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羅(うすもの)や 〜小説の中の着物〜 瀬戸内寂聴著『いよよ華やぐ』「徒然雨夜話ーつれづれ、あめのよばなしー」第二十六夜

羅(うすもの)や 〜小説の中の着物〜 瀬戸内寂聴著『いよよ華やぐ』「徒然雨夜話ーつれづれ、あめのよばなしー」第二十六夜

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小説を読んでいて、自然と脳裏にその映像が浮かぶような描写に触れると、登場人物がよりリアルな肉付きを持って存在し、生き生きと動き出す。今宵の一冊は、瀬戸内寂聴著『いよよ華やぐ』。ざっくりと荒々しくしなやかで、きっちり巻いていてもゆったりと呼吸ができて、身体を無理なく支えてくれる、おおらかな力強さ。抗い難い、太布ー自然布ーの魅力。

2023.05.29

まなぶ

宵闇に、白地のゆかた 〜小説の中の着物〜 宇野千代著『おはん』「徒然雨夜話ーつれづれ、あめのよばなしー」第二十五夜

2022.06.29

まなぶ

かくも凄まじき芸の道 〜小説の中の着物〜 有吉佐和子『連舞・乱舞』「徒然雨夜話ーつれづれ、あめのよばなしー」第十四夜

今宵の一冊
『いよよ華やぐ』

瀬戸内寂聴著『いよよ華やぐ』新潮文庫

瀬戸内寂聴著『いよよ華やぐ』新潮文庫

 玄関のブザーが鳴り、珠子が扉をあけると、ゆきが入ってきた。白衿にはこまかい紫の麻の葉の刺繍がついていて、ブルー地に黒の目のつんだ縞の着物を着ている。あらい織りの生なりの夏帯が縞をひきしめていた。銀色の髪をふっくらとかき上げ、小さな髷に硝子の薄い櫛をさしている。一分のすきもない装いが、クーラーの風より涼しさを誘う。
「あら、珍しい帯ね」
 坐るのを待ちかねたように阿紗が言った。
「これ、いいでしょう。阿波の太布なの。あらい機で昔の太布を再現して織ってる人がいるのよ」
「たふってなあに?」
珠子が珍しそうに訊く。
「科の木や楮の木の皮の繊維で織ったものなの。絹や木綿の前はみんな木の皮をつむいでいたんでしょうね」
「じゃ、卑弥呼はそんなもの着ていたのかしら」
「たぶんね、ああ、おなか空いた」

瀬戸内寂聴著『いよよ華やぐ』新潮文庫

今宵の一冊は、瀬戸内寂聴著『いよよ華やぐ』。

千葉鴨川の老舗旅館の娘として生まれ、96歳で亡くなるまで、明治から平成の4時代を華やかに生き抜いた俳人 鈴木真砂女をモデルに描かれた小説です。

冒頭で取り上げたのは、主人公の藤木阿紗女を含めた仲の良い女性3人のある夏の会話。

俳人であり、また小料理屋の女将として、着物姿で店に立ちくるくると立ち働く日々を送る阿紗女。他の2人も日々それぞれの仕事に励み、美味しい肉が手に入ったと言っては集まってしゃぶしゃぶに舌鼓を打ち(皆驚くほど健啖家で、カツとか鰻とか、かなり重めのメニューもよく登場します。もちろんお酒も)、足繁く温泉や旅行に出かけ、酒食を堪能し、美容、おしゃれ、恋の話で盛り上がる。まさしく”女子会”って感じの風景ですが、その顔ぶれは、91歳の阿紗女を筆頭に、きもの研究家であり、その審美眼を活かしたこだわりの品揃えで通な客を唸らせる呉服店を経営する81歳のゆき、朗らかで愛嬌があり、人気のスナックのママである72歳の珠子…という…

60代の阿紗女の娘薫も含め、彼女たちのエネルギッシュで生命力に溢れたその姿は、ほんともう、この人たち…人間じゃなくて妖怪か何かなんじゃないか、あるいは他の生命体からエネルギーを吸い取って生きてるんじゃないかと思えるほどですが、健康で、これだけ思うがままに生きられたら人として本望でしょう、とある意味うらやましいとも言えるものがあります(まぁこの作者ならではと言いますか…いろいろ生々し過ぎて、辟易するところもありますが笑)。

2022.11.20

よみもの

濃密かつ丁寧に描かれた、特殊な愛の物語 『あちらにいる鬼』「きもの de シネマ」vol.20

今宵の一冊より
〜太布/榀布〜

本稿冒頭のイメージ画像でご紹介したのは、榀布(左:しなふ)と楮布(右:こうぞふ)。

作中にも説明があるように、“太布”は、榀、楮、藤、芭蕉、葛布など原始布、古代布とも呼ばれる自然布の総称として使われますが、『阿波の太布なの』という台詞からしても、ゆきが締めていたのは楮布(無形文化財にも指定され、徳島県の木頭で今も織り続けられている“太布織”)だったのではないかと思われます。

木頭では一般的な“こうぞ”ではなく“かじ”と呼ばれる“楮”の繊維は和紙の原料でもあり、古来より、人々の生活に密着して活用されてきた素材であることが窺えます。

作中でゆきが締めていたのは楮布でしたが、ここでは、鈍い艶とハリのあるクールな質感が特徴の能登上布に合わせて榀布の方をセレクト。

というのも、何せこの小説の登場人物たちは、御年91、84、72歳で、仕事も恋も、さまざまな事柄に対する端々しく艶やかな感性も、まさしくバリバリの現役。

本藍で染められた、長寿と繁榮の象徴でもあるこのおおらかな菊唐草が向日葵のようにも見え、あっけらかんとした向日性の主人公、阿紗女のイメージにも重なります。

このコーディネートは、なんだか少し不思議。

地味なようでもあり、派手なようでもあり。シックでクラシカルだけど、モダンで個性的。どこか洋服感覚とも言える。相反する、いろんな要素を持っている。

銀髪を結い上げた、ゆきのような着物巧者はもちろんですが、例えば軽やかなショートカットの20〜30代の若い女性だったり、しっとりと落ち着いた雰囲気の40〜50代の大人の女性だったり、意外とどんな年齢、雰囲気の女性が着てもしっくりとはまって、その人なりの魅力を引き出してくれそうな気がします。

細かい流水の刺繍が施された麻の半衿に、硝子の帯留を合わせて。

夏の刺繍半衿は、あまりこってりと重いものだとせっかくの涼感を損ねてしまうので、このくらいのさりげなさが使いやすい気がします。こういった上布など、カジュアルな織の着物には特に(鮮やかな色柄のアンティークの染めの夏着物などには、しっかりした刺繍も似合うのですけれど)。

この帯留は、実はただの硝子玉を紐に通したもの。ずいぶん昔に、通りすがりの雑貨屋さんで器にざらっと入れて置かれていた中から選んだような記憶があります。確か、1個100円とかそんな感じ(笑)。

意外と、こういうのが使えて重宝だったりするんですよね。
未だに、ひと夏に1度くらいは登場するくらい。

しなやかなハリと透け感。

しなやかなハリと透け感。

科(榀)の木の樹皮を細かく裂き、績んだ糸で織られる科(榀)布は、植物の繊維だけあり、しっかりとしたハリがあり堅めの素材感。憧れの榀布を手に入れたものの、最初はなかなか馴染まず手が擦り傷だらけに…という経験をされた方もいらっしゃることでしょう。

身体に巻いても、バーンと張った感じがして、ちょっとどすこい感が否めない(笑)という声を聞くことも。そんな場合は、霧吹きをして陰干しをしたり、寝押しをしたりすると徐々にしなやかになり扱いやすくなる場合があります。

ですが、こちらのように本藍で染められたものはわりと最初からしなやかで、扱いやすい。この帯は、特に通常より細めの糸で織られているというのもその理由のひとつかもしれません。

今宵の一冊より
〜羅と蛍〜

裕福な家に生まれ何不自由のないお嬢さんとして育った真砂女。大恋愛で結ばれながらも夫の借金と失踪により短い期間に終わった最初の結婚の後、心ならずも実家のために急逝した姉の夫と再婚、老舗旅館の女将として切り盛りする日々の中、宿泊客として出会った年下の海軍将校と運命を変える恋に落ちます。

その時代にはまだ存在した姦通罪も、戦争も、お互いの伴侶や子どもの存在すらも、その想いを押しとどめる理由にはならず、その後恋人が亡くなるまで40年の長きに渡って貫き通されたその恋。

この『いよよ華やぐ』は、真砂女本人が随筆やテレビ出演などでも繰り返し語っていた内容そのままと言って良いくらいの内容なので(名前もほぼそのままですし)小説を読んでいるのだったか随筆を読んでいるのだったか…とときどき混乱しそうになりますが、真砂女の人生がその辺の小説よりよほどドラマティックであったことは確か。

本作でも真砂女の実際の句を絡めながら物語が進みますが、彼女の句の中で最も有名と言っても良いのが、

うすものや 人悲します 恋をして

だと思います。

この絽や紗、上布といった、夏の透ける素材を指す“うすもの”を季語として詠み込んだ句は何点かありますが(後に落語家の柳家小三治によって「うすものや 真砂女のあとに 真砂女なし」と詠まれたほど)、その中でも、

うすものや 細腰にして 不逞なり

という句は、彼女自身を端的に表している気がします。

そして、とある夏の日の逢瀬で詠まれたであろう、

死のうかと 囁かれしは 蛍の夜

という句を思い起こさせるのが、本作中に描かれたこのシーン。

恋人が「新橋の駅前で売っていた」と蛍籠を下げて阿紗の元を訪れ、その手みやげの蛍を部屋に放ち、2人が身体を重ねたあと、光を瞬かせながら阿紗の素肌にとまった蛍に見惚れる…という、さらりと読むと一瞬とても幻想的で美しい情景。

…なのですが、リアルに想像すると、いやごめん、ちょっとそれは無理!と思ってしまいました(阿紗の身体の、蛍がとまった場所も場所なので…ぜひ小説を読んでみてください笑)。

闇夜にふわりと浮かび、柔らかに瞬く蛍の光は確かに美しい。そんな景色を思わせる蛍ぼかしの小紋に、の帯を合わせて。

お茶のお稽古や目上の人との食事など、少しきちんとした印象にしたい席でも、観劇や友人とのランチといった遊びの場でも、どちらでも対応できる組み合わせ。

柔らかな印象の組み合わせに、挿し色として鮮やかなターコイズブルーの小物を合わせるとぐっとモダンな表情に。

シャープな襷格子の地紋も、際立って感じられます。

同じアクセントカラーでも、その分量を変えるだけでずいぶん印象が変わります。

ターコイズブルーの撚り房の付いた白のゆるぎ組を合わせたら、品良くすっきりと大人っぽい印象に。

きちんと感がありながら、個性や洗練されたセンスも感じられる組み合わせ。横からの姿も目につくお茶席などにも。

織に表情のある白の帯は万能

これまでにもよくお伝えしていることですが、“織に表情のある白の帯は万能”を体現するようなの帯。一本持っておくと、本当に便利で重宝します(そればかりになる懸念もありますが)。

例えばこんなコーディネートにも。

夏単衣〜盛夏〜秋単衣と長く楽しめそうな、柔らかな透け感のある染めの紗紬。
紬地なのでハリがあり、肌との間に空間を作ってくれるので、風が通り爽やかな着心地です。

波状に配した鱗文様にレースのようにも思えるの織柄、縞の帯揚げと、あえてのジオメトリックな組み合わせが、白とグレーのワントーンの効果も相まってワンピース感覚の着こなしに。

波紋のような模様の入った、小さな石の帯留をぽつりと効かせて。

漆で六角形の柄が描かれた黒の扇子が、胸元をきりりと引き締めるシャープなアクセントに。

今宵の一冊より
〜越後上布〜

冒頭でご紹介した太布についてのやりとりの後、3人の間で、そのまま浴衣だ帯だと夏の着物談義に花が咲きますが(ここでもやはり『竺仙』が推奨されています。さすがの老舗ですね)、その中で、40年という長い間人生を賭けて貫き通した恋の相手に「大奮発して買った」越後上布を、彼が亡くなった今は自分が着ていると語る阿紗。

地詰めやベタ亀甲などと呼ばれる、全面に細かい亀甲絣が織り出された藍の越後上布。

『瓜実顔に切れ長の目と、形のいいすっきりした鼻、ひきしまった口もと、浮世絵の美人に似た古風な顔立ちだが、化粧映えがして華やかな顔になる。気性の強さが黒目をいつでもきらきら光らせて、何かに挑んでいるようなのを、長い睫毛が柔らげてくれていた』

と描写される阿紗が、こういったマニッシュな色柄の着物をその小柄で華奢な細腰に纏った姿は、さぞ色っぽかっただろうなと思います。

越後上布はともかく、大島や結城などで、お爺さまやお父さま、旦那さまのお着物などがお手元にあるという方も結構いらっしゃるのではないかと思います。袷であればお対にしていることも多いので、羽織分も使って長く仕立て直すことが可能な場合も。

女性用に仕立て直しを検討してみると、思いがけなく素敵な一着に生まれ変わるかもしれません。

流水にさりげなくメダカが泳ぐ帯揚げ、ヴィンテージの朝顔の扇子を添えて。

この鮮やかに咲き誇る(でも、どこか愛嬌のある)力強さが、なんとも阿紗らしい気がして。

今宵の一冊より
〜太布/楮布〜

雪国生まれのひんやりと冷たい素材感が特徴の越後上布。
先にご紹介したように白のの帯ですっきりと着こなすのもモダンで素敵ですが、ざっくりとした粗い風合いに味わいと逞しさのある自然布の帯もよく似合います。

自然布の帯を締めるたびに感じる、きっちり巻いていてもゆったりと呼吸ができて、身体を無理なく支えてくれる、おおらかな力強さ。

の帯での着こなしが、少しお澄まししたよそゆきの組み合わせとすれば、こちらは普段着の装い。作中の阿紗が(モデルである真砂女も)実際に毎日していたように、割烹着を着て買い物籠を下げて市場へ買い出しに出かけたり、お店でくるくると立ち働いたりといった姿にふさわしい、地に足のついた働きものな着こなしです。

七夕の宵には、細い竹にさらりと金彩で笹の葉が描かれた帯留を添えて。

この二分紐とさほど印象が変わらない小ぶりなサイズ感がいかにもアンティークならではといった感じですが、小さくてもしっかりと存在感があります。

前回のコラムに引き続き、筆者である瀬戸内寂聴も主人公のモデルとなった鈴木真砂女も、彼女を取り巻く登場人物たちも、ものすごくパワフルで恐ろしいほどにエネルギッシュ(いやはや、数十年後の自分がこうあれるとはとても思えない…)。

まったく意図したわけではなかったのですが、本稿を執筆するために再読し始めたとき、小説冒頭のシーンから、阿紗女とゆきの間で彼女たちにとって少し先輩にあたる宇野千代さんの話題が出てきて、そういえばそうだった…とちょっと笑ってしまいました(類は友を呼んだのかも?笑)

日常的に着物を着て生活していた真砂女の句には、帯や浴衣、腰紐、割烹着といった着物に関わるアイテムが詠まれたものが多く、十七文字という限られた中にぽつりと投げ込まれるそれらが、唐突なようで、不思議なリアリティを醸し出していて、その心象風景が自然と立体的に立ち上がってくるように思えます(ただこれは、着物を着たことがない人には理解できない感覚になってしまっているのだろうなと思いますが)。

鈴木真砂女著『銀座に生きる』/『お稲荷さんの路地』角川文庫

鈴木真砂女著『銀座に生きる』/『お稲荷さんの路地』角川文庫

随筆には、彼女の日常における着物に関わる事柄が折に触れ書かれていますので、そちらも合わせて読んでみると面白いかと(化粧品やおしゃれについて、100歳になるきんさんぎんさんならもう気にならないかもしれないけれど、私はまだ86歳だから必要だと語る、その美意識には感服のひと言しかない)。

ただ…メディアや随筆でも自ら繰り返し語り、こうして小説にもなり(丹羽文雄の『天衣無縫』というタイトルでも)、テレビドラマにもなり。

それもある意味当然と思えるほどに、鈴木真砂女という人はとても魅力的な人物ですし、彼女の句も心にすっと刺さるようなものがたくさんある。

好奇心が旺盛で、自分自身に正直に、迸る想いを隠すことなくまっすぐに貫いたその人生は、やはり見事だとは思います。そのドラマティックな人生において、もちろん苦労がなかったわけではなく、それらを跳ね除け突き進み、その人生を謳歌できたのは、彼女自身の天性の才と愛嬌、向日性、気性の強さ、しなやかな逞しさなどが備わっていたゆえでしょう。
ただ…その生き方がもてはやされ、美しく年齢を重ねその生をまっとうした憧れの女性として賞賛される一方で、その恋と激情の発露によって「悲しま」された側の人々の痛みは、どれほどだったかともつい考えてしまう。

”人悲します恋”と一見自省しているようでいながら、貫いたその想いを誇りとしていることが明らかに窺い知れますし(それを責めるつもりは欠片もないのですが)、幾度となく公の場で繰り返し語るその姿は恋人への愛の深さゆえとはわかるけれど、彼女の世界においては自分と彼のみが実体をもって在り、その先に存在する人たちのことは意識の外、ということなのだろうなと(もちろん、いい年をした大人の男女の恋愛なのだからその関係における責任は同等で、どっちがより悪いということでもないのですが。相手も同じように妻子がありながら関係を続けたわけですし)。

“恋は思案の他”と言いますし、真砂女もそうとしか生きられなかったのだろうとは思いますが、その何にも縛られない天真爛漫で“天衣無縫”そのものの生き方は、フィクションのような感覚で観ている他人だから憧れや賞賛を向けられるのであって、当事者はたまったもんじゃないよなぁ…と、なんとも複雑な思いに駆られてしまうのも正直なところ。

さて次回、第二十七夜は…

雪が、模様になった日。

2022.10.28

インタビュー

寂聴さんとの出会いに導かれて 瀬尾まなほさん(インタビュー前編)「きもの、着てみませんか?」vol.4-2

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