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初代国立劇場さよなら公演へ! 「歌舞伎へGO!大久保信子先生に聞く着物スタイル」vol.23

初代国立劇場さよなら公演へ! 「歌舞伎へGO!大久保信子先生に聞く着物スタイル」vol.23

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昭和41年の開場以来、歌舞伎や文楽をはじめ、さまざまな伝統芸能を上演する劇場として親しまれてきた東京・隼町の国立劇場が、建て替えられることになりました。実際の閉場は来年の秋ですが、この秋から『初代国立劇場さよなら公演』が充実のラインナップで行われています。

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2022.09.23

よみもの

カジュアルな装いで浅草へ 「歌舞伎へGO!大久保信子先生に聞く着物スタイル」vol.22

国立劇場のコラボ企画

昭和41年の開場以来、歌舞伎や文楽をはじめ、さまざまな伝統芸能を上演する劇場として親しまれてきた東京・隼町の国立劇場が、建て替えられることになりました。

実際の閉場は来年の秋ですが、この秋から『初代国立劇場さよなら公演』が充実のラインナップで行われています。

11月は『歌舞伎&落語 コラボ忠臣蔵』(11月2日~25日、7・16・23日休演)。

赤穂浪士の討ち入り事件を題材にした歌舞伎の名作『仮名手本忠臣蔵』と春風亭小朝の落語が上演されます。

歌舞伎には『芝浜革財布』や『真景累ケ淵~豊志賀の死』、近年では笑福亭鶴瓶の創作『廓噺山名屋浦里』など、落語を原作にした作品がいくつもありますが、縁の深い歌舞伎と落語を同時に味わおうという珍しい企画です。

早野勘平(中村芝翫) 提供:国立劇場

斧定九郎(中村歌六) 提供:国立劇場

『仮名手本忠臣蔵』からは五段目「山崎街道鉄砲渡し二つ玉」と六段目「与市兵衛内勘平腹切」を上演します。討ち入りへの参加を願う侍・早野勘平の悲劇を描きます。

早野勘平(中村芝翫)は女房おかる(市川笑也)の実家へ身を寄せ、猟師になっていました。猪だと思って斧定九郎(中村歌六)を撃ってしまい、懐から大金の入った財布を手にします。討ち入りに加わるための費用が必要だったからです。

しかし、その財布がおかるの父・与市兵衛のものと知った勘平は、舅を撃ってしまったと誤解して……。

中村仲蔵がつくり上げた定九郎

一方の落語は、小説家・菊池寛の短編小説をもとにした『殿中でござる』と名作『中村仲蔵』の2席。

中村仲蔵(初代)は江戸時代に大活躍した歌舞伎役者。『仮名手本忠臣蔵』五段目に登場する斧定九郎の役づくりを軸にした仲蔵の出世物語です。

当時の役者の世界は厳格な階級社会で、役者の家柄出身ではない仲蔵は最下級の地位からスタートします。地道に努力を重ね、ついに最高位の「名題」になりました。

そんな仲蔵に、斧定九郎の役が割り当てられます。

当時の五段目は、クライマックスにつなげるための、あまり重要でない場面という扱いで、「弁当幕」(観客が弁当を食べる時間)と言われていました。おまけに定九郎は、山中で強盗殺人を犯し、すぐに勘平に撃たれて死んでしまいます。その姿は山賊そのもので、まったく〝見せ場〟がありません。

仲蔵が新たな定九郎をつくり上げようと、必死に考えていたある日。そば屋で雨宿りをしていると、一人の侍が入ってきます。

黒羽二重のひとえに茶の献上帯、破れた蛇の目傘の下、月代(さかやき)は伸びて、髪が濡れています。まさに〝水もしたたるいい男〟。仲蔵は「これだ!」と、この侍の姿を元に役づくりを始めました。

そして迎えた初日、これまでの定九郎とは全く違う扮装に、観客は息をのみます。

歌舞伎と落語の双方に登場する「斧定九郎」に注目です。

定九郎の出番はほんの少し、セリフも一言だけ。それなのに、とても目立つ役です。

白塗りの顔・手・足に、尻端折りした黒の羽二重、朱鞘の大小、真っ赤な血糊…と色彩のコントラストも鮮やかで、ニヒルな悪役ぶりは仲蔵が考案し(諸説あるようです)、今もそのスタイルが受け継がれています。

羽二重の魅力

今回は、定九郎が着ている羽二重についてご紹介しましょう。

羽二重は平織りの絹織物です。

タテ糸2本にヨコ糸1本で織られ、撚りがないため引っかかりもなく、ふっくらとした仕上がりです。すべすべした極上の手触りで、なめらかで美しい光沢があります。

「絹の良さは羽二重に始まり羽二重に終わる」という言葉もあるほどです。福井県や新潟県などが産地として知られています。

生糸は切れやすく、撚りをかけない羽二重は織るのが難しいため、湿度が高めの地域で織られることが多いそうです。

羽二重にはいろいろな種類があり、きものだけでなく、胴裏、羽裏、比翼、半衿…と用途もさまざまです。

帯や半衿に使われる塩瀬も羽二重の一種ですから、とても身近です。

しかし、羽二重のきものはとんと見なくなりました。あるのは男性の正装、黒紋付くらいでしょうか。

かつては関東の羽二重好み、関西の縮緬好みと言われ、女性の喪服の生地も東と西で異なったものでした。最近は縮緬が主流になっていますが、東京ではまだ羽二重を扱っているところもあります。

シワがつきやすいのと、帯をきつく締めたりするとスレができやすいため、縮緬の方が好まれるのかもしれません。また、染めるのも難しく、きものの生地としては生産量も減っています。

しかし、上質の羽二重は艶やかで、とろりとした肌触りになんともいえない魅力があるのです。

【山本哲士】小紋~羽二重意匠~「京小花」

【山本哲士】小紋~羽二重意匠~「京小花」

駒羽二重地刺繍訪問着「裂取道長」

駒羽二重地刺繍訪問着「裂取道長」

布には贈物や下賜の品として用いられた歴史もありました。

江戸時代、上流武家社会のお祝い品の目録には、「紅白羽二重二十疋」(1疋は2反)などの記述も見られます。

以前、宮中から下賜された羽二重で作ったきものを親戚から譲られました。
下賜された白の反物はさまざまに利用されたようで、小紋に染められたそのきものも、仕立て替えをしながら長く愛用したものです。

羽二重で装う

さて、定九郎にちなんで何を着ましょう?

素材なら羽二重。

羽二重のきものは珍しくても、塩瀬の帯なら気軽に取り入れられます。色や柄が自在に楽しめる染め帯の魅力を存分に味わいましょう。

塩瀬九寸名古屋帯「流水に紅葉」

塩瀬九寸名古屋帯「流水に紅葉」

色なら黒と朱や赤の組み合わせ。これを帯で表現するのはどうかしら。黒地にもみじなど、秋らしい柄が楽しめます。そして、もみじが赤くなれば羽織の季節。

以前ご紹介しましたが(vol.12)、振りに紅絹(もみ)を付けた黒い羽織も素敵です。

2021.11.19

よみもの

羽織のおしゃれは、ここがポイント! 「歌舞伎へGO!大久保信子先生に聞く着物スタイル」 vol.12

ちなみに、少ないながらも羽二重の白生地は生産されています。

羽二重で色留袖を誂えた方がいたそうで、色も意匠も凝っており、それはそれは見事なものだったと、呉服店の方から聞きました。

一からきものを誂えるのは今や贅沢ですが、生地の選択肢に羽二重もあることを心の隅にとめておかれると、より豊かなきもの暮らしをおくるヒントになるかもしれません。

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