商品番号:1549741
(税込)
【仕入担当 竹中より】
通に圧倒的支持を集める誉田屋(こんだや)の帯。
一本一本を丁寧に創作していらっしゃいますため、普通でも手に入りにくいお品です。
リサイクルならではの一期一会
ぜひこの機会をお見逃しなく!
【商品の状態】
中古品として仕入れてまいりましたが、大切に保存されていたのでしょう、
美品でございます!お手元で現品を確認の上、お値打ちに御召くださいませ!
【お色柄】
神々しい輝きを放つ金糸使いは誉田屋ならではの迫力。
お柄も有職文様を基調とし格式ある着姿を印象的に着こなしていただけます。
金・銀糸を惜しげもなくふんだんに用いたこちらの御品…
帯地は藤色の箔糸でエレガントに。
神々しく清雅な銀・シャンパンゴールドの金糸にて表現された、
葡萄蔦に唐花の模様。
一見してその迫力は他のどのような帯にもない風格と重厚さを漂わせており、
誉田屋源兵衛さんの帯の数々を見てきた中でもひとクラスもふたクラスも上。
この風格…是非最高級な留袖、訪問着、色無地に合わせていただきたく思います。
そしてまた裏面も寿の文字がずらりと並べられています
京都室町に270年以上続く一流の老舗の創作品。
審美眼に優れた着物上級者やプロに愛好家の多い誉田屋の帯。
まさに、『これが誉田屋のセンス!』といわんばかりの、通好みの洗練された面持ち。
終生お手元でご愛用いただければと願いつつ、
大切にお届けさせていただきます。
【 誉田屋源兵衛について 】
1738年(元文年間)創業
京都室町の帯の製造販売の老舗。
現在は十代目である山口源兵衛が、代々受け継がれてきた
技術とともに革新の精神を持って意匠、配色、素材、
一切の妥協を許さず、洗練された帯を作り続けている。
【 沿革 】
1738年 初代矢代庄五郎により、南矢代誉田屋創業、
西陣大火災後の復興に尽力。
1868年 6代目矢代庄五郎より、京都松尾出身の
山口源兵衛が7代目を継承。初代誉田屋源兵衛を名乗る。
西陣帯地大元卸商として「横綱」の称号を得る。
1917年 7代目誉田屋源兵衛没、8代目誉田屋源兵衛襲名、継承。
1933年 8代目誉田屋源兵衛没。9代目誉田屋源兵衛襲名、継承。
1981年 9代目誉田屋源兵衛没、現10代目誉田屋源兵衛襲名、継承。
後、帯作りに専念。
1985年 全国の原始布を素材として個展を開催。
以後、インド、東南アジアの野蚕糸を帯に用いる。
1994年 京都六条の江戸末期の町屋にて創業260周年展。
1999年 「京都誉田屋源兵衛帯ときもの展」開催。
2000年 「誉田屋源兵衛 織りの帯展」開催。
2002年 小石丸企画に対して日経MJ賞受賞。
日本の原種の繭である小石丸の復活と継続、
日本の染色技術の活性化に努める。
2003年 日本文化デザイン大賞受賞。
【 西陣織について 】
経済産業大臣指定伝統的工芸品(1976年2月26日指定)
多品種少量生産が特徴の京都(西陣)で
生産される先染の紋織物の総称。
起源は5〜6世紀にかけて豪族の秦氏が
行っていた養蚕と織物とされ、応仁の乱を期に
大きく発展した。
18世紀初頭の元禄~享保年間に
最盛期を迎えたが、享保15年(1730年)の
大火により職人が離散し大きく衰退。
明治期になりフランスのリヨンよりジャカード織機を
導入した事でこれまで使用されてきた空引機
(高機)では出来なかった幾多の織物が
産み出され量産が可能となった。
織機はおもに綴機、手機、力織機の3種類で
企画・図案から意匠紋紙、糸染、整経、綜絖、
金銀糸、絣加工等多くの工程があり、これらの
一つひとつの工程で熟練した技術者が丹念に
作業を行っている。
西陣織には手の爪をノコギリの歯のように
ギザギザに削って図柄を見ながら織り上げる
「爪掻本綴織」、「経錦(たてにしき)」、
「緯錦(ぬきにしき)」、「緞子(どんす)」、
「朱珍(しゅちん)」、「紹巴(しょうは)」
「風通(ふうつう)」、「綟り織(もじりおり)」、
「本しぼ織」、「ビロード」、「絣織」、「紬」など、
国に指定されているだけでも12種類の品種がある。
「西陣」および「西陣織」は西陣織工業組合の登録商標である。
絹100%(金属糸風繊維を除く)長さ約4.58m
耳の縫製:かがり縫い
お柄付け:六通柄
◆最適な着用時期 10月~翌年5月の袷頃
◆店長おすすめ着用年齢 ご着用年齢は問いません
◆着用シーン 結婚式・披露宴へのご参列、式典、初釜、パーティー、ご挨拶、
ご入卒・七五三のお付き添い、音楽鑑賞、観劇など
◆あわせる着物 留袖、訪問着、付け下げ、紋付き色無地
※仕立て上がった状態で保管されておりましたので、折りたたみシワが付いております。この点をご了解くださいませ。
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