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平安人は寒いのがお好き!?「のんびり楽しむイラスト服飾史」vol.5

平安人は寒いのがお好き!?「のんびり楽しむイラスト服飾史」vol.5

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平安時代の貴族たちは、寒い冬はどのように暖をとっていたのでしょう? わかっているのは、とにかく何枚でも重ね着して調整していただろうということ。 襲の色目の文化はおそらくこの重ね着から生まれていったものでしょう。

2022.07.22

まなぶ

小袖と浴衣の大躍進 「のんびり楽しむイラスト服飾史」vol.4

こんにちは。tomekkoです。

気づけば12月も半ばを過ぎ、あっという間に2022年も終わりが見えてきましたね。

この時期になると急にあれもこれもやりたかった、やらなくちゃいけないのにやれていない!と気持ちばかりが急いてしまいますが、どうせ寒い日々ならお家で暖かくして、ゆったりと冬の長い夜を楽しんで過ごしたいものです。

そう、平安人のように…

と半ば強引にテーマに引き込みましたが、今年最後は久々に『のんびり楽しむイラスト服飾史』を描いてみたいと思います。

着心地よく理に適った平安装束

平安装束って、現代では皇族方が儀式で着用する時しか目にする機会が無いため、堅苦しく重そう、重ね着をたくさんして暑そう…というイメージを持っていませんか?

でも、実は以前(vol.3)でもお伝えしたように、蒸し暑くジメジメした日本の夏を少しでも心地よく乗り切るために進化した衣服なんですよね。

2022.06.24

まなぶ

ダイナミックな平安ファッション 「のんびり楽しむイラスト服飾史」vol.3

もちろん正装として全部着たら20キロ前後になりますが、普段着は枚数も厳しい決まりはなく羽織るように緩やかに着ていました。

ゆったりとして風通しがよい大袖、結ぶところは一ヶ所で涼しげな袴と単や袿姿。男性なら狩衣や直衣は同様に縫わずに開けている部分が多く体を締め付けることが少ないですね。

そうして見ると、実際に平安の世に生きた人々にとっては着心地よく理に適った衣服だったのでしょう。

住居も同じように唐(中国)様式から日本の気候に合った風通しの良い寝殿造になり、扉や壁の少ない造りになりました。

…ということは?

夏は快適。でも冬は?平安時代の貴族たちは、寒い冬はどのように暖をとっていたのでしょう?

わかっているのは、とにかく何枚でも重ね着して調整していただろうということ。

襲の色目の文化はおそらくこの重ね着から生まれていったものでしょう。

女性の正装、唐衣裳装束は袖口から見える重ねた衣を便宜上「五衣(いつつぎぬ)」と呼びますが、枕草子の頃などは各自の好みで枚数は決められたようなので、寒ければたくさん着込んだのかもしれませんね。

実は平安時代にも毛皮のコートはあったようです。

枕草子では155段『むつかしげなるもの(むさ苦しいもの)』の中で、

「裏まだつけぬかはぎぬの縫い目」
(裏地をつける前の毛皮の衣服の縫い目)

とあります。

また源氏物語では末摘花との初めての逢瀬の翌朝、雪の明るさに照らされて見た末摘花の姿にがっかりするシーンが有名ですが、そこで彼女が着ていたのが、

「表着には黒貂の皮衣いときよらに香ばしき」
(上着には黒貂の毛皮のとても綺麗で香を焚きしめたもの)

でした。

動物の毛皮自体は10世紀初頭まで、渤海国(今のロシアから中国東北部)からの献上品として日本にも入ってきており、貴族たちに珍重され人気があったようです。

末摘花に関しては由緒ある高級品ではあるけれど若い姫君が身につけるにはちょっと時代遅れで、それも殿方との色っぽい朝にはそぐわない男物のコートという奇妙さが印象に残るアイテムです。

現代でも毛皮のコートは超高級品ですが、平安時代には防寒着というよりはステイタス自慢用の宝物という扱いなのか、あまり貴族が毛皮で外に出かけている様子は絵巻物で見つけることができません。

そう考えるとやっぱり、多くの貴族が普段から毛皮を羽織って過ごしていたわけではなさそうです。逆に末摘花は骨董品をちゃんちゃんこ扱いしていたのでしょうか…

そんななか、枕草子でも源氏物語でも、雪が降ると宮中の人々が好んでその降り積もる様子や雪景色を眺めて楽しんでいる様子が出てくることに驚きます。

当時の暖房器具としては火桶、火鉢ぐらいしかなく、風避けに格子や蔀戸といった建具を閉じ、カーテンのような几帳や屏風などを立てめぐらせてその中で着物をたっぷり着込んだものたちが身を寄せ合って火桶を囲んで暖をとるくらいしかできなかったはずなんですが…

寒さに耐えてでも、雪景色を愛でたい平安人の意地にびっくり。

枕草子で季節ごとの良さを伝える有名な段で冬は…

「冬はつとめて。雪の降りたるはいふべきのもあらず。霜のいと白きも、またさらでも、いと寒きに、火など急ぎ起こして、炭もて渡るも、いとつきづきし。」

(冬は早朝。雪が降っているのは言うまでもない。霜が降りて白くなっている朝も、またそうでなくてもとても寒い朝に火を急いで起こして、炭を持って運んで回るのも大変似つかわしい。)

とキーンと冷えた早朝の魅力を表現しています。

何?平安人って暑がりで寒いのが好きなの!?

といまだにちょっと不思議です。

とはいえ灯りが無い時代、早起き、早朝出勤は実は江戸時代まで変わらないのです。
平安の宮仕えだけでなく多くの仕事は日の出と共に仕事を始め、日が暮れるまでには仕事を終えて帰宅していました。

貴族たちは夜はしょっちゅう宴会を開いたり、宮中の様子でもよく集まって話し込んでいるシーンが出てきますが、これは仕事がお昼ごろまでには終わるライフスタイルだったこと、そして冬の夜は寝ていられないぐらい寒いから、人と集まり火鉢を囲んで夜通しおしゃべりをして乗り切るのが、何よりの暖まり方だったのかもしれません。

現代でも、年末この時期は忘年会が目白押しですが、確かに親しい人と集まってお酒や食事を囲んでいる時間ってほくほく温かい気持ちになりますね。

まだまだ感染症への対策は忘れちゃいけませんが、コミュニケーションで心を温め、皆さま健康に新年を迎えられますように。

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