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ARLNATA(アルルナータ) 寺西俊輔さん(前編) 「彼らが”和”を想う理由」vol.3-1

ARLNATA(アルルナータ) 寺西俊輔さん(前編) 「彼らが”和”を想う理由」vol.3-1

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”伝統を現代(いま)に纏う(まとう)”を掲げ、呉服業界に新たな風を起こしている『ARLNATA(アルルナータ)』。「会社でもブランドでもなく”プロジェクト”」と話すのは、代表の寺西俊輔氏。現在、丹後の民谷螺鈿や日本三大紬である大島紬・牛首紬・結城紬などのテキスタイルを用いて、新たな価値を”洋服”という形で創造・発信している。大阪のアトリエにてお話を伺った。

究極のオリジナリティ

2018年末―

パリのシャルル・ド・ゴール空港で日本行きのフライトを待つなか、寺西俊輔氏のもとに一本の電話が鳴る。

相手は、世界中の誰もが知る、そして日本人に最も愛されている高級メゾンの担当者。「うちに来ないか」とのことだった。

本家フランスからのラブコールにも関わらず、寺西氏は一切揺らぐことなくあっさりと断り帰国してしまう。

なぜなら彼には、もっとやりたいことがあったから。

ヴィトンからのオファーを断る

国内外含め、名だたる世界的ハイブランド(ヨウジヤマモト、キャロル クリスチャン ポエル、アニオナ、エルメス)でキャリアを築いてきた寺西氏。

ミラノ、パリ…

分業が当たり前の業界で、パタンナーとデザイナーを兼任。念願のエルメスで働く目標も成し遂げた。

そのまま海外でさらにキャリアを築いていく選択肢もあったが、日本に戻ることを選択。
将来はもっと”自分だけにしかできないこと”、”日本のためにできること”を行うと心に決めていた。

その想いが形になったのがARLNATA(アルルナータ)である。

印象的な名前は「新た(ARATA)(ALATA)」と「あなた(ANATA)」とを掛け合わした造語。ARLNATAに関わるひとり一人とともにこの輪を育てていきたい、という意思を示しているそうだ。

それは、現代のライフスタイルに合わせたものづくりを通じ、伝統技術の新たな価値を発信する”プロジェクト”だとのこと。会社でもブランドでもなく、という点にも寺西氏のこだわりが垣間見える。

そんな彼に「和を想う理由」について尋ねてみた。大阪のアトリエにて、奥様のMolly氏とともにARLNATAの洋服で登場だ。

アルルナータ・寺西俊輔さんと奥様のMollyさん

車好きの少年

その道を志すすべての者の垂涎の的である世界屈指の高級メゾンでのキャリアがありながら、なぜ今現在の選択ができたのか―

異色の経歴は、なんと京都大学の建築学部ご出身とのこと。

何が彼をそうさせているのか、寺西氏の過去を紐解いてみよう。

「小さい頃は車がすごく好きで。
それもセダン形やボックス形の”背中のライン”にこだわりがあって、あのセダンはかっこいいけどあれはだめだみたいに、屋根の形を父と言い合っていたという記憶がいまだにあります。5~6歳、それよりももっと前かもしれません。
気づけば幼少の頃から、デザインや”ものの形”に興味がありました」

今もこだわりの古い車に乗っているそうだ。デザイナーである奥様のMolly氏も、同じく車の形にこだわりがある模様。

ものづくりへの扉は、過去より少しずつ開かれていくこととなる。

ファッションが大好きだった寺西氏

ファッションに興味があり、洋服が大好きだった学生時代。
しかしそれを”仕事にする”などの思いは毛頭なく、周囲の環境から自然と京都大学を目指すことに。寺西青年の通っていた奈良の東大寺学院は、関西の進学校であった。

「なんとなく京大に行きたいな、その中で”ものづくり”って何かなって思ったときに、建築学部が浮かびました。
現実的な人間なので、ファッションの世界は競合が多いし、将来は建築家になるのかなと思っていました」

周囲と柔らかに協調しながらも、だんだんと独自の道が拓かれていく。

日本人としての意識

ファッション業界に憧れ、そこで働くキャリアを夢見て、世界中からヨーロッパに多くの若者が集まる。

しかし、夢を現実にできるのはわずかひと握り。

ファッションの本場、厳しい世界に生きる

「頑張ってきた自負はあります。
ファッション業界に入ったことで『建築に行っておいた方がよかったのに』と言われることだけは絶対に嫌だったので、人一倍努力しました。

そして、人の繋がりがあったからこそここまで来れたなとも思います。タイミング、タイミングで話をいただいて。転職はすべて人との繋がりからのご紹介です」

おだやかな物腰と優しい視線の奥に感じる、しなやかな強さ。熾烈な争いの中における不断の努力と強い想いのもと、確実にキャリアを築いていく。

「ヨウジヤマモトにいる時は、もう完全にヨーロッパかぶれの人間でした。ヨーロッパに行きたくて行って、絶対日本に戻ってこないと思っていました。

でもいざ向こうに行くと、仕事を通じて、また普段の生活でも『あなたは誰なの?』っていうアイデンティティの部分をすごく聞かれて。

ヨーロッパのファッションの現場は、中国・台湾・韓国はじめ、それこそアジアだけでなく世界中からその道を志す人ばかりが集まってくるような競争環境だったので、逆に自分が”日本人だからできること”を考えるようになりました」

日本に生まれ日本で生活していると、なかなか日本人であることを意識しにくい。

「日本人だからプラスになることって何かと、ずっと考えていました。
ヨーロッパには12年ほどいましたが、半分を過ぎた頃からだんだんと、将来的には、日本における社会貢献、日本のためになるような何かをしたいという気持ちになっていました」

ファッションと着物 ①寺西氏にとって

アルルナータ・アトリエ

実は、ほとんど着物とは接点がなかったという寺西氏。しかし最近になって色々と明らかになってきているようだ。

「母は京都の出身で、祖母が丹後で機織りをしていたらしいんです。思い返すと祖母は、会う時にはいつも着物でした。ARLNATAを立ち上げてから母から聞かされたのですが、実家には着物が多くあるようなんです。結構いいものがあるらしく、母曰くそれは祖母の影響だったみたいです。

『まさかあなたがこんなにも着物に関わることになるとは』とも言われました」

今は亡きお祖母さま、そしてお母さまの驚きとうれしさの表情が目に浮かぶようだ。

DNA的にはあったのかもしれないが、ご本人の意識の中には、身近で着物を見て育った・触れて育ったというのは全くないよう。

導かれているのか、選んでいるのか― 不思議な繋がりは今なお続く。

ファッションと着物 ②相違点

洋服と着物の違いに関しても伺ってみた。

どちらも衣装であるが大きな違いがあるようだ。作り手だからこそ分かる違いとは。

「”テキスタイル”という視点で見たときに、”ゴール”が違います」

その心とは。

テキスタイルのゴールとは

「洋服は、テキスタイルが出来上がった時点ではまだ道半ば。そこからデザインがあって型紙があって縫製があって、ようやく洋服になる。
一方で着物は、反物が出来上がった瞬間がほぼゴールだと思っています。仕立てはあるにしろ形は決まっていて、テキスタイルができ上がるまでに命をかけられていると捉えています。

そして、だからこそあれだけの技術とあれだけの時間、あれだけの苦労をかけて作り上げることができるのではないかと」

海外に長く身を置き、ものづくりに真摯に携わっていたからこその視点はとても深い。
尊敬や畏敬の念までをも放つ寺西氏の言葉からは、あらためて、日本のものづくりそのものの稀少価値を気づかされる。

「洋服においても”テキスタイル”が与えるイメージはとても重要ですが、その工程においてはまだ完成までのラインの2~3割ぐらい。デザイン・型紙・縫製など、洋服の世界における価値は、後行程のほうによりフォーカスされています。
”テキスタイル”にかける重みが違うのかもしれません。

でもそう考えると、気合いの入った”着物のテキスタイル”で洋服を作ったら…
すごいことになりますよね!」

優しい眼差しの奥にふつふつと湧き上がる情熱。

選りすぐりの最上の反物をもとに、最上のデザインと型紙と縫製が施された洋服がまさしくARLNATA(アルルナータ)なのである。

寺西俊輔さんと奥様

続く後編では、今日に至るまでのストーリーと今後の展望、また「ファッションと着物」に関してもさらに深く伺っていきます。

※1月下旬~2月上旬公開予定

二人三脚のMolly氏と

藤田陽子さんのコラムはこちら。
24コラム×3パターン=72のコーディネートは圧巻です。

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