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“あんまりにも夏やから、浴衣に袖を通しました” ー 橘凜々子 「2020夏 浴衣考」vol.3

“あんまりにも夏やから、浴衣に袖を通しました” ー 女優・モデル 橘 凜々子 「2020夏 浴衣考」vol.3

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ゆっくりと、夏が終わろうとしています。今年の夏の思い出はどのようなものとなりましたでしょうか。「浴衣」にまつわるあれこれをつなぐリレー連載も今回が最終回。女優かつモデルである・橘 凜々子さんが、浴衣姿もみずみずしく、夏の回顧録をお届けいたします。

「あっついわぁ、なんでこんなに暑いん」
お洗濯を入れようと引き戸を開けると、もわりと重たい空気が肌にまとわりついてくる。
じめじめとうだるような暑さに、ミンミンと降り注いでくる蝉時雨。
青々とした木立の木漏れ日がきらきらと眩しく、真っ青な空に大きな入道雲がもくもく。

なんでもない日、今日。
あんまりに夏やから、浴衣に袖を通すことにした。

押入れから大きめの風呂敷を引っ張り出してきて、長方形に畳まれ積まれた色とりどりの浴衣を眺める。
一口に浴衣といっても様々なものがある。レースやラメなどの装飾が施されたもの、伝統的な絞りや衿をつけてお着物のように着れる絹紅梅、麻や綿コーマのようなカジュアルなもの。

夏を思いっきり楽しみたい日には、さらりと着付ける綿コーマがちょうどいい。
銀座の呉服屋さんで今年購入したアンティークの綿コーマは、羽織るとほのかにタンスの木の匂いがした。

浴衣は着物と違ってきっちりと着付けるより、肩の力を抜いて自然体に着付けるのが魅力的、と思っている。浴衣の中は、補正も兼ねた木綿のサラシのみ。
衣紋はゆったりめに抜いて、衿と裾はきちんととじて上品さは残したい。

衣紋はゆったりめに抜く

着付けの時のお道具はコーリンベルトやゴムの腰紐も便利だが、腰紐と伊達締めのみと決めている。使うものは出来るだけシンプルでありたい。
腰紐を背中側ではじわぁとしっかりめに締め、お腹側でふわりと結ぶ。それだけで随分と楽に過ごせる。帯は、しまっていればいい。

素肌感を大切にした化粧

お化粧も素肌感を大切にして、作り込みすぎないようにする。
目尻にちょこんとラインを引いて、切れ長の瞳に。そしてさっと紅を引く。
黒い髪を、椿油で艶やかに結う。

汗をかくことも乙だなあと楽しめる装いに

目をぱっちりさせたお化粧や、髪ふんわり巻いたヘアアレンジも可愛らしいが、
着付けているだけでじんわりと汗ばんでくるこの季節、顔や首まわりはすっきりと。
汗をかくことも前提に、それもまた乙だなあと楽しめるような装いに。
そんな少し隙が残るような、引き算の美しさがすきなのだ。

浴衣を着る際の装飾は簡素にした分、立ち居振る舞いで完成させたい。
内股気味にすすすと歩く姿、指を揃えて袖をちょこんとつまんで物をとる姿は、きっと華美なお化粧や装飾品よりも輝くもの。

右手に手ぬぐい、左手に扇子の二刀流

右手に手ぬぐい左手に扇子の二刀流で、ふらりとお散歩に出かける。
まぁ落ち着きぃや、と交渉したくなるほどの蝉の大合唱を浴びながら、ギンギラギンの陽の光を避けて木陰から木陰へと渡りながら進む。

コーヒーとタバコとケチャップの匂いのする懐かしい雰囲気の喫茶店の前を通り、吸い寄せられるように中に入った。ちょっぴり冒険したくなって、生まれて初めてのメロンソーダを頼む。アイスクリームものっていて、とっても甘くてとっても冷たい。
一口めを堪能したのと同時にポツポツと夕立が降り始め、氷だけになった頃にはザーザーと屋根をうっていた。安全地帯の室内にいるときの雨の音は、心地よい。
お店に置いてあった新聞や少し端の方が変色した雑誌なんかを斜め読みした。

雨が止んだ。
お会計のときにお店のおじいさんに「浴衣、いいねぇ」と声をかけてもらって、にまにま。
店の外に出ると、熱されたアスファルトが夕立に降られ匂い立っていた。

ふと思い立って、ご近所の八幡さまをお参りする。
長い石階段を上がって鳥居をくぐると、ひんやりとした静かな空気に包まれた。
よく手入れされた小さな境内は、夕立に降られ苔生した岩が濡れ、土が香りたつ。オレンジ色の西日が木立の隙間から差し込み、雨粒が反射して辺り一面が眩い。雨が降った後のお庭が好きだ。手水舎で手と口を清めると、冷たいお水が心地よい。
拝殿の奥の方は薄暗くよく見えないが、長きに渡り磨き上げられてきたのであろう壁や床が黒くぬるりとしたひかりを放っていた。思わず見惚れてしまう。

カラスの鳴き声と羽ばたきが聞こえた。
私も、お家に帰ることにした。

帰り道、夏野菜とおばあちゃんがおまけしてくれたスイカ

帰り道、商店街の八百屋さんによって夏野菜をたくさん買ったら店番のおばあちゃんが小さなスイカをおまけしてくれた。
嬉しい重たさを右手に感じつつ、冷えたスイカの味を想像して足取りは軽やか。
大きな水たまりは避けて通り小さいのはひょいと越え、あっという間にお家についた。

氷をたっぷり入れた麦茶をひとくち。
火照った身体に染み渡っていくのを感じて、「ほぅ、」と声がもれる。

お夕飯は、おそうめんとスイカ。
夏バテ気味でもスルスル食べれるおそうめんは、おネギや茗荷、生姜などの薬味たっぷりが幸せ。お家についてすぐに冷凍庫に入れたスイカを四分の1に切って、シャクっと齧り付いた。
みずみずしい甘さで口の中が満たされる。
床にぺたんと座って卓袱台で食べる。無垢の木の床が素足にひんやりと気持ちが良い。

細い風が通り、風鈴を鳴らした

ちりん、ちりりん。
細い風が通り、風鈴を鳴らした。

食べ終わる頃には、不思議と涼しく感じていた。夏の弱々しい夜風が、首元を撫でてゆく。

苦手なマッチを3本ほど擦って、やっと蚊取り線香の先っちょが赤くなってくれた。
煙が少し、目にしみる。実家を思い出すので、この匂いが好きだ。

「あぁ、夏やなぁ」

とだけ呟いてみて、素早く浴衣を脱ぎ捨てお風呂に入る。
なんだかんだ言って帯の下はぐっちょりだ。でもたくさん汗をかいた日のお風呂は格別に気持ちよいもの。エアコンを効かせた涼しいお部屋で、お布団にもぐりこんだ。

日本にはせっかく四季があるんやから、思いっきり楽しみたい

もともとは夏も、暑いのもあんまり得意ではない私。
でもいつしか日本にはせっかく四季があるんやから、と折々の季節を思いっきり楽しみたいと思うようになった。

夏といえば、お祭りや花火大会に海水浴。
活気ある、楽しいことがいっぱいの季節。

でも、今年は特別な年。
いろんなことをいつも通りすることが難しくなってしまった。

この少し窮屈で退屈になってしまった日常の中で、
なんでもない日に浴衣を着て、ちょっぴりよく眠れるいい日になった。
そんなある暑い夏の日の回顧録。

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