着物・和・京都に関する情報ならきものと

春を告げる花たち 〜小説の中の着物〜 植松三十里『梅と水仙』「徒然雨夜話ーつれづれ、あめのよばなしー」第五十四夜

春を告げる花たち 〜小説の中の着物〜 植松三十里『梅と水仙』「徒然雨夜話ーつれづれ、あめのよばなしー」第五十四夜

記事を共有する

小説を読んでいて、自然と脳裏にその映像が浮かぶような描写に触れると、登場人物がよりリアルな肉付きを持って存在し、生き生きと動き出す。今宵の一冊は、植松三十里著『梅と水仙』。明治4(1871)年師走、横浜から出港しアメリカに渡った日本初の女子留学生5人のうち、最年少であったわずか6歳の梅。送り出した父・仙と、後に日本の女子教育改革の祖となる津田梅子の、自らの道を見出し実現に向けて動き出すまでの葛藤に満ちた日々。理想と現実の狭間で足掻くその姿は、厳しい風雪に耐え、百花に先駆けて咲く梅と水仙の如く―――雪上にこぼれる、ほのかな香りのような余韻を残す物語。

2025.12.24

コーディネート

松と雪の情景 〜小説の中の着物〜 白蔵盈太『あの日、松の廊下で』「徒然雨夜話ーつれづれ、あめのよばなしー」第五十三夜

今宵の一冊
『梅と水仙』

植松三十里『梅と水仙』/PHP

植松三十里『梅と水仙』/PHP

 横浜は関内の宿屋を出ると、外は今にも雪が降り出しそうだった。灰色の雲が低く垂れ込め、冷たい海風が吹きつける。
 明治四年(一八七一)十一月十二日、梅は父に手を引かれて、集合場所の横浜裁判所に向かった。
 豪華な刺繍の振袖が重く、高々と結い上げられた稚児髷ちごまげが気になって仕方ない。これから、どこに行くのかも不安でたまらない。ただ父の大きい手だけが、唯一の心のより所だ。
 前後には留学仲間になる少女たちが、やはり振袖姿で、それぞれの父親とともに歩いている。梅を含めて五人だが、ほかの四人が大人びて見えて、つい怖気おじけづきそうになる。
 道行く人が、衣装の豪華さに立ち止まり、目を丸くして見入る。それも恥ずかしくて嫌だった。

〜中略〜

 父親たちが寄り集まって談笑を始めると、梅の隣に腰掛けた少女が、屈託なく声をかけてきた。
「あなた、ずいぶん小さいけど、いったい、いくつなの?」
「八つ」

 植松三十里『梅と水仙』/PHP

今宵の一冊は、植松三十里『梅と水仙』。

昨年刷新された新紙幣、その五千円札の肖像画に選ばれた津田梅子(本作中では、初名の梅)は、現代の津田塾大学の前身である女子英学塾を開校し、日本の女子教育改革の先駆者として知られた女性。

本作はそんな偉大な女性の前半生ー自らが進むべき“道”と、その実現方法を見出すまでの葛藤の日々ーと、幼い梅を異国へ送り出した父・仙との関係を主眼として描かれた物語です。

わずか数えの8歳(実際には6歳と1ヶ月)でしかなかった梅が、日本初の女子留学生として、政府派遣の欧米視察の一行「岩倉使節団」とともに父母の元を離れアメリカに向けて旅立ったのは、現代で言えばちょうど今頃、12月末のこと(抜粋部分で描写された明治4年11月12日はまだ旧暦。この約1年後の明治5年11月9日に新暦の採用が発表され、直後の12月3日が明治6年1月1日となりました)。

幕臣であった仙はオランダ語や英語、洋学や砲術を学び、福沢諭吉などとともに、幕府の使節団の通訳として随行するなどの経験を積み、先進的な思想や実際的な学問を身に付けていきます。それらを土台に、幕府瓦解の後も、その大きな社会の変化に翻弄されながらもさまざまな新事業にチャレンジし、近代農業の確立や人材育成のための学校創設(青山学院他数校)などに生涯力を尽くしました。

肉体的にも西洋に近づけるには食べるものが大事だと西洋式の農場を作り、自らも農業に従事すると同時にそれを学ぶための農学校を作ったり、アスパラガスの缶詰製造やアメリカ産トウモロコシの日本初の通信販売を手掛けたり。なかなかに面白いエピソードが満載のエネルギッシュな人物ですが、だからこその浮き沈みも大きく、家族はそれに翻弄され大変な思いをしたようです。梅のアメリカ留学も、すべてはこの父だったからこそ……という気がしますよね。

「良い縁談に恵まれるのが女の幸せ」

それが当然で、すべてであった時代。

そんな時代に6歳の幼い娘を異国に送り出す父と、そして「父が喜んでくれる」という思いだけで海を渡り、11年という長い留学期間を過ごして帰国した娘。

英語の習得と引き換えに(当然ながら)日本語を綺麗に忘れ、日本の文化や風習を知ることなく成長した梅が、17歳という最も多感で難しい(理想を頑なに追い求め、妥協や大人の分別などは到底無理な)お年頃に身分制度も男尊女卑も旧態依然とした日本に戻ってきたのだから、その後の苦労は想像に難くない。

次女として梅が生まれたときには「また女か」と嘆き名付けすら放棄した仙であったけれど、いつしか「これからは女の生き方も変わる。娘をその先駆者に」という思いを抱き梅を留学させる。しかし、果たして本当にそれが良かったのか。
 
 
ごく普通の娘の幸せを歩ませた方が良かったのではないか―――
 
 
楽しいことばかりではない、幼い身で慣れない異国の環境の中必死で戦って勉学に励みようやく帰ってきたのに、それを活かす道をなかなか見つけてやれず、理想と現実の間で日々悶々とする娘の姿に心痛める父。

後の梅を彩る“女子教育改革の先駆者”という肩書きからは、完璧で偉大な女性というか……ちょっと近寄り難いものを感じてしまいますが、この物語で描かれた、自己肯定感が低く、頑なと言っても良いほど生真面目で、理想と現実の間でもがく若き梅の姿はとても人間くさく親近感を抱かせます。

きっと後年の梅にとって、必要な回り道だったのでしょう。

梅と水仙―――どちらも、厳しい風雪に耐え、百花に先駆けて咲く花。

雪上にこぼれた、そのほのかな香りを感じるような物語です。

今宵の一冊より
〜梅と水仙・子持ち縞〜

冒頭の抜粋部分では、このとき着ていた“振袖”の色柄については触れられていませんが、津田塾大学に現在も保管されている、渡航時の梅が実際に着ていたとされる着物は、江戸解紋様の刺繍が施された朱色の小袖。

使節団の長である岩倉具視の公家装束より、5人の娘たちの振袖姿がちやほやされたのは当然でもあったでしょうが、ある種それを狙って(言葉はとても悪いけれど、マスコット的な感覚で)同行させたのも事実だったのではないかと思います。

もちろん、それだけで終わらせることがなかった5人それぞれの忍耐と努力、その後の生き方には、ただ感嘆するしかありません。

太い線を親に、細い線を子になぞらえた“子持ち縞”。子孫繁栄を意味し、婚礼衣裳や調度品などにも用いられました。

出港の際の振袖を思わせる朱系の地色に、太い線の両側に細い線が沿う“子持ち縞(両子持ち縞、孝行縞とも)”が染められた江戸小紋。

緩やかで素朴なタッチで南蛮船が描かれた帯を合わせ、梅の小花が散らされた小紋を羽織にしたら、軽やかな新春の装いに。

小物:スタイリスト私物

小物:スタイリスト私物

衿元には、梅と水仙の刺繍半衿をたっぷり見せて。

縞の色である濃紫の帯揚げで胸元を引き締めたら、ぐっと落ち着いた雰囲気に。

小物:スタイリスト私物

小物:スタイリスト私物

逆手側の小舟を出すなら、明るめの蜜柑色の帯揚げにぽってりとした瓢の象牙の帯留を添えて。

なんだか鏡餅みたいな組み合わせに見えてきたので、お正月にちょうど良いかも。

逆手側の小舟

小物:スタイリスト私物

ちょうど今放映されている朝ドラで半衿をたっぷり見せた着方が注目されていましたが、本作の梅が生きたのもほぼ同時代。

五千円札の肖像画もそうですが、ネットや書籍で見ることができる他の写真を見ても、やはりたっぷりと半衿を見せた着方をしています。同時代の写真を見ると皆似たような着方をしていますから、これはこの時代の、ある程度以上の経済状態の家庭においては一般的な着方であったと言えるでしょう。

帯締めが異常に低い(現代の感覚からすると)のも、この頃の特徴のひとつ。というのも、帯締めの役割としてはとりあえず帯が留まっていればよかったので、別に帯幅の真ん中である必要はなかったし、そこはある意味“重要ではなかった”んですよね。後に、飾りとしての役割も大きくなり、また着付教室などで着方が統一されていくにつれて美意識も変化し、その位置が重要とされるようになっていったのです。

半衿の量も同じで、その第一の役割は着物を汚さないこと。だから、着物が肌から遠ざかるように半衿の幅をたっぷり取る。それと同時に、身持ちが堅くきちんとして見えるよう、きっちり衿を詰めて着れば、自動的により半衿の見える部分が広くなるわけです。

当時の女性は現代人とは体型がまったく違い、肩幅がないため、肩先の角がなくすとんと落ちた(いわゆる“姉様人形”みたいな)シルエットなので、広く幅を出した半衿もそれほど違和感がないのですが、現代人の体型でそれをすると衿合わせのバランスがちょっと不思議な感じになるので、見慣れないことと相まって、違和感がいっそう増して見えるのかもしれません。

今宵の一冊より
〜振袖・梅〜

「津田さん」
 振り向くと、伊藤博文だった。取り巻きが多い中で、わざわざ仙に声をかけてきたのだ。梅の話に違いなく、この辺りの気配りには、抜かりない男だ。
 伊藤は人混みの先を目で示した。
「お嬢さんには、さっそく家内と娘が世話になっていますよ」
 そこでは伊藤夫人の梅子と、娘の生子いくこが西洋人の男女に挨拶していた。背後に梅が立って通訳をしている。
 伊藤が声を低めた。
「日本の女たちはドレスを着こなすには、まるで姿勢が駄目だ。それを、お嬢さんは、うちの妻や娘に教えてくれている」
 そう言われてみると、梅は話しながら、生子の背中に何度も手をあてがう。背中が丸くなりがちなのを正しているらしい。
 生子が顎を引いて背筋を伸ばす。するとドレスの違和感が少し消える。日本女性にドレスが似合わないのは、どうやら体型の問題だけではなく、姿勢のせいもあるらしい。

植松三十里『梅と水仙』/PHP

梅が自分にできることは何かと模索する中で、伊藤博文の屋敷に住み込み、伊藤夫人と娘に洋式のマナーや英語を教える、いわば家庭教師を務めていたときの、印象的なシーンです。

ここでは姿勢が悪いからドレスが似合わない……と描写されていますが、現代においては、これは着物でも同じ。重心の位置が変わるだけで、着物姿でも姿勢は大事です。

リアルなこの時代であれば、まず洋服をまったく着たことがないところから始まっているのでこの描写が間違ってるわけではないのですが、現代においては、体型ももうある程度は洋服寄りになってきているし、すでに洋服を着慣れた身体になってしまっている(着物に慣れてない人の方が多数)。

なので、この時代とは逆と言えるかもしれませんね。普段の洋服の感覚でいる方が猫背っぽい人が多い気がするので。この時代の着方のように、衿元がゆったりとしてふわっと合わせた着方なら、少し猫背でも着崩れた感じがあまりしないのですが、現代のように襦袢も着物も衿元を詰め気味でゆとりなく着る場合は、猫背だとすぐに衿が浮いて着崩れてしまいます。

左右の肩甲骨を背中心に寄せるような気分で両肩を後ろに小さく回して軽く胸を張り、顎を引く。おへその下にある丹田に力を入れ(下腹は突き出さない)、頭のてっぺんを糸で吊られているような感覚で、踵ではなく足裏の拇指球ぼしきゅう(親指の下にあるふくらみ)で立つイメージ。その姿勢が保てると、衿元の着崩れも少なくなりますし、写真を撮られたときの姿勢も綺麗なので、お時間のあるときに試してみてください。

艶やかな黒鳶色の紋意匠地に、金彩と絞りで松竹梅と大きな扇面があしらわれた振袖。抑えた色遣いながら、大胆な柄と金、そして紅の色が映え、とても華やか。

光琳流水と石畳文が織り出された金地の袋帯を合わせ、深い紅の帯締めを効かせたコーディネートで、新年を寿ぐ装いに。

外国の方が集うパーティーなどでも喜ばれそう。

あえて抑えた色遣いで帯周りをすっきりとまとめる

小物:スタイリスト私物

衿元には、松と南天、源氏香があしらわれた刺繍半衿。刺繍の立体感と、単純な白ではない、黄みを帯びたシャンパンゴールドのようなニュアンスのある色が、着物の色合いとも相まって顔周りにふっくらと豊かな厚みを持たせてくれます。

胸元をきりっと引き締めつつ華やぎを添えるのは、雪が降りかかるような金銀を散らした縮緬の帯揚げ。

あえて抑えた色遣いで帯周りをすっきりとまとめることで、着物と帯の柄がいっそう際立ちます。

今宵の一冊より
〜振袖・好文木〜

未婚女性の正礼装である振袖。

振袖を着る機会というと、まず思い浮かぶのは年明けに控えている成人式。そしてお友だちの結婚式や初釜など新春の行事、それ以外だと、(そう多くはないでしょうが)園遊会、結納や食事会など結婚にまつわるお祝いごと……と言ったところでしょうか。

本作でも鹿鳴館でのシーンが描かれていますが、外国の方と接する場ではドレスに負けない存在感を発揮しますし、会話の糸口にもなるため、海外の劇場でオペラを鑑賞するとか、華やかにドレスアップして出席する必要のあるパーティーなどで振袖を着たら喜ばれたという声も耳にします。

中には、既婚者だけれど海外ではそこは気にせずドレスとして着るという方もいらっしゃいますね。同席者や関係者に迷惑を及ぼすシチュエーションでなければ、それぞれの美意識に従って、あまり固定概念にとらわれ過ぎずに楽しむのも素敵ではないでしょうか。

2025.07.28

エッセイ

大人が振袖を楽しむ方法 「きくちいまが、今考えるきもののこと」vol.94

柔らかな乳白の地に、梅が実際に着ていた小袖のような朱系の色遣いで描かれたのは、松竹梅や季節の植物があしらわれた文箱。その周囲の雲取りの中には、流水や青海波など水にまつわる文様が主に描かれており、どこか、幼く、知識なども真まっ新さらな状態で海を渡った梅を思わせます。

さまざまな字体の“寿”の文字が織り出された、百寿文の袋帯を合わせて。

ちなみに…

“梅”の、いくつかある異名のひとつ“好文木こうぶんぼく”。生まれた朝、ちょうど花開いた白梅から母の初はつにより名付けられたその名前は、これ以上はないというほどに彼女自身を表すものとなりました。

黒鳶色の紋意匠地に金彩と絞りの振袖

小物:スタイリスト私物

ニュアンスのある配色で、“寿”の文字が織り出された唐織の袋帯に添えたのは、“自立・独立”の意味のある独楽の帯留。

松竹梅の刺繍半襟、梅絞りを散らした帯揚げ、宝尽くしの扇子……と、めでたさを盛り上げる小物を散らし、新春の装いにも。

この振袖は白地なので、さすがにお友だちの結婚式に参列……というわけにはいきませんが、成人式の装いとして、また学問を納めた喜びを込めて、卒業式などにも素敵だと思います。

季節のコーディネート
〜新春の風景〜

ところどころにあしらわれた金彩が、まるで朝日に煌めく水面のような。

穏やかな波の向こうに浮かぶ景色は、満開の白梅と富士山(齢6歳で故郷を離れた梅は、そんな景色を記憶してはいなかったかもしれないけれど)。

日本の象徴とも言えるおめでたい景色を背に、お正月ならではの着こなしを楽しむのはいかがでしょう。

珊瑚の帯留、天紅の扇子。

小物:スタイリスト私物

珊瑚の帯留、天紅の扇子。

墨絵のような無彩色の世界観に、ぽつりと紅を。

きりっとした表情が愛嬌のある、龍頭の宝船。

小物:スタイリスト私物

きりっとした表情が愛嬌のある、龍頭の宝船。柔らかな珊瑚の色合いが、ワントーンの装いにほんのり少しの甘さを添えて。

季節のコーディネート
〜梅と水仙・紅型〜

お正月だからこそ、普段はあまり手を通さない色鮮やかな着物に手を通してみようかな。そんな気分になることもあるのでは?

水仙の丸と松竹梅が染められた紅型の小紋。黄水仙のような鮮やかな地色が新鮮な印象です。

異国情緒あふれる染めの代表格である紅型に合わせたのは、先程子持ち縞に合わせた南蛮船の名古屋帯。

銀通しの紬地に、絵本のような素朴な筆遣いで描かれた南蛮船。紅型の強さを程よく緩やかに受け止めて、長閑な風景を描き出します。

白に水色の輪出し帯揚げに、銀細工の光琳梅を添えて

小物:スタイリスト私物

白に水色の輪出し帯揚げに、銀細工の光琳梅をころりと添え、紅型の染めに小さく使われた綺麗な青紫の二分紐で引き締めて。

白地の帯揚げは、色柄の多い着物のコーディネートに、清潔感と凛とした気配、そして程良い抜け感を同時に添えてくれるので重宝します。

隙なく埋め尽くされているようで、水仙の丸の中に残された白が帯揚げとの呼応によって引き立ち、これもまた抜け感を感じさせる要素のひとつに。

 初は小さな溜息をついた。
「だから梅は、できるだけ目立つことは避けているんです。まして独り者だから、何かと誤解を受けやすいし、身持ちが堅く見えるように、和服の襟合わせを詰め気味にして、きっちりと着るんですよ」
 かつて梅が帰国して間もない頃、仙は、こう言って聞かせたことがあった。
 ―――おまえは今後、身を律して、自分の使命をまっとうせよ―――
 その教えを、梅は律儀に守っているのだ。

〜中略〜

 女性が思う存分に働くには、社会が成熟しなければならない。そうなるまでに今後、どれほどの年月がかかるか計り知れない。でも前に進まなければ、改まることもない。
 仙には種を蒔いたという自負はある。ふいに独り言が口から出た。
「いや種ではなく、梅の苗木を一本、大地に植えただけかもしれんな」

 植松三十里『梅と水仙』/PHP

仙がこう呟いたこの時代から100年以上が経つけれど、果たして現代は“成熟した社会”と言えるのだろうか。いや、たぶん、まだまだ途中……なのでしょうね。

現代を生きる私たちは、梅をはじめとする先駆者たちのおかげで、当時とは比較にならないほどの恩恵を受けて自由に生きさせてもらってはいるけれど。

だからこそ、その成熟が決して退行することのないように。

現状に甘んじることなく、わずかでも成熟を進めた、そして深めた社会を、次の世代に渡さなければならないなと思います。

シェア

BACK NUMBERバックナンバー

LATEST最新記事

すべての記事

RANKINGランキング

  • デイリー
  • ウィークリー
  • マンスリー

HOT KEYWORDS急上昇キーワード

記事を共有する