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自由の象徴、アルマーニブラックの帯 ~夢訪庵・桝蔵順彦氏の世界~ 「帯に宿る、わたしだけの物語」vol.5

自由の象徴、アルマーニブラックの帯 ~夢訪庵・桝蔵順彦氏の世界~ 「帯に宿る、わたしだけの物語」vol.5

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草木染と手機(てばた)という日本古来の技術を使いながらも、立ち止まることなくさまざまな織組織と図案を発表し続ける『夢訪庵(むほうあん)』。無限に広がる「帯とわたし」の物語をお届けします。

2023.02.13

よみもの

音楽ときもの。私が持っている笑顔の作り方 ~夢訪庵・桝蔵順彦氏の世界~ 「帯に宿る、わたしだけの物語」vol.4

『道明』を売る桝蔵さん

あれはコロナが流行り出す直前だったから、4年前かな。

銀座の百貨店で開催していたきものの催事会場へ行った時のこと。
『道明』が並ぶと聞いていたので、『家庭画報特選 きものSalon』のブースに向かいました。

この日は昭和を代表する浦野理一さんの帯を、令和らしい装いにするための帯締め選びが目的でした。

百貨店の催事会場に並ぶ「道明」の帯締め

百貨店の催事会場に並ぶ『道明』の帯締め

「いらっしゃいませ、こんにちは〜」

眼鏡をかけた笑顔の男性に、西のイントネーションで話しかけられました。

その店員さんは、黒いお盆に、私が気に入った帯締めをぽんぽんと景気よく乗せて見せてくれました。

「どうぞどうぞ、お持ちになった帯と好きなだけ合わせてくださいね」

トークはおもしろいし、提案してくるセンスもよし!気持ちのいい接客をしてもらい、さすが道明さん!と思っていたら……

接客の主は道明の方ではなく、夢訪庵の桝蔵順彦さん。

事実を知った私は大爆笑。よそさまの品物なのに、なんでこんなに熱心に相談に乗れるの!?

それから判明したことは、帯の作家さんであること、そしてこの日はご自身の作品を展示しているからこの場にいた、ということ。

冗談を言ったかと思えば、熱を帯びた瞳で帯の柄や染料の説明をしてくれました。

「家庭画報特選 きものSalon」コーナー

そんな会話の合間にあらためて展示の作品を眺めると、すぐさま私の目に飛び込んできた帯がありました。

それは、紺地に唐草模様が描かれたモダンな帯。ヨーロッパの雰囲気さえも感じます。

これ、絵画みたい……

「夢訪庵」「九寸名古屋帯 欧風唐草葉紋」

作品から目が離せなくなりました。近づいてよく見ると、先ほど感じた地色の紺からは、なぜか艶っぽく上品なピンク色の気配も感じます。

さらに違う角度から見ると、先ほどの甘い雰囲気は潜み、漆黒のクールな輝きが宿っていました。

あれ、ネイビーだよね。え、ブラックなの?

「桝蔵さん。この帯、一体何色ですか?」

すると、

「はい、これは僕が勝手にアルマーニブラックと呼んでいます」

「確かに……。アルマーニっぽい」

黒タグのアルマーニに憧れた世代にとっては、グッとくるキラーワードです。

優雅だけれどダイナミックに、美しい曲線を描く唐草の模様。角度や光によって異なる表情を見せる妖艶なネイビーブラック……ファッション感覚の柄と色調がとてもモダンで、「自由の象徴」のように感じました。

今のわたしにぴったりじゃない。

これが私のファースト夢訪庵です。

茨田香里さん

茨田香里さん。シックな装いにピーコックブルーの帯揚げをアクセントにして

紹介が遅れました。

茨田香里(バラダカオリ)と申します。

職業は社会保険労務士。社労保険労務士事務所KLUG(クルーク)の代表取締役を務めています。クライアント先や役所へ出向き、人事労務の相談やコンサルティング、書類作成などが主な業務です。

一方、プライベートでは茶道やきもの教室などを楽しんでいます。

桝蔵さんと出会ったのは、きもの教室に通い始め、しばらく経ち、自分の好みが見えてきて、きものの楽しさや奥深さに気づきはじめたころでした。

足を踏み入れたら手ぶらでは脱出できないと思っていた呉服売場に、一人でもずんずん冒険できるようになったタイミングで出会えたアルマーニブラックの帯、そして桝蔵さん。この時期に出会えたことは、きもの業界の常套句“ご縁”ってヤツですかね……

産後間もなくして離婚し、暗黒時代を過ごしていた自分に、まさか自分の趣味を楽しむ時間が訪れるなんて、夢にも思いませんでした。

大学卒業後、結婚&出産、離婚

ここで少し私を振り返らせていただきますと……

中学から大学までを都内の私立女子一貫校で過ごしました。

時代はバブル期、もちろん私も勘違い。

知人が営む企業で楽なアルバイトをし、卒業後はそのまま就職。そこで出会った彼と25歳で結婚します。結局、会社は一年で退職して専業主婦へ。そして妊娠&出産。ここまでは、昭和40年代生まれのモデルケースです。

帯締めは馴染ませながらも

帯締めは馴染ませながらも、少しだけ主張のあるデザインを

しかしながら、ここからが私の人生トラップ劇場、幕開けです。

産後間も無く、離婚!

夫婦関係が煮詰まってくると、「なんで私だけ?」という自己中心的な思考に陥りました。

乳幼児がお昼寝タイムになると、世間のママにとっては休息のひととき。でも私は何かに没頭したくて、その時間を使い、空虚感を埋めるが如く、資格取得の勉強をはじめました。

約6か月で宅地建物取引主任者(当時)の資格を取得した私は、怪我の功名と言うのか、学ぶことの楽しさに気が付いてしまいました。勉強ってすべての成果が自分に戻ってくるのです。

「こんなに達成感のある、リセールバリューの良いことって、そうそうないのでは??」

資格取得の勉強は、当時の私の心のバランスを整えてくれたのです。

そして、29歳で離婚。YUSUKEが1歳半でした。

就職活動さえしたことない私。特にキャリアもありません。

これまで働くという選択肢がなかった私は完全に社会不適応者(笑)。しかし、子どもを育て上げ、社会に送り出さなくてはなりません。

どうするわたし。

何からはじめてよいのやら。

……結婚しなければよかったのかな。でもそのおかげで息子のYUSUKEが生まれたのよね。

アンビバレントな感情が渦巻きます。

とにかく目の前で眠っている、日本語らしき言葉を発する小さな謎の物体を「何不自由なく」育てなくてはなりません。

壮大なミッションを背負いました!

茨田香里さん。和装では特にヘアスタイルが大切と言います

親しい知人に、これからの私について相談すると、

「社会保険労務士に向いてるよ」

と、勧められました。当時、社会的認知度が低かった社会保険労務士という職業。私も実際に何をするのかわかりませんでした。

職名から推測すると社会に関わりのある仕事っぽいな。これから子どもを育てるにあたって、社会のシステムや労働市場のトレンドを知るには良いかもしれない……それに母子家庭支援のこともいち早くわかるかも。おまけに国家資格!

国家資格は私という人間を国が身分保証してくれるひとつのアイテムだと思ったのです。なにもキャリアのない私にとって、大きな看板になるのでは!?と思いました。私、パパとママの合体した「パマ」になったわけだし。

とりあえず取ってみるか!

ママとパパの合体進化系「パマ」

それからは猛勉強の日々。

確かに社会システムを知るには良い資格でありましたが、これまで取得していた資格試験をはるかに超えた試験範囲の量でした。

結局2年半かかり、3度目の試験でようやく合格。達成感、そして開放感! お腹いっぱい勉強しました!

「最近のママ、本持ってないね」

YUSUKEが言いました。

彼が物心付くころから、私は携帯電話以上に参考書を常に持ち歩いていました。子どもの洞察力は侮れないと感じたひとことでした。

私の姿は彼の目にはどう映っていたのでしょう。参考書に嫉妬を感じていなかったらいいのだけれどと、願うばかりです。

社会保険労務士資格を取得したおかげで、無事、社会保険労務士事務所に就職。YUSUKEを私立の小学校に入学させることができました。

これで立派なシングルキャリア「パマ」。安泰だわと思いきや、とんでもない!当時は今よりも女性の社会進出が進んでおらず、子育てと仕事を両立していく支援は今よりも乏しい社会環境でした。しかも母子家庭……

ランチやお茶などの予定が詰まったキラキラ輝く私学ママとはほど遠く、毎日「自分が死んだら、YUSUKEの将来はどうなるんだろう……」ということばかりを考えていました。

軽くて温かいカシミアのカーディガンは今年新調したばかり

私が死んでも、ちゃんとYUSUKEの居場所だけは作っておかなくては。

今かわいがる、目をかけるよりも、将来の安定が最優先事項。この子が一人になっても大丈夫なように。自分の育ってきたような環境で育てたいの。私が離婚まで不自由のない生活を送ってきたから、より一層その気持ちが強かったのでしょうね。

隣を歩く、小さな手が私に差し出されたことすら、気づいていなかったかもしれません。常に心配と不安と恐怖と焦りに怯えていたように思います。

はきものは「祇園 ない藤」がお気に入り

そしてYUSUKEは大阪の私立中学校へ。12歳から親元を離れ、寮生活になりました。

まわりからは鬼母だという声も聞こえてきました。

息子を中学から寮に入れるなんて、自分が遊びたいからだろうとか、子育てをしたくないからだろうとか。

YUSUKEが邪魔だから寮に入れたんだろう、って。

まあいろいろと言われていました。
でもね。

YUSUKEはお友達、学校や寮の先生方に囲まれて、小さき社会で一生懸命に学んで全力で遊べばいい。

私は自分に万が一のことがあって、YUSUKEが一人になったとしても、周囲に負担をかけない環境を整えよう。そのために仕事をして我が子を育てよう。

お互い与えられている役割を全うしよう!

きもの業界で例えるなら、京友禅(=分業制)ってところでしょうか。

それに。
私が居なくなっても、一緒に暮らしていなければ、あの子には居場所があり、そばにいてくれる人がいて寂しくないかもしれない……

そうそう、 別々に暮らして寂しくないの?ともよく聞かれました。全然へーき!

「離れていても親子は親子ですから」とお答えしながら、

(逆に離れると寂しいから一緒にいる親子関係ってどうなのよ)

と不思議に思っていました。

YUSUKEも同じような質問をされていたことがありました。そのとき彼が、

「離れていても、親子は親子ですから」

と躊躇なく答えてくれたんです。親が動じなければ子も動じないものだとうれしく思いました。

我が子ながら「言うねぇ~♡」

実家のきものを私が

さて、きものの話も少し……

私の母はとても器用で、和裁も洋裁もお手のもの。
「布を触っていることが幸せ」と言ってのけるような人です。私の成人式の振袖や、YUSUKEの5歳の祝い着も母の仕立てでした。

そんな環境にいながら、私はきものに興味がないまま育ちました。
きものって部品は多いし、名前は似てるし、ハマったら怖いと聞いてるし。ただ、実家にたくさんのきものがあることは気になっていました。あのきもの、母がいなくなったらどうなっちゃうのだろう……

一目惚れをしたファースト夢訪庵の帯。ダイナミックに、美しい曲線を描く唐草の模様に自由の象徴を感じて

4年前、父が80歳、息子が20歳、姪が7歳、甥が5歳という、傘寿・成人式・七五三のクアドルプル慶事が重なったことがありました。

こんなにおめでたいことは滅多にないと、お正月に親族がホテルに集まってお祝いをすることに。そして記念にきもので写真も撮りました。

茨田香里さんのご子息、甥御さんと姪御さん

甥っ子のきものはYUSUKEが5歳の時に母が縫ってくれたものです。7歳の姪っ子には、母が新しく仕立てました。

この祝宴の少し前から、やはり一人娘の私が実家のきものをどうにかしなくてはと、勝手な義務感に燃えはじめます。

そしてそのためにも基礎からきものを学びたいと思い、きもの教室へと通うことにしたのです。

大和うるわし

私が通い始めたきもの教室は、着付けだけではなく、きものにまつわるさまざまな事を学ぶカリキュラムが組み込まれています。

浅学ながら着物についてのエトセトラを知ると、着方や着こなし、そしてルーツや文脈、これからの課題や提案などたくさんのことがわかり、刺激や感銘を受けています。

さらにきものが大好きな人がたくさんいて、気の合う友達も増えました。

きもの教室に通い始めたおかげで、きものは非日常でなくなり、友人とのお出かけなど日常の一部になりました。

仕事のわたし

これが普段の私。

日常の装い、とくに仕事上では意識していることがあります。それはいかに時間をかけずに、人前に出られるか。

株式会社KLUGの代表取締役を務める茨田香里さん。胸元には「Black Ties of Social」のピンバッジ

株式会社KLUGの代表取締役を務める茨田香里さん。胸元には「Black Ties of Social」のピンバッジ

そのために決めていることがいくつかあります。

まずは巻き髪と9センチヒール。

これは大学時代から変わっていません。髪は朝起きて、ホットカーラーを巻いて支度をはじめます。あとは出かける間際にカーラーを解いて手ぐしで整えるだけ。

そして9cmヒール。仕事上で必要というより背が低いこともあって、スタイルが良く見えるから。疲れないのかとよく聞かれますが、もう何十年も履き続けているので問題ありません。むしろフラットの方が疲れてしまうかも。

メーカーは「ダイアナ」一択。

それこそ世界各国あらゆるインポートブランドを試しました。でも結局、履きやすさ、シルエット、値段のバランスともに納得できたのが「ダイアナ」なんです。

それから仕事の時は「セオリー」のジャケットかスーツスタイルです。他はほぼ着ません。

仕事の時は「これ」と決めてしまうと楽ですよ。何を着ていこうかと悩む時間がなくなって、仕事だけに時間を割くことができますからね。 

エルメスのバッグは和装スタイルにも馴染む

バッグはフルラとエルメス率が高いです。これもまた世界一周後の総括の結果ですが、シンプルで流行のないところが好きです。

結局のところ、流行には興味がないのかもしれません。ヘアスタイルも靴もバッグも、時代に流されることのない美しさ、魅力を持っているものが好きなんです。

きものが好きになったのも、当然だったのかもしれませんね。

帯が人を語る

一目惚れしたアルマーニブラックの帯が仕立て上がった時、

「好きな柄や色で、お好みの帯が作れますよ」

と桝蔵さんが教えてくれました。もうすぐ50歳の誕生日を迎える時期でした。

これを半世紀生誕祝いの一大催事にしよう!自分で自分を祝う壮大で自由な”おひとりさま企画”のスタートです。

その時点で何をテーマにするかは決まっていました。

「栗山スペシャル」です。

侍ジャパン、日本代表の監督としてWBCで世界一となり、その人間力が注目されている栗山英樹さん。私は現役プロ野球選手のころからの30年越えの筋金入りの大ファン。私の50年史を語る上で、栗山さんは外せません!

50歳の記念にと誂えた帯。淡いレモンイエローにバットとグローブ、そして栗山監督の番号を図案に

50歳の記念にと誂えた帯。淡いレモンイエローにバットとグローブ、そして栗山監督の番号を図案に

そしていつか栗山さん後援会のパーティで締めようと誓っています。今のところ、具体的な催しもオファーもありませんけどね……

こういうものはね、必要に迫られた時に準備しようとしても遅いのよ!

地色の好みを伝え、お太鼓柄にはグローブとバットを。そしてタレには栗山監督の好きな色で背番号を。

前腹は当時、日本ハムファイターズの監督だったので、北海道を代表するスズランの花と、栗山監督の手作りの球場がある栗山町の町花、山百合を入れて欲しいとお願いしました。

北海道の道花、スズランと栗山町の町花である山百合を前腹に

北海道の道花、スズランと栗山町の町花である山百合を前腹に

そこからは桝蔵さんと交換日記のような、図案のやり取りがはじまります。

手描きの図案が送られてきて、リクエストがあれば添えて送り返して。しばらくしてまた修正してくれた図案を送っていただいて……

時間と手間をかけて完成した帯を見た瞬間の感動といったら!

ゲームセット!
色も柄もサイン通りの制球!!!

何度もやり取りを重ね、信頼関係を築きながら時間をかけて作っていくことが、こんなにもワクワクして豊かなものだなんて思いもしませんでした。

桝蔵さんと私の見事なバッテリーです!

そしてこの色彩感覚。草木染めのおもしろさと桝蔵さんの色彩センス、どちらもなければ完成しない世界だと感じます。

グローブにはモールが使われており、すくい織だけでは表現しにくい、立体感もありました。図柄はボーイッシュですが、モールを使用することにより、女性らしい優しさが出ています。ボールの赤いステッチは刺繍で施されていて、実物に近い質感もある帯になりました。

そして前腹。

「私を見て!」というドヤ顔のカサブランカでもなく、品種改良されたグラマラスなオリエンタルリリーでもありません。

花弁や雄しべの橙色は間違いなく日本の山で咲く「山百合」の色です。広い山中、「なぜそこで自生した?」と聞きたくなる、自然が生み出した清楚な山百合が表現されていました。

茨田さんが三本目に選んだのは、シノワズリの気配も漂う「ローブデコルテ」

夢訪庵の魅力は、桝蔵さんのお人柄と生き様に尽きると思います。

作品が桝蔵さんを語ると思いませんか。

モダンな柄、雅やかな古典柄、ファンシーで絵本のように可愛い柄……趣向はバラエティに富んでいるのに、ひとつひとつ、帯のお顔に迷いがありません。

信念のある作品、そして織り手さんやエンドユーザーにも誠心誠意、真心がこもったものづくりをされていると強く感じます。

なかなかできることではありません。

昨年、私が三本目にいただいたのは、シャネルのローブデコルテに施された刺繍がモチーフになっている帯です。

モール織の立体感で花の部分を表現

この帯は、潔いホワイトの地色に花はデニム地のような質感。そしてところどころのベージュとシックなグリーンの葉。とても品があり、まさにシャネルが色を添えて帯を作ったら……という雰囲気です。

でもね、やっぱり違うの。桝蔵さんなのよ。

この帯は、甘さもカッコよさも両方出せる二刀流。

桃色の帯締めでは甘く、漆黒の帯締めならカッコ良く、それを出せるのは”ココ”ではなく、桝蔵さんなのよ。

私の人生の大きな転換期は離婚と子供を授かったこと、そしてきものと関わりが持てたことだと思います。きもの教室に通わなかったら、興味もわかずにいたことでしょうから。桝蔵さんとも出会えなかったことでしょう。

人とのご縁や関わりは想像もできなかった世界をみせてくれます。勉強や資格取得が人生最大の効用だと感じていたころには見えなかった世界が広がっています。

きものと関わってよかった!

社会貢献、動機は後悔

その他のライフワークとしてはNPO法人「東京こどもホスピス」への支援活動をしています。

このNPO法人は、困難な病気に立ち向かっている子どもたちに、家族やお友達と安心して豊かな時間を過ごしてもらうための施設を作り、運営することを目的に掲げています。

江戸組紐で作られた「Black Ties of Social」のピンバッジ

江戸組紐で作られた「Black Ties of Social」のピンバッジ

私は企業などに向けた支援のお願いの他に、「Black Ties of Social」を運営し、ピンバッジを製作。社会保険労務士事務所の顧問料とともに、売り上げの一部を寄付しています。

でも、志の高い社会貢献なんてかっこいいことではありません。

支援活動の動機、それはYUSUKEへの後悔と懺悔です。

私は将来ばかりを気にかけて目の前の我が子をまったく見ていませんでした。とにかく必死で、未来の不確実性に潰されてしまいそうな日常で、かわいいと思う余裕さえもなかった。それを思い出すだけで申し訳ない気持ちでいっぱいになるし、胸が締め付けられます。

その気持ちを少しでも和らげたいだけのこと。

決して人のためとは言えません。

チャリティ会場にてピンバッジ販売のコーナーに立つ茨田さん

チャリティ会場にてピンバッジ販売のコーナーに立つ茨田さん

初めてNPO法人「東京こどもホスピス」の講演会に行った時、代表の佐藤良絵さんがスピーチで「動機は私の後悔です」と言いました。

それを聞いて、抑えようとしても溢れ出す涙を止めることなんてできませんでした。

動機は後悔。

「今さら後悔しても仕方がない」「後悔するな」とネガティブに捉えられがちな言葉ですが、私は自分の過去を見続ける「後悔」という感情を引きずってはならない、なんて思えないのです。

今、私がYUSUKEとの時間を楽しみ、かわいいと思えるのは、彼が生きているから。

でも、ホスピスを求めている子どもたちは……

そして彼らのご家族は、目の前の病魔のことで頭がいっぱいだと思います。治療や投薬、病院とのやり取りで日々を過ごし、完治するための未来を必死で考えていることと思います。

それはとても大事なこと。

でも、未来のことばかり考えていたら、「今」を必死で生きている彼らを見逃すかもしれません。かつての私がそうであったように。

ピンバッジはひとつ¥3300で販売。オンラインショップでも購入可能

ピンバッジはひとつ¥3300で販売。オンラインショップでも購入可能

だから目の前にいる我が子をしっかりと見つめて、かわいいと思ってほしいのです。

そのために、患児とご家族が少しでも心地よく過ごせる環境があればと願って活動を続けています。

神さま、仏さま、お母さま

茨田香里さん

息子はこの春から、都内の大学附属病院で歯科医師としての第一歩を歩みはじめました。

「ああ、神さま、仏さま、お母さま。いつまでもこの家族カードが没収されませんように」

と、拝まれています。

学生のうちは勉強に専念することが彼の本分なので家族用のクレジットカードを渡していました。

勤めはじめたからとはいえ、はじめは社会人一年生でもある研修医。いつでもすぐに病院へ駆け込めるように徒歩圏内に住みたいそうです。そうなると23区内の病院なので、家賃まで賄いきれないでしょう。

もうしばらくは仕方がないか。

YUSUKEには「カードの没収はママを不機嫌にさせた時!!」と言っています。彼はしばらくママのご機嫌取りをすることでしょう(笑)。

最後になりますが、和装には艶と面が命!と言いながら、美しい和髪スタイルに仕上げてくれているカインホア(美容室)のみなさま、いつもありがとうね。

そして、このような機会を作っていただいた、ライターの笹本絵里ちゃんありがとね。いままでの私を振り返り、洗い張りをした気分です!!

さてこれから先、私の人生の何をテーマに仕立てようかしら。一緒に考えてね。

あと八年で十と十二支巡って還暦か……人生二週目、私の「Re-Bone!!」その時はどんな帯を作ります~?これからもよろしくね!まっす~(桝蔵さん)♪

あ、そろそろきもの教室の時間になりました。

行ってまいります!

茨田香里 社会保険労務士事務所「KLUG
NPO法人「東京こどもホスピスプロジェクト

撮影/菅原有希子
ヘア/岡田真季(KHANHHOA

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