている。
素材は絹糸もしくは綿糸を用い、染料は琉球藍や
福木(ふくぎ)、蘇芳などが主流。
模様を表すのに花綜絖を用いる「経浮(たてうき)花織」
「緯浮(よこうき)花織」と「手(てぃ)花織」がある。
伝統的な読谷山花織は琉球藍で染められた紺地に
赤や黄、白色などで花模様が織りだされており、
文様のそれぞれに、
『ジンバナ(銭花):お金に困らないように』、
『カジマヤー(風車):長寿の願い』、
『オージバナ(扇花):子孫繁栄の願い』
の意味を持つ、3つの文様を基本とし、それらの文様を
少しずつ崩すことで、多種多様な模様が織り込まれる。
大変手間がかかるため、琉球王朝時代には王族と読谷村の
庶民のみしか着用が許されなかった貴重な織物である。
また、読谷山ミンサーは「グーシ花織」とも呼ばれ、
綿糸を用いた細帯で、模様を表すのに紋棒又は花綜絖を
用いて織りあげられる。
表裏:絹100% (お誂え・お仕立ては手縫いです)
八掛の色:黒色
沖縄県伝統工芸品の証紙、読谷山花織事業協同組合の証紙、通産大臣指定伝統的工芸品の証紙がございます。
身丈(背より) | 153cm (適応身長158cm~148cm) (4尺0寸4分) |
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裄丈 | 69cm(1尺8寸2分) |
袖巾 | 35cm(0尺9寸2分) |
袖丈 | 49cm(1尺2寸9分) |
【裄丈のお直しについて】
概算ではございますが、以下の最長裄丈までお出しできるものと思われます。
≪最長裄丈≫ 裄丈71cm (1尺 8寸 6分) 袖巾35.5cm (9寸 3分)
詳細はお気軽にお問い合わせ下さいませ。
◆最適な着用時期 10月~翌年5月の袷頃
◆店長おすすめ着用年齢 ご年齢は問いません
◆着用シーン 音楽鑑賞、観劇、女子会、街着、ご旅行など
◆あわせる帯 お洒落袋帯、名古屋帯など
※着姿の画像はイメージ写真です。柄の出方が少々異なる場合がございます。
※仕立てあがった状態で保管されておりますので、たたみシワなどがあることがございます。この点をご了解くださいませ。
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