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溺レル幸福 〜小説の中の着物〜 谷崎潤一郎『痴人の愛』「徒然雨夜話ーつれづれ、あめのよばなしー」第三十七夜

溺レル幸福 〜小説の中の着物〜 谷崎潤一郎『痴人の愛』「徒然雨夜話ーつれづれ、あめのよばなしー」第三十七夜

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小説を読んでいて、自然と脳裏にその映像が浮かぶような描写に触れると、登場人物がよりリアルな肉付きを持って存在し、生き生きと動き出す。今宵の一冊は、谷崎潤一郎著『痴人の愛』。側から見れば破滅であろうが堕落であろうが、賢いふりをせず、開き直って、理性も常識も道徳も自らを縛るすべてを手放して、ただ欲望のままに溺れてしまうことができたなら。それはもしかしたら……とても幸せなことなのかもしれません。

今宵の一冊
『痴人の愛』

谷崎潤一郎『痴人の愛』新潮文庫

谷崎潤一郎『痴人の愛』新潮文庫

近頃でこそ一般の日本の婦人が、オルガンディーやジョウゼットや、コットン・ボイルや、ああ云うものを単衣に仕立てることがポツポツ流行って来ましたけれども、あれに始めて目をつけたものは私たちではなかったでしょうか。ナオミは奇妙にあんな地質が似合いました。それも真面目な着物ではいけないので、筒ッぽにしたり、パジャマのような形にしたり、ナイト・ガウンのようにしたり、反物のまま身体に巻きつけてところどころをブローチで止めたり、そうしてそんななりをしてはただ家の中を往ったり来たりして、鏡の前に立って見るとか、いろいろなポーズを写真に撮るとかして見るのです。白や、薔薇色や、薄紫の、紗のようにとおるそれらの衣に包まれた彼女の姿は、一箇の生きた大輪の花のように美しく、「こうして御覧、ああして御覧」と云いながら、私は彼女を抱き起したり、倒したり、腰かけさせたり、歩かせたりして、何時間でも眺めていました。

谷崎潤一郎『痴人の愛』新潮文庫

今宵の一冊は、谷崎潤一郎著『痴人の愛』。

谷崎潤一郎の代表作といえば、やはり王道は『細雪』なのでしょうが、今回はあえてこちらに(とは言え、この『痴人の愛』も、あえてあらすじをご紹介するまでもないほどに有名な作品ではあるのですけど)。

カフエエ(作中表記)で見染めた15、6の少女ナオミを引き取り、自分好みの女性に育て上げ妻にする(これは『源氏物語』以降、永遠の男性の夢とも言えるテーマなのでしょうね……)譲治。生真面目なサラリーマンであったはずの譲治が、艶やかな徒花のごとく開花していくナオミに翻弄され、いつの間にか主従が逆転していく(いや、実は最初から……?)過程が描かれます。

谷崎作品のほぼすべてにおいて言えることではありますが、ストーリーとしては、とにかく著者の志向全開と言いますか(そう言うと身も蓋もないけれど)、この時期の著者の理想の女性像と自分との有り様をストレートに書き綴ったものなので、現代的な感覚で言うとツッコミどころがあり過ぎて正直語りようがないのですが、谷崎作品を読んでいて面白いなと思うのは、著者本人のこだわりがそのまま投影されているがゆえに、登場人物の仕草や行動の細部が自然で、まるで記録映像を観ているかのようにリアリティがあり、体温や湿度を感じる描写が多いところ(だからこそ、変に実感できすぎて何ともいたたまれないような気分になることも)。

ぴっちりとした白足袋に包まれた足や履き物へのこだわり(さすが足フェチで名高い大谷崎)、素肌に纏っては家事嫌いのナオミが洗濯もせず脱ぎ散らかす垢染みた絹の着物(その匂いまでも感じられそうな……)。目の前で着物を着替え、譲治を翻弄するナオミの仕草。また、ナオミが作る着物の詳細な費用やその扱い、贅沢の仕方が徐々にエスカレートしていく様子などもなんだか妙にリアルで。

譲治がナオミを引き取る前、カフエエでの彼女の姿を見て着物の下の彼女の体型を想像するシーンがあります(これも実際に著者がそういう目で女性を見ていたんだろうなと思うと、なんとも言えない気分になりますね……正直過ぎる笑)。サイレント映画の大スター、メリー・ピクフォードに似ていると描写されるナオミは、この時代にしては珍しく洋風な体型をしていたようですが、この頃の実際の写真を見ると、大部分の女性と現代の私たちの体型と最も違う部分は、何よりも肩山から胸の距離。極端な撫で肩で肩のハリがないため、衿の左右の部分の面積が狭い(というかほとんどない)んですよね。だから帯の幅が広く(胴が長いとも言える)、位置も高くなる。

昔は現代よりも裄が短かったのは、この肩の無さがいちばんの要因(単純に手が今より短いというのももちろんありますけど)。そのため、撮影などでモデルさんにアンティークの着物を着せてヘアメイクもその時代っぽく仕上げても、肩幅しっかりめの方だとなかなかその雰囲気が出なかったりします。

妄想、あるいは描写力というだけにしてはリアリティに溢れすぎていて、たぶんこれ実話なんだろうな……と妙に納得させられるシーンの数々が、本能に忠実で自由な、そして哀しいほどに浅はかな(でもだからこそ、譲治を惹きつけてやまなかったのだろうけれど)ナオミを鮮やかに形づくり、体温や息遣いまでも感じさせる。

2人の堕ちていく様は、側から見れば明らかに破滅であり堕落なのでしょうが、当事者同士で完結し他者に迷惑さえかけないのであれば、賢いふりをせず、正しさも求めず、理性も常識も道徳も、それらすべてを手放して、ただ欲望のままに溺れてしまうことができたなら、それはもしかしたら、当人たちからすれば本望というものなのかもしれず(普通はそれができないから、そこまで振り切れることに、ある種憧れる気持ちもわからないでもないのですけどね)。

ナオミの、自分を赦すであろう相手に対して、当たり前のようにそこに胡座をかけてしまう傲岸さというか、浅はかな冷酷さというか。誰しもが無自覚に持つそんな心理が少なからず理解できる(それを実行に移すかどうかは、とりあえず置いておいて)だけに、読んでいてかなり哀しく痛々しいものがありますし、譲治のナオミを見る目は、まさに著者が女性を見る目そのものなので、あまりのわかりやすさに苦笑いするしかない箇所が多々あるのですが、まぁここまで開き直ってしまえば2人ともある意味幸せなのかもしれません。

今宵の一冊より
〜オルガンディー〜

抜粋部分にある“地質が合う”という描写。

ここでもいくつか挙げられているように、大正時代に入ってそれまでにはなかったさまざまな種類の生地が作られるようになり、庶民の手にも届く(もちろんまだまだ生活に余裕のある富裕層に限られますが)ようになってきたからこそ、“合うor合わない”という感覚が生まれたと言えます。選択肢が存在しなければ、合うも合わないもないですから。

昭和に入り『細雪』の頃になると、国内で生産されたものが夏着物の素材としても一般的になっていますが(三女の雪子が蛍狩でジョーゼットを着ているシーンがありますね)、大正末のこの頃はまだ本当に最先端といいますか、ドレスや洋服の素材として輸入された生地を利用している感じでしょうか。

実際、体型によって合う素材、合わない素材はあります。着物の場合、形状が同じなので余計にそれが顕著であるように思います(作中のナオミの場合は、形状すらも普通じゃダメと言われていますが)。私自身も、自分の体型や動きにどうにも合わず(馴染まず、という方がしっくりくるかも)素材感自体は嫌いではないのだけれど着ないという生地も。しかしそればかりは実際に着て動いてみないとわからないので、悩ましいところ。

鮮やかな薔薇色……ローズレッド、あるいはワインレッド。
僅かにピンク寄りの、深みのある艶やかな赤。

ナオミであれば難なく着こなすでしょうが、全身にその一色を纏うには、なかなか勇気のいる色。しかし、緞子の落ち着いた質感と地紋が上品さを失わず、ほんの少し毒気を含んだ仄暗い魅力的な艶感を醸し出しています。

本作中に描写のあるナオミお気に入りの大島紬になぞらえて、亀甲柄の八寸帯を。強い色を主役に、引き合う同じ強さを持つ帯や、水玉を織り出したオーガンジー(オルガンディー)の羽織など、幾何学模様を組み合わせたモダンな着こなしに。

幾何学模様を組み合わせたモダンな着こなしに。

小物:スタイリスト私物

本作中にも「リボンを買ってきて半襟に」という描写がありますが、幅広のレースのリボンを半襟にして。土台の白を透けさせることで、より涼やかな印象に。

透けると言っても、こういったレースを用いるのであれば夏限定という訳ではないので、秋冬に使うなら濃い色の半襟に重ねて付けても違う表情を楽しめます。

ヴィンテージの紫水晶の帯留、そしてレースの半襟や絞りの帯揚げと、薄紫、銀鼠、シルバーでまとめた小物遣いが、着物と帯の個性的な組み合わせを品良くモダンに仕上げてくれます。

小物:スタイリスト私物

こんなスタイリングなら、レースの手袋など少々クセの強い小物遣いも似合います。

現代ものであるこの単衣はしっかり裄がありますが、アンティークの着物だと裄が短いことも多いので、手袋や袖口から見せる付け袖などを組み合わせても個性的な着姿に。

ちなみにこのレースの手袋は、アンティークのクラッチバッグを入手した際にたまたまそのポケットに入っていたもの。このバッグのかつての持ち主が、実際に使っていたのでしょう。くしゅくしゅと小さく縮まってポケットに入っていたので、ちょっと得した気分でした。

今宵の一冊より
〜咲き誇る青〜

白地の夏大島に染められたのは、目に鮮やかな青のグラデーションと、繊細さと大胆さが同居するような、どこか危うい雰囲気が印象的なペイズリー柄。

白に青……と色だけ聞くと、なんとなく爽やか、あるいは清楚といったイメージが先に浮かびますが、ナオミを念頭に置いてスタイリングすると、やはりそうはなりませんね。

艶やかに咲き誇る大輪の青い花を身に纏えば、梅雨時の鬱陶しさも真夏の厳しい陽射しも跳ね返してくれそうです。

小物の色選びもかなり楽しめそう。

小物:スタイリスト私物

夏の色遣いは3色以内……とよく言われますが、ひと口に青と言っても、これだけのバリエーションが着物の柄に含まれていたら小物の色選びもかなり楽しめそう。帯の色はあえて抑えめにして、柄の強さでバランスを取りつつ、着物の柄に使われた青の中から最も明度の高いターコイズブルーを帯揚げに。胸元にくっきりとしたメリハリが生まれます。

帯留にしたのは、エナメル細工のヴィンテージのブローチ。帯の、墨黒の地に描かれたランダムな手描き風の霞がまるで夜の嵐のようで、ナオミに翻弄される譲治の心中を物語るような……そんなイメージを重ねて。

季節のコーディネート
〜紋紗〜

こんなに鮮やかな濃い鶸色の地色も珍しく、なかなかに人を選ぶ色だとは思いますが、ハマると、まるでその人のために染めたのではと思えるほどにしっくりくる……そんな一枚ではないでしょうか。

合わせたのは、夏着物の醍醐味とも言える原始布ー科布ーの帯。古代において、悪霊から身を守るためや呪力を高めるために身に描かれた文身いれずみを思わせるような文様が藍で描かれています。

プリミティブで生命力に溢れた、夏らしさ全開の組み合わせに。

地色に負けないくらい鮮やかな色の小物を効かせて。

小物:スタイリスト私物

半衿には、墨描きの百合と銀彩で蜘蛛の巣がひと筋。

このままシックにまとめるのも良いけれど、ここではあえて、地色に負けないくらい鮮やかな色の小物を効かせて。

ゼブラ柄のようにも思える地紋。

紋紗地に浮き上がるのは、よろけ縞?波縞?のような地紋。墨で描かれた芭蕉の葉の力強さとも相まって、ゼブラ柄のようにも思えます。

透け感がさほど強くなく適度な柔らかさと軽やかなハリ感のある紋紗は、単衣の時期から盛夏を通して着られる便利な素材。夏の絹物と言えば、絽か紗の二択と思われているかもしれませんが、紋紗には地紋によってもさまざまな表情がありますし、無地でも楽しめる(ゆえに薄羽織にも向く)素材ですので、まず一枚めの夏物をお考えの方にはおすすめです。

今宵のもう一冊
『蓼喰う虫』

谷崎潤一郎『蓼喰う虫』新潮文庫

谷崎潤一郎『蓼喰う虫』新潮文庫

着物にかけては要も妻に負けない程の贅沢屋で、この羽織にはこの着物にこの帯と云う風に幾通りとなく揃えてあって、それが細かい物にまでも、———時計とか、鎖とか、羽織の紐とか、シガーケースとか、財布とか、そんな物にまでおよんでいた。それを一々呑み込んでいて、「あれ」と云えば直ぐその一と組を揃えることの出来るものは美佐子より他にないのであるから、この頃のように夫を置いて一人で外へ出がちの彼女は、出かける時に夫のために衣類を揃えて行くことが多かった。

〜中略〜

 両手を腰の上へ廻してつづれ・・・の帯を結びながら、彼はしゃがんでいる妻の襟足を見た。妻の膝の上には彼が好んで着るところの黒八丈の無双の羽織がひろがっていた。妻はその羽織へ刀の下げ緒の模様に染めた平打ちの紐を着けようとして、毛ピンの脚をへ通しているのである。彼女の白いてのひらは、それが握っている細い毛ピンを一とすじの黒さにくっきり・・・・と際立たせていた。みがき立ての光沢つやのいい爪が、指頭と指頭のカチ合うごとに尖った先をキキと甲斐絹かいきのように鳴らした。

〜中略〜

立っている彼には襟足の奥の背すじが見えた。肌襦袢の蔭に包まれている豊かな肩のふくらみが見えた。畳の上を膝でずっ・・ている裾さばきのふきの下から、東京好みの、木型のような堅い白足袋をぴちりとめた足頸あしくびが一寸ばかり見えた。

谷崎潤一郎『蓼喰う虫』新潮文庫

今宵のもう一冊は、同著者の『蓼喰う虫』。

妻に対し性的な興味を持てなくなったかなめと、夫から促され公認で家庭外に恋人を持ち、足繁く通う妻美佐子。離婚の意思は双方持ちながらも、どちらもが能動的に状態を打破するのを躊躇し、なんとなくずるずると続いている日常が描かれます。

実際にあった、著者本人の私生活におけるとある事件を背景にした作品と言われていますが、それはどうやら本作の内容以上にややこしい状態だったようです(『痴人の愛』の、ナオミのモデルとされる妻の妹も絡み)。ただここでその詳細を語り始めると長くなりすぎるので、ご興味のある方は著者自ら発表し当時のマスコミを賑わせたという『細君譲渡事件』を調べてみてください(この“譲渡”という表現が、いかにも時代だなぁと思いますが)。

『痴人の愛』の頃のハイカラ好み、西洋文化賛美の傾向から、後年の伝統的な純日本的美意識への傾倒ー『陰翳礼讃』的思考ーに至る、ちょうど過渡期(関東大震災を境とした、大正末〜昭和初の数年間)に発表された作品なので、著者の志向の変遷がはっきりと表れていて、まるで彼の思考を辿るかのような錯覚にとらわれます。

結局のところ、これまた要(著者)にとって理想的な女性像についてひたすら語るだけの内容ではあるのですが、やはりこの作品も、散見される妙にリアルな描写がらしくて・・・・面白い。

抜粋部分の、ヘアピンを使って羽織紐を通す美佐子の姿。少し足を崩した座り方や、要が上から妻の姿を眺め衣紋の内側に覗く肌に思いを巡らす描写。コンパクトを取り出し人前で化粧直しをする美佐子に、苦言を呈する父(この作品が書かれたのは昭和初期。1世紀も前から、現代と同じことが言われているわけで……結局、どの時代においても、その時代時代の「今時の若者は」があるということですね)。

また、その父が共に暮らすお久(父が自分好みに仕立て上げたお久は、現代的な女性として描かれている美佐子に対して“人形のような”古典的な女性を体現する存在として描かれる)のふとした仕草や、骨董市で入手した帯が古くて締めづらいため、手を貸して締めてやる際のやりとりなど、著者の生活の中で実際にあったのだろうなと思わせられるシーンが多々あり(ちなみに、お久に対しああしろこうしろと口うるさく指示する父の好みや生活スタイルは『陰翳礼讃』にも綴られた著者の美意識そのもの)、それもまたこの作品の湿度というか体温というか……ちょっと息苦しいほどの生々しさを感じさせる一因であるような気がします(抜粋部分にもある通り、当然この作品内でも御大の足フェチぶりは健在。谷崎作品をすべて読破したわけではないので定かじゃないのですが、それらしき描写がいっさいない作品ってあるんでしょうか?笑)

抜粋部分で描かれたのは黒八丈の袷の羽織ですが、ちょうどこれからのシーズンにぴったりの夏物がありましたのでご紹介。

しゃりっとしなやかなハリのある風合いが魅力的な夏黄八。
透けた黒が目に涼やかで、さりげなく織り出された縞が粋過ぎず上品な雰囲気です。

波縞の横段が織り出された絽綴れは、濁りのない白鼠の地色が程良く、ぴかぴかの真っ白よりもさまざまな着物に合わせやすいため出番が多くなりそうなひと筋。

モノトーンでシンプルにまとめた、素材感で魅せる夏ならではの組み合わせに紋紗の長羽織を重ね、さて、文楽でも観に参りましょうか。

シックな墨黒と紫の斜めぼかしから、木目のような細かい地紋越しにうっすらとお太鼓が透ける紋紗の長羽織。

透け感もそれほど強くないので、3月くらいから11月くらいまで、塵除けのようなイメージで長く使えそうです。

お太鼓も、夏の着物には小ぶりにすると涼しげな印象に。

私個人としては角出し一択だけれど(枕がない方が涼しいですし)、この頃の“いいとこの奥様”である美佐子なら、お太鼓結びでしょうね、きっと。

お太鼓も、夏の着物には少し小ぶりにすると涼しげな印象に。

季節の柄が描かれた夏の染め帯も素敵だけれど、持っていていちばん重宝するのは実はこういったタイプ。ここでのコーディネートのように織の着物にも合いますし、先程ご紹介した白地のペイズリー柄の大島みたいな大柄の着物にも、また細かい飛び柄の小紋や江戸小紋、付下などに合わせてお茶席や少しきちんと装いたいセミフォーマルな着こなしにも使えます。

ムーンストーンがあしらわれたアンティークの帯留を。

小物:スタイリスト私物

流水に猫目石とムーンストーンがあしらわれたアンティークの帯留を。

扇子には蛍。着物や帯だけでなく、扇子もやはり、あーまたこの時期が来たなと1年ぶりの逢瀬に嬉しくなります。

襦袢は、ここでは美佐子のイメージで白無地にしましたが、透け感を活かして柄のある襦袢を合わせても素敵ですね。

女は神か、玩具か。

『痴人の愛』にしても『蓼喰う虫』にしても、そのどちらかにしか惹かれない著者の好みがあまりにもはっきりと表れ過ぎていて、その潔いまでの徹底ぶりにはもはや感心するしかないのですが……。

特に『蓼喰う虫』は、いわゆる谷崎っぽさと言いますか、わかりやすく耽美でマニアック、といった世界観は多少薄め(あくまでも同著者比ですが)なので、谷崎作品のそういったところが好きという方には少し物足りないかもしれません。

しかしそれだけに、彼の根本的な女性に対する志向(時代が違うので、その是非はともかくとして。あ、いや“時代”の問題ではないな、この人の場合……)がねっとりと全編に絡み付くような。劇的な事件が起こるでもなく、普通に、現代でもありそうな日常が淡々と進むだけに、なんというか……ある意味とても怖い作品だなぁと(発表当時『海藻が怪しく交錯する海底の底を覗く思い』と評されたというのがよくわかります)。

ずいぶん前に読んだときには、あまりそういう印象ではなかった気がするのですが(忘れてるだけかもしれませんけど笑)、今回取り上げるために再読してみて改めて感じたのは、仄暗い闇に白く浮かぶ薄笑を浮かべた文楽の人形のかおを観るような……なんとなく、ぞくりとくるような、そんな感覚。

本作中で重要な1つのメタファーとして淡路島の人形浄瑠璃が登場しますが、数年前に人形の衣裳制作に関わる機会があり、その演目が作中で演じられたりしていましたので、個人的には改めてその部分がよりリアルに感じられた再読でした。

……あ、それから。

両作品とも、膨大な注釈も読みどころのひとつ。数百個、30ページ以上に及ぶ注釈は、それだけでも短編作品くらいのボリュームがあり、時代背景などもフォローしてくれるので読み応えがあります。

さて次回、第三十八夜は。

陽炎にゆらぐ、妖しの夏ごろも……

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