商品番号:1529007
(税込)
【仕入れ担当 吉岡より】
溢れる南国の香り。
古よりの豊かな自然の中で育まれた伝統の技「琉球かすり」。
今回ご紹介のお品は、琉球絣の創設者とも言われる
故・大城カメ氏から故・大城清栄氏。
そして当代の大城哲氏へと三代受け継がれた意匠を
タテ・ヨコ手紡ぎの糸を用いて織り上げた本草木染の一枚です!
弊社でも数えるほどのご紹介の希少品…次のお約束出来かねますので、
お目に留まりましたら是非お見逃しなきようお願いします。
【色・柄】
ざっくりとしつつも非常に滑らか…
琉球藍と相思樹を用いて染めた糸を織り上げた紬地は、
穏やかな灰青色の印象。
そこへ青や墨色を加えた縞模様と、
琴の駒を表現した「カシ・ガキチャー」を込めた伝承模様を織り成しました。
タテ・ヨコ手紡ぎの糸を用いた、しなやかな風合い…
それ故に感じられる手作りの良さ。
織物好きの方にも自信をもっておすすめ致します!
【商品の状態】
中古品として仕入れて参りましたが良好です。
お手元に届いてすぐにお召しいただける状態でございます。
保管の際のたたみ皺がございますので、お届け前にプレス加工をサービス致します。
お届けまで1週間ほど頂きます。
【大城織物工場について】
大城織物工場は、1879年大城ウシにより沖縄本島南部南風原に設立。
当時の織物は、自分たちの普段着を作る以外わずかな現金を得るための「兼業」。
1919年、3代目の大城清助が初めて織物を「専業」とし生活の糧にした。
その後の太平洋戦争(沖縄戦)で、家財や織物の道具はすべて焼失。
一面の焼け野原となり、唯一残ったのは「技術」だけであった。
5代目の大城哲(さとる)氏が「琉球絣」を受け継いでいる。
大城哲氏は1990年、父である4代目大城清栄の他界を期に、
27歳の若さで家督を継ぎ、初めて織物の世界へ足を踏み入れる。
当代・大城哲氏の祖母、大城カメは3代目・大城清助の妻、
大城カメ氏は『琉球絣』と言えば、この人といわれるほど有名な人物で、
山口 百恵さんの「赤い」シリーズの、沖縄で機を織る場面があり、
その指導にあたったのもカメさんです。
彼女は常に新しい琉球絣の制作に力をそそぎ、『卓越技能賞(現代の名工)』、
『勲六等瑞宝章』等、数々の賞を受賞している。
残念ながら平成7年に80年の生涯を終え他界したが、
今でも『カメさんの琉球絣』は高い評価を受けています。
昭和10年に日本工芸会正会員に認定。
4代目大城清栄氏、5代目の大城哲氏ともに日本工芸会正会員に認定。
【 琉球かすりについて 】
経済産業大臣指定伝統的工芸品(1983年4月27日指定)
生産地:沖縄県南風原町
生産数は年間3000反以上(帯含む)
※伝統的工芸品に指定されている
織物の中ではトップクラスの生産反数を誇る。
主に絹糸を使用した平織の織物で、糸の染色には
草木を原料とした染料のほか化学染料等が用いられる。
元々は泥藍で染めた木綿絣が原点で、現在では絹糸が
主流となり、生糸、玉糸、真綿のつむぎ糸、麻糸から
毛糸といった様々な糸が用いられている。
特に特殊な撚りをかけた壁糸を使うカベ上布は夏物の定番。
図案は琉球王府の御絵図帳(みえずちょう)に収蔵されており、
古くは手形(発注書のようなもの)の形で添付され
製織されていた。
植物、動物、生活用品などがモチーフで、ひとつひとつの
図柄に意味を持ち、種類は600種にもおよぶ。
表裏:絹100% (縫製:手縫い)
八掛の色:水浅葱色(無地)
身丈(背より) | 154cm (適応身長159cm~149cm) (4尺0寸7分) |
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裄丈 | 68cm(1尺8寸0分) |
袖巾 | 34cm(0尺9寸0分) |
袖丈 | 49cm(1尺2寸9分) |
前巾 | 24.5cm(6寸5分) |
後巾 | 30cm(7寸9分) |
【裄丈のお直しについて】
概算ではございますが、以下の最長裄丈までお出しできるものと思われます。
≪最長裄丈≫ 裄丈69cm(1尺8寸2分) 袖巾34.5cm(9寸1分)
※目視での縫込みの確認による概算となります。詳細はお気軽にお問い合わせ下さいませ。
◆最適な着用時期 10月~翌年5月の袷頃
◆店長おすすめ着用年齢 ご着用年齢は問いません
◆着用シーン 音楽鑑賞、観劇、お食事、お出かけ、趣味のお集まりなど
◆あわせる帯 洒落袋帯、名古屋帯、半巾帯など
※着姿の画像はイメージ写真です。柄の出方が少々異なる場合がございます。
※仕立てあがった状態で保管されておりますので、たたみシワなどがあることがございます。この点をご了解くださいませ。
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