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誰かのためだけの、ただひとつのもの 〜小説の中の着物〜 知野みさき『神田職人えにし譚』「徒然雨夜話ーつれづれ、あめのよばなしー」第四十夜

誰かのためだけの、ただひとつのもの 〜小説の中の着物〜 知野みさき『神田職人えにし譚』「徒然雨夜話ーつれづれ、あめのよばなしー」第四十夜

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小説を読んでいて、自然と脳裏にその映像が浮かぶような描写に触れると、登場人物がよりリアルな肉付きを持って存在し、生き生きと動き出す。今宵の一冊は、知野みさき著『神田職人えにし譚』。赤ん坊のお包みや、子どもの守り袋には生まれ年の干支の刺繍を。季節の草花をあしらった半衿に巾着、お財布。煙草入れ。誰かの妻になるよりも、ただ縫箔師でいることを選んだ咲が作るのは、“誰かのためだけの、この世にたったひとつの”小物たち。

2024.07.29

まなぶ

闇に咲く花 〜小説の中の着物〜 泉ゆたか『髪結百花』「徒然雨夜話ーつれづれ、あめのよばなしー」第三十九夜

今宵の一冊
『神田職人えにし譚』

知野みさき『神田職人えにし譚 ー飛燕の簪ー』ハルキ文庫

知野みさき『神田職人えにし譚 ー飛燕の簪ー』ハルキ文庫

咲は縫箔師だ。
刺繍――縫い――と金銀の箔を糊で貼る摺箔すりはくを併せて裂地に模様を施すのが「縫箔」なのだが、咲は女手一つでやっているために、仕事は小物の刺繍が主である。もとより豪華絢爛な縫箔の着物がもてはやされたのは一昔も二昔も前のことで、今でもそのような贅を尽くした着物を着ているのは役者ばかり。五年前に質素倹約をかかげる松平定信が老中となってからは、小物でさえ華美なものは身に着けにくくなった。
それでも、いつの時代にも粋人すいじんはいる。
金銀の摺箔が減った分、意匠や縫い手の腕が評価されるようになり、地味でも手の込んだ物を好む粋人たちに、咲のような職人は救われていた。

〜中略〜

「これ、前の品物の分と今日の分。また煙草入れをいくつかお願い。あと櫛入れを一つ頼まれてくれないかしら? 模様は白萩で、寸法はこれ」
手数料を引いた品代と、寸法を書いた紙を美弥が差し出す。
「喜んで作らせてもらいます」
白萩とは言われたが、紙には寸法しか書かれていない。つまり白萩でさえあれば、意匠や生地は自分に任せてもらえるということだ。花や草木は咲の得意とするところで、早くもいろんな意匠が頭に浮かび、咲の胸は弾んだ。そんな咲を見て美弥が微笑む。
「お願いね」

知野みさき『神田職人えにし譚 ー飛燕の簪ー』ハルキ文庫

今宵の一冊は、知野みさき著『神田職人えにし譚』。

主人公は、数年の修行ののち、独り立ちして小物の制作を手がける縫箔師の咲。

若くして両親を亡くし弟妹の親代わりとして2人を育て上げた咲は、現在も自らの腕を信じて職人として生計を立てている。26歳、末だ独り身。だけど、これまでに縁がまったくなかったわけではない。

「ただその都度、誰かの妻になるよりも、縫箔師でいることを選んできただけ」

女性がただ純粋に職人でいることが、現代よりも難しかった時代。
職人としてではなく、妻であること、嫁でいることを求められるのが当然だった時代に。

長月のある日、作品を扱ってもらっている桝田屋で、仕上げてきたばかりの品がその場で売れたばかりか、新たに女将の美弥から依頼を受け、心弾ませながら立ち寄った日本橋の小間物屋で惹かれたのは一本の簪。

その“飛燕の簪”の制作者である錺職人の修次、不思議な双子のしろとましろとの出会いにより、繋がっていく“えにし”。

名前にちなんだ背守り。赤ん坊のおくるみや、子どもの身を守るために護符や迷子札を入れて持たせる守り袋には生まれ年の干支の刺繍を。季節の草花や祈りを込めた意匠をあしらった半衿に巾着、お財布。煙草入れに匂い袋、櫛や簪入れ。

気風が良くて面倒見の良い(時にはちょっとおせっかいなこともあるけど)姉御肌の咲が作り出すのは、そういった品々。

長月に始まり、神無月、霜月……と季節とともに進む物語。各季節に合わせた意匠を、糸の色や縫い方に細部までこだわり、何色もの糸を縫い分けて繊細に作り上げられる作品の描写を追うだけでも楽しく、ほんのりファンタジーな世界観も相まって、軽やかで色鮮やかな想像が脳内に広がります。

作中で、咲は修次の“飛燕の簪”に合わせた簪入れを作ります。

たった12かそこらで吉原に行くことが決まった姉お冴に、何か“綺麗なもの”を贈りたいと願う千太。行きずりの縁であっても姉弟に何もしてあげられないことに憤りを感じながら、せめてものはなむけにと夜を徹して想いを込め針を運ぶ咲。自分としては出来損ないだと言い放った“飛燕の簪”を、お冴のために作り直す修次。

この場面は本作の核になるすべてが詰まったシーンだと思いますので、ぜひ本作を読んでいただけたらと思いますが、咲が縫箔で描いた小さな世界に修次の簪を納めたとき、完成するその空間。あるべきパーツが、あるいはパズルがすべて、かちりとはまるように。

作中にも詳細な描写がありますが、単体でもすでに、なんとも言えない世界観を醸し出していた修次の簪(咲が忘れられなくなるくらい)。そんな、ただでさえ優れた出来の作品が、“あるべき場所”に納まった瞬間に、累乗で広がるその小さな世界の美しさはきっと格別だったことだろうと(銀細工の簪はあの方に、刺繍はあの方にお願いしたら実現可能だな……!と読みながら思わず脳内でシミュレーションしてましたね……)。

今宵の一冊より
〜秋野に雁と雀〜

 白い滑らかな指が包みを開くのを、咲はじっと見守った。
 包みを開いたてるの手が止まった。
 櫛入れは三つ折りにした。
 琥珀色の地色を黄昏たそがれに見立てて、表にはこぼれんばかりの白萩を斜めに流した。花の色も真っ白は控え、遠目には一見して白萩だとは判らぬやもしれない。
「……いかがでしょうか?」
 おそるおそる訊ねた咲へ、輝は潤んだ目を櫛入れから離さず微笑んだ。
「六つの鐘が……聞こえてきそうですよ」

知野みさき『神田職人えにし譚 ー飛燕の簪ー』ハルキ文庫

長月の最後の日。

大切にしてきた思い入れのある櫛を出来上がった櫛入れに納め、その世界がしっくりと整った瞬間の、輝の静かに深い喜びが伝わってきます。

そんなシーンから、白萩の着物に“飛燕”ならぬ秋の風物詩である“飛雁”の簪を添えたコーディネートを。

白萩に芝や蔦など、秋野の風景が染め分けられた大島紬。澄んだ綺麗な色と大島独特の硬質な質感に、初秋の早朝のひんやり冷たい空気が漂います。

合わせたのは、焦茶に藍という江戸好みな配色の組み織りの帯。組みならではの素材感と緩まない締め心地が魅力。

扇子には女郎花。秋らしい濃色の帯で引き締めながらも、初秋の涼感を残したコーディネートに。

小物は秋の日を思わせるような組み合わせ。

小物:スタイリスト私物

衿元には竹の刺繍半衿、白で表された秋野の柄を際立たせる濃色の帯には、竹に雀の帯留を添えて。

まるで竹林の1本を取り出して立体化したような……もしかしたら、咲と修次のこんな共作もあったかもしれません。

上空には渡ってきた雁、地上の竹の枝には雀。

そんな秋の日を思わせるような組み合わせ。

「竹に雀なんてありきたりですけど、一つ作ってみたくなって」
「ありきたりだから、意匠と技が物を言うのよ。ふふ、二羽とも愛らしい顔してる。雀は柔らかくて、温かそうで――竹は逆にぴしっとしてて」

知野みさき『神田職人えにし譚 ー妻紅つまくれないー』ハルキ文庫

銀細工職人の山口緩奈さんに制作していただいた帯留。

王道と言われる古典的なモチーフは「ありきたりだからこそ」

リアルな目は入れないで、でも脇から見たときも表情を感じる仕上がりにして欲しいとお願いして銀細工職人の山口緩奈さんに制作していただいた帯留。

着けてしまえば、そこまで見ることのない部分ではあるけれど、そういったところにこそ作る人のセンスや力量が表れる気がします。

アンティークの帯留

そしてこちらはアンティーク。

流水と飛ぶ雁が四角く象られた珍しい形で、この絶妙な配置と折れそうなほど細く繊細な首のライン、ふてぶてしく鋭い目付きがお気に入り。

季節のコーディネート
〜織の単衣・更紗〜

 路が笑って手を振るのに応えて、咲は一旦家に戻ってよそ行きに着替えた。
 昨日の今日だから、似たような格好は避けたかった。
 伽羅色の無地の木綿に、小豆色の大柄の更紗模様の帯を合わせてみた。千日紅が刺繍された財布は咲の手製の物で、可愛らしくも落ち着いた色合いが気に入っている。

知野みさき『神田職人えにし譚 ー飛燕の簪ー』ハルキ文庫

手がける作品や依頼主など他人の登場人物の装いに比べ、咲本人が着ているものについては意外と描写が少ないのですが、飛燕の簪が忘れられず店を再訪し、初めて修次に出会うシーンの咲はこんな装い。

前日、家賃と同じほどの値段に一旦は諦めて帰宅したけれど、夢にこそ出てこなかったものの、ずっと簪が脳裏にちらついて気もそぞろだったり、その挙句、買うにしろやめるにしろ、もう一度見てから思い切ろう!と心を決めたり……といった心理状況は、とてもよくわかります。

簪の意匠は燕と木蓮。その見事な細工に惚れ込んだ咲は、なんだかんだ言いつつ内心購入をほぼ決めていて、実際に使うのは半年以上も先になるけれど、それまでずっと見て楽しめるし“持っているだけで顔がほころぶ一品”だしーという、その内心の言い訳にも、なんだかもう心当たりがありすぎて(笑)。

このとき咲が着ている木綿をはじめ、紬や御召などの絹、絹と綿の交織などの織物の無地の単衣は、単衣が活躍する時期が長くなった昨今、いっそうお役立ち度が高まってきたアイテム。

裏表がなく、袷の人と並んでもさほど違和感のない適度な張り、織自体に表情があり、帯や半衿などの小物遣いでさまざまに楽しめる……そういった理由から単衣向きの素材と言える織物の中でも、まず一枚、とお考えの方に着こなしの幅広さや着心地の良さでおすすめなのは、やはり御召でしょうか。

作中で咲が着ている伽羅色は、もう少しオレンジみを含んだ茶よりのベージュかなと思いますが、こちらは砥粉色(少し黄みよりのベージュ)の御召。明るく顔映りのよい、程良い甘さと落ち着きのある色。

焦茶地に綺麗な多色遣いで更紗が染められた紬の帯を合わせて、カジュアルなワンピース感覚の着こなしに。

千日紅の巾着ならぬドット模様のポップなバッグや、帯に使われたシックな赤や紫のネイルなども似合いそう。

衿元にさりげなく季節感を添えて。

小物:スタイリスト私物

生成地に同系色で芒が刺繍された半衿を合わせ、衿元にさりげなく季節感を添えて。

蜻蛉玉の組み出し帯締め、染め分けの帯揚げは、ともに帯に使われた色からピックアップ。半衿は着物になじませつつ、帯や着物のメインカラーを帯周りの小物に選ぶことで、アクセントに使われている鮮やかな色がより映える組み合わせに。

更紗自体には柄としての季節感はないので、半衿などの小物を変えることで、そのままの組み合わせでも印象を変えて楽しむことができそうです。

季節のコーディネート
〜織の単衣・高砂〜

「元禄七年というと――」
歴代の年号を思い出そうとした咲へ、関根は茶目っ気たっぷりに応えた。
「九十九年前――ざっと百年も前の物だよ」
「百年前」
能役者は装束をそれはそれは丁重に扱っているから、百年物の帯や着物があってもおかしくない。咲が驚いたのは、その帯を――これから百年受け継がれるやもしれない物を――己に任せてもらえることだ。
女の方が圧倒的に着物に贅を求めるというのに、御台所のお召し物より贅沢と思しき能装束を女がまとうことはない。
また、能装束を女の職人が手がけることもまずなかった。

〜中略〜

「……私が縫っていいんですか?」
おそるおそる問い返すと、関根は目を細めて頷いた。

知野みさき『神田職人えにし譚 ー妻紅つまくれないー』ハルキ文庫

打掛や能装束など、煌びやかな衣裳に用いられることの多い“縫箔”という技術。そのため、本作には能にまつわるエピソードも多数登場します。

抜粋したのは、能役者である関根から“流水文様に睡蓮の縫箔が入った、熨斗目色を基調にした腰帯”の復元を依頼されるシーン。着物や帯など主たる衣裳の仕立ては男の仕事であり、女の職人など認められないという風潮の中で、いつか私も……という思いを胸に秘め腕を磨いてきた咲が、初めて大きな仕事を任されることになり胸を躍らせます。

これから100年残るかもしれないもの――という感覚は、アンティークと呼ばれる品々の持つ見事な世界観に触れるたびに実感します。

今作られているものや自分自身も関わって作っているもののうち、ほんの僅かでも、これから100年残るものであってくれたら嬉しいのですけれど……

落ち着いた艶のある黒の塩瀬地に、能の代表的な演目のひとつである『高砂』の世界観が日本刺繍であしらわれた袋帯。

着姿をぐっと引き締め改まった印象になりつつも、のびやかでどこか長閑さのある刺繍が、堅苦しくなりすぎず軽やかに晴々とした空気感を醸し出しています。

無地の織物、とくに御召はセミフォーマルにも対応できる素材ですので、背に一つ紋を入れておくと着用シーンの幅が広がります。

家紋だと改まりすぎるので、きちんとした場でも遊びでもどちらでも着ることができるよう、さりげない洒落紋や家紋を少しアレンジした縫い紋などがおすすめ。

鶴や松、竹と合わせて完璧なおめでた仕様。

小物:スタイリスト私物

『高砂』に由来する意匠であるため当然のことながら、帯前には亀甲に花菱と梅、お太鼓にあしらわれた鶴や松、竹と合わせて完璧なおめでた仕様。

菊に短冊があしらわれた、明治時代に制作されたアンティークの彫金の帯留を添えて『重陽の節句』に。季節のモチーフと、“延命長寿”に加え“永遠の健やかな美”への願いも欲張りつつ。

ここでご紹介したように紋付の色無地に合わせれば、長寿祝の席にはもちろん、結婚式の参列などにもふさわしい装いに。あるいは、仰々しくなりすぎないので、ご夫婦で結婚記念日にホテルでお食事……そんなシーンにも素敵ですね。

秋だけでなく春先の単衣にも、また、袷の訪問着や江戸小紋などに合わせて新春の装いにも。

大きな花籠の刺繍紋

小物:スタイリスト私物

ちなみにこちらは、まさしく伽羅色の無地紬(袷)の背に入った大きな花籠の刺繍紋。縦横8×13㎝くらいありますので、さりげなくどころではなく、もうすでに“柄”と言っても良いくらい(お太鼓にあってもおかしくないくらいの大きさなので)。

この着物は20年以上前に譲っていただいたものなのですが、やはりこれだけ紋が大きいと、どうあがいても主役にしかなりようがない存在感で、結局、合わせる帯は無地感覚の一択に(笑)。

それはそれで、この着物の個性としてアリなのですが、もし、これからまずは一枚とお考えの場合はあまり紋を大きくしすぎない方が使い勝手が良いかもしれません。

留袖などに入れる通常の家紋の大きさは、現代では女性の場合直径5分(2㎝弱)が一般的。

もちろん紋のデザインや着用する方の身長などにもよりますが、洒落紋として少し大きめにするにしても、8分(約3㎝)くらいまでがバランスが良いのではないかと思います。

その存在感が強すぎず弱すぎず、合わせる帯や八掛、小物なども含め着姿全体で世界観が構成できるように。

今宵の一冊より
〜吹き寄せ〜

 袖から丸めた紙を取り出して、三四郎は広げた。
 実り豊かな稲穂が、向きを変えて散らしてある。稲穂の背後にエ霞文様が描かれているところが幽玄さを感じさせた。ただし書きには金箔はもちろんのこと、薄黄だの藤黄とうおうだの黄色の名がいくつも連ねてあることから、収穫前の田んぼを思わせる。

知野みさき『神田職人えにし譚 ー相槌あいづちー』ハルキ文庫

その力量と、意匠についての才を認める師匠から、助力を依頼され能装束の制作に関わることになる咲。

長年の念願であったはずの衣裳制作、弟子時代には手を出させてもらえなかった衣裳本体の制作に携われた、その喜びも達成感もあったけれど……

何人もで手分けして作業する大掛かりな装束の制作よりも、最初から最後まで自らの手で制作する小物の制作。そこから得られる濃密な喜び。

そしてお互いがその腕を認め合う修次との、打てば響くようなやりとり。打打発止とやり合う中で、研ぎ澄まされ磨き上げられて生み出される作品。その面白さや手応えは、ある種の“快感”と言っても過言ではないほど。

貴重な経験を経て改めて見えてきた、咲自身が望む在り方とは――。

着物:総刺繍地訪問着
帯:西陣綴れ織両面袋帯 「稲穂に鳴子」
小物:スタイリスト私物

菊唐草の地紋が織り出された深い葡萄色えびいろの地に、刺し子のような格子が染められ、吹き寄せの刺繍が散りばめられた古典的でありつつも個性的な訪問着。

江戸っ子らしい小粋な印象の格子柄に散らされたのは、吹き寄せー咲が得意とする季節の草花ーの刺繍。ちゃきちゃきとせっかちで気風が良く、気が強くてしっかり者、あまり見せないけど実は結構可愛らしいところもある……そんな咲のイメージにも重なります。

上品な艶と深みのある色は顔写りも良く、秋から冬にかけて、さまざまな帯を合わせて楽しめそう。

まずは鳴子と稲穂が織り出された綴れの帯を合わせて、深まる秋をまとう装いに。

作中で装束を制作することになる『小鍛冶』(天皇の勅命により宝剣を打つことになった刀匠小鍛冶宗近が、稲荷明神の化身の相槌により名刀「小狐丸」を打ち上げるまでの物語)は、能だけでなく歌舞伎や文楽の演目にもなっているので、観劇の機会があればぜひこんな稲穂モチーフを取り入れて。

こちらの雀は季節限定のお楽しみ。

小物:スタイリスト私物

ふっくらとした菊の花が織り出された半衿に、箕の中で2羽の雀が米を啄んでいる金細工の帯留。稲穂の色の二分紐をぴりっと効かせて。

先程の銀細工の雀は組み合わせ次第で通年使用可でしたが、こちらの雀は季節限定のお楽しみ。

お正月の装いなら、柔らかな白地にカラフルな独楽が刺繍された名古屋帯を。

組み合わせると少々くどく息苦しい雰囲気になるため、なるべく刺繍に刺繍(着物&帯だけでなく、半衿&帯なども)は避けるのですが、このくらい無地場の多いバランスであれば違和感なくなじみます。

「物事がうまく回る」「お金や仕事が回る」と、縁起物とされた独楽。真っ直ぐに芯の通った一本の足で立ち、勢い良く回るその姿は“自立”や“意志を貫く”という意味もあり、職人として自立する咲のイメージにもぴったり。

ほんのり紅白の組み合わせは、なんとも程の良い華やぎも。黒の羽織を重ねて新年会や新春歌舞伎などに出かけたくなるような、そんなコーディネートに。

新春の改まった雰囲気と華やぎが高まります。

小物:スタイリスト私物

小さな松葉を散らした半衿に、柔らかな薄柳色の帯揚げ、わずかに黒みがかった深紅と深紫の配色が美しい帯締め。

小物の綺麗な色遣いで、新春の改まった雰囲気と華やぎが高まります。

依頼を受けたとき、咲はその人の“背景”を知りたがります。どういった顔立ちで、衣服の好みで、どんな生活をしている人なのか。人形の衣裳の依頼を受けたら、その人形が見たいし、演目の衣裳ならば、当然その内容と役柄が知りたい。それによって目指す世界が大きく変わるから、当然のこと。

誰か(何か)のためだけの、たったひとつの作品を作る。

私もオーダーを受けて着物や帯を制作することも多いので(スタイリングの仕事においても基本的な臨み方は同じ)、深く頷く部分が多々ありました。

私は咲と違って、書以外は自分自身の手で制作するわけではないけれど、信頼して任せていただける喜びも、その方のことを考えながら意匠やバランス、デザインを試行錯誤する苦しみも、悩んだ末に決めたデザインを職人さんに依頼し、出来上がりを待つ一抹の不安を孕んだ楽しみも、出来たものをお見せする際の、その反応を緊張して待つ心情も……とてもよくわかります。

もちろん信頼する職人さんにお願いするわけですし、自分でもこれなら欲しいと思うくらい良い仕上がりで出来上がってくることがほとんど。きっと気に入っていただけるはず!と自信はあっても(そこは一応、プロとしての最低ライン)、ひとの好みはやはりさまざまですし、解釈違いの可能性がゼロとは言えないので不安が一切ないわけではなく……。どきどきしながら納品し、無事お気に召していただけたら本当に嬉しくて、心の底からほっとします。

でも改めて考えると、しんどい部分もあるけれど、最終的に誰かのためだけの、たったひとつのものを作る喜びや楽しみの方が勝るから続けていられるのでしょう。

江戸時代の26歳というと、感覚的には現代で言えば30代後半くらいでしょうか。

これまでに何度もやるせない思いも憤りも経験し、それはそれとして飲み込んで人前では決して涙を見せず、職人として生きることを選択してきた咲。

咲と錺職人 修次との関係も、ほんのり恋愛要素は孕みつつも、単純なそれだけではなくて。特に咲の方はまだ、互いの腕を認め合った好敵手のような、共闘する戦友のような立ち位置が居心地良く、関係を進展させることに躊躇している。

仕事場を兼ねた2階のある長屋の家賃を、自分1人の働きでどうにか払えるようになり、仕事を基本としたひとり暮らしの生活ペースを作りあげてしまった咲は、誰かとの生活も考えられないでいる(たぶん、修次が腕の良い職人に加えて、女性にもてる優男だからよけいに。そんなに意地を張らなくてもとも思うけれど、この対等な関係の上に成り立つ夫婦関係なら理想的だろうなとも思うので、その気持ちはわからないでもないですね笑)。

意地っ張りでせっかちで、面倒見は良いけどたまにおせっかい。縫箔師という仕事が好きで、腕を磨く努力を怠らず、誇りを持って仕事に臨んでいる。そんななかなか魅力的なキャラの咲には、ちょっと親近感を抱いてしまいますし、現代で自らが選んだ仕事に邁進する女性たちにも、共感できる部分が多いのではないでしょうか。

とりあえずこのシリーズはまだ完結していないので、2人の関係がこの先どうなるのか……その辺りも楽しみに、続刊を待ちたいと思います。

さて次回、第四十一夜は……

黒羽織の似合う夜。

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