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京都・京菓子司 亀屋良長『宮参り』 鈴の音に祝意を込める 「和菓子のデザインから」vol.1

京都・京菓子司 亀屋良長『宮参り』 鈴の音に祝意を込める 「和菓子のデザインから」vol.1

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旬の食材を取り入れるだけでなく、見た目の季節感も大切にする和菓子の世界。季節を少しだけ先取りするところも、きものと通ずる心があります。共通する意匠やモチーフを通して、昔から大切にされてきた人々の想いに触れてみませんか。 今回は「亀屋良長」で見つけた鈴の意匠が愛らしい薯蕷饅頭をご紹介します。

晩秋の夜は空気が澄んで、月や星が綺麗ですね。
たまたま見上げた日の月がまんまるだった時のハッとする気持ちは、いくつになっても変わらないような気がします。

そして、黄みを帯びたまあるい姿を眺めながら思うのです。

おいしいおまんじゅうが食べたいな、と。

京都の亀屋良長にはこの時期だけ店頭に並ぶ、たいそう愛らしい薯蕷饅頭(じょうようまんじゅう/じょうよまんじゅう)があります。ただし、ぷっくりと膨らんだ生地はお月さまのような黄色ですが、まんまるではなく鈴の形をしています。

薯蕷饅頭「宮参り」

11月になぜ「鈴」のモチーフなの?と思われる方もいらっしゃるでしょうか。
この菓子の名前は「宮参り」。
七五三のお宮参りの時期の祝い菓子なのです。

今回はこの「鈴」について学んでいきましょう。

薯蕷饅頭はすりおろした薯蕷芋(つくね芋)に米粉(上用粉、上新粉など)を混ぜて生地とします。小麦粉の生地の饅頭などに対して、高級なものという意味を込めて上用饅頭ともいいます。

薯蕷饅頭の材料であるつくね芋の旬は秋。一年で最も薯蕷饅頭がおいしくなる季節といえるかもしれません。
今回はつくっているところを特別に見せていただきました。

すりおろしたつくね芋と米粉と砂糖を混ぜて生地をつくります。芋の持つ水分量や粘り具合によって、粉と砂糖の量を調整しなければなりません。「生地づくりは難しいところでもあり、面白いところでもあります」と8代目当主の吉村良和さん。

薯蕷饅頭加工風景

黄色の食用色素を小分けした生地に加え、リズミカルな手つきで少しずつ生地全体になじませていきます。

あん玉にして用意していたこしあんを、次々と生地で包む手つきがなめらか。

このまま蒸せば、丸い薯蕷饅頭の出来上がりですが、ここから鈴のフォルムをつくっていきます。

三角ヘラで鈴の「つば」の部分と「裂け目」をつくり、さらに小指の先でキュッと窪みをつけました。

薯蕷饅頭加工風景

「ぷくっと膨れる薯蕷生地の特性が活きるよう、あまり作為的にはならないように心がけています」

蒸し器に並べたら、紐などを通す突起の部分をつけていきます。
パーマンのコピーロボット(わかる世代にはわかるはず)みたいでカワイイ…。

ここで霧吹きをシュッと。お酢だそうです。「蒸しているうちに蒸発するので、味には関係ないのですが、生地の表面が割れるのを防いでくれます」とのこと。

薯蕷饅頭加工風景
薯蕷饅頭加工風景

蒸している間に、練り切り生地を細長くカットしていくのですが、均一な厚みにするのも完全に手作業なんですね。

竹の物差しで測りながら、一枚一枚ていねいにカット。

薯蕷饅頭加工風景
薯蕷饅頭加工風景

そうこうしている間に蒸しあがりました。ふっくらと、ひとまわり大きくなっていますね。

蒸しあがった饅頭を今度は熱した鉄板に並べ、底面を焼き始めました。

薯蕷饅頭加工風景
薯蕷饅頭加工風景

全部並べたと思った矢先に、もう最初に置いた饅頭を鉄板から下ろし始めます。

「これは焼き色をつけようとしたのではなく、底面に熱を加えて蒸し残しをなくすための工程なんです」。

今度はガスバーナーで焼きゴテを熱し始めました。

薯蕷饅頭加工風景

先ほど三角ヘラを入れたラインに沿って焼きゴテを走らせると、ジュッという音と共に二本線が刻まれ、鈴の「つば」が浮かび上がります。砂糖が入った生地が焦げて辺りに漂うのは、べっこう飴のような甘い香り。

続いて裂け目にも焼き目を。

あとから焼きゴテでラインが上書きされるのであれば、三角ヘラでわざわざ窪みをつけなくても良さそうな感じもしますが、ヘラの一手間があることで、焼きゴテだけでは出せない絶妙な立体感と陰影が生まれるのです。

接着のり代わりの蜜を筆で塗って、細長い三角形にカットしておいた紅白の練り切りを貼っていきます。

薯蕷饅頭加工風景

ふっくらと緩やかな曲線を描く饅頭に、直線的な練り切りが映えて、愛らしくも凛とした姿の薯蕷饅頭ができ上がりました。

旧暦の11月15日にお宮参りをする七五三。
収穫祭の月の満月の日であり、稲刈りを終え、山へと帰る田の神さまを送る頃です。

田の神さまは産土神(うぶすながみ)ともいわれ、命を見守る存在。
収穫を感謝する時期であることに合わせ、子どもの成長を感謝する儀式も行われるようになったと考えられています。また、五代将軍徳川綱吉が長男徳松のための健康祈願をこの日に行ったことも定着の要因と言われています。

七五三の由来は、

三歳前後に行われた「髪置(かみおき)」
五歳前後に行われた「袴着(はかまぎ)」と「髪削(かみそぎ)」
七歳前後に行われた「帯直(おびなおし)」

という、平安から室町時代にかけて成立した子どもの儀式にあります。

「髪置」は子どもの産毛を剃る習慣から始まったもので、子どもが三歳になるまで頭を剃り、無事に三歳になると、長寿の人に「髪置親」になってもらい、真綿でできた白い綿帽子を頭に置く儀式です。この時期から髪を伸ばし始め、白髪になるまで長生きができるように、との祈りが込められています。

「袴着」は初めて袴を着る儀式で、「髪削」は三歳で伸ばし始めた髪をハサミで切り揃える儀式です。「帯直」は付け紐でくくるため帯が不要だった乳幼児の着物から、帯が必要な着物を着るようになった成長を祝う儀式です。

「袴着」「髪削」「帯直」は、元は公家や貴族の子どもの間だけで祝われていたものが、江戸時代には武家を中心に祝われるようになり、これらの通過儀礼は町民にも関東から全国へと広がっていったのです。

なお、京都には干支が一巡した十三歳の少年少女が行う「十三まいり」の風習が古くからあり、武士の風習であった七五三が広まったのは昭和十年頃だったと言われています。十三まいりでは女の子たちはこの日から大人と同じ仕立てのきものを着ることが許されます。

髪や着物の変化が、子どもの成長の証となるため、大人たちは子どもの健やかな成長を願い、祝意を込めた晴れ着を用意するのです。

子どもの晴れ着の柄にも、鈴がよく使われます。
丸く可愛らしい形は手鞠とも似ていますが、土器や陶器、金属などでできた鈴には中に小さな玉が入っており、振ると音がするのが特徴です。

その音色が美しく清らかで、涼やかなことから「すず」とされたという説もあるくらい、鈴は音が鳴ることに大きな意味があります。

鈴の音は神さまを招来し、邪気を払うと考えられてきました。
日本人にとって、馴染み深い鈴の一つが、神社の拝殿に備えられた大きな鈴ではないでしょうか。鈴についている細長い布や綱でできた紐類は「鈴緒(すずのお)」といい、「緒」という言葉には命や魂、長く続くものといった意味があり、参拝者と神さまをつなぐ存在でもあるのです。

また、地域によっては「七五三鈴」とも呼ばれる「神楽鈴」は巫女が舞を奉納する際に鳴らすことで、神さまの御霊を引きつける役割があります。

チリリと鳴る小さな鈴のついたお守りや、登山者の杖についた鈴も持っているだけで所在を示し、魔除けや獣除けとして用いられてきました。

古くから祭儀や暮らしと深く関わってきた鈴をモチーフとした和菓子は、練り切りや和三盆糖の干菓子、最中、カステラなど他にもいろいろ見ることができます。

この薯蕷饅頭の意匠も、明治期に描かれた慶事の菓子見本帖に載っているものを踏襲しています。

鈴柄アップ

今回は蒸し立てをいただきましたが、実際に店頭に並ぶものはさらに一手間。ここから一度冷凍して、再度蒸し上げることで、より口当たりの良いふわふわの食感になるのだそうです。
しかし、これほど手間をかけたものは珍しいのではないでしょうか。

「確かに、この宮参りという菓子は薯蕷饅頭の中でも手のかかるほうです。練り切りであれば一度で仕上げられる意匠も、饅頭だとヘラで筋を入れて、蒸して、焼いて、と大変ですから、他店ではあまり見かけないかもしれませんね」。

それでも、毎年この菓子をつくり続けるのは、お客様の想いを形にする菓子だからだと良和さんはいいます。
祝意を込めて、手間をかけてつくられるのは晴れ着にも通ずるものがあります。

京菓子の世界では、意匠がそのものズバリの時は、あえて少し遠い菓銘に、抽象的な意匠の時はわかりやすく直接的な菓銘をつけることがあります。

菓銘は時代に合わせて変えることもあるそうですが、この鈴の意匠の菓子につけられている名前が「宮参り」と知って「そういうことね」と思えるよう、意匠に込められた意味を子どもたちの世代に伝えていきたいものです。

どうか、これからもこの菓子が、この菓銘ごと、永く愛される世の中でありますように。

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