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“粋”と“品”の本質 〜小説の中の着物〜 宇江佐真理『斬られ権佐』「徒然雨夜話ーつれづれ、あめのよばなしー」第二十一夜

“粋”と“品”の本質 〜小説の中の着物〜 宇江佐真理『斬られ権佐』「徒然雨夜話ーつれづれ、あめのよばなしー」第二十一夜

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小説を読んでいて、自然と脳裏にその映像が浮かぶような描写に触れると、登場人物がよりリアルな肉付きを持って存在し、生き生きと動き出す。今宵の一冊は、宇江佐真理著『斬られ権佐』。八十八もの刀傷、命を賭けて惚れた女を救った仕立て屋の権左と、命を賭けて治療にあたり惚れた男を救った医者のあさみ。想像を絶するハードさではあるけれど、誇りを持って仕事をし関わる大切な人々を愛して生きるーその根本は、きっと、現代も変わらない。

今宵の一冊
『斬られ権佐』

宇江佐真理『斬られ権佐』集英社文庫

宇江佐真理『斬られ権佐』集英社文庫

「わかった」
 権佐が着物の裾を絡げると、おまさは後ろに回って唐桟縞の羽織を着せた。
「いつ見ても、この唐桟はいいねぇ」
 おまさはうっとりとした声になる。
 権佐が数馬の小者になる時、麦倉の舅が進呈してくれたものである。
「行ってくるぜ」
 権佐は雪駄をつっ掛けて外に出た。おまさはその後ろ姿をしばらく見つめていたような気がする。料理茶屋の置き行灯の前を通る時、自分の吐く息が白く見えた。気のせいでもなく、夜は冷え込んでいた。

宇江佐真理『斬られ権佐』集英社文庫

今宵の一冊は、宇江佐真理著『斬られ権佐』。

全身に八十八ヶ所もの刀傷を負いながら、文字通り命賭けで惚れた女を救った権左と、同じく命を賭けて治療にあたり惚れた男を救ったあさみ。そして、2人の間に生まれたひとり娘お蘭。

日本橋呉服町においても少々名の知られた腕の良い仕立て屋である父の元で、その後を継がんと修行を積んでいた権佐。しかし6年前の生死の境を彷徨う大怪我により、思うようにならない身体ではそれは叶わぬことと思い極め、家族の着るものや期日に縛られない仕立て直しものなどを主に手掛けながら八丁堀与力の小者(手先)という裏の仕事も務めています。

物語の始まりは、権佐の父次郎左衛門の仕事風景から。

あぐらをかき体を揺らして、独特のリズムをとりながら仕立てをしている姿は、おそらく現代にも続く「男仕立て」と呼ばれるもの。くけ台などを使わず、両手だけでなく足の指も使って全身で布の張りとバランス、力加減を保ちながら縫う仕立て方です。

これは裃の仕立てがルーツと言われ、表と裏がまるで一枚の布のようにたるみなくぴしりと合わさって、しっかりと角が立って美しい、その技術が何よりも重要とされました(確かに裃の肩衣がへろん、くたん、としていたらかなり情けない感じになりますし、登城の際、さぞかし目立ったことでしょう)。

 その日、権佐は絽の着物を一枚仕上げた。父親の次郎左衛門に見せると「裾の額縁を、もう少し、きっぱりと決めろや」と、小言を言われた。裾の始末が不満だったらしい。糸をほどいて、やり直したがうまくゆかなかった。往生している権佐に業を煮やし、「どれ、貸してみな」と、次郎左衛門は手を伸ばした。みるみる折り紙のように、きれいな額縁が出来上がった。
 同じ手順でやっていても、仕上がりに差が出る。年季の違いを思い知らされていた。

宇江佐真理『斬られ権佐』集英社文庫

単衣と袷の仕立て、もちろんどちらにもしっかりとした技術が必要で、どちらが簡単などというのは当然ないのですが、仕立てを依頼する側の私たちは、つい単純に金額的に単衣のほうが少しお安いこともあり(単に胴裏、八掛が要らないからというだけなのですが)袷の方が難しいように思いがちです。

しかし、決してそうではないのですね。
抜粋した部分からも想像できますが、単衣の方が裏側がはっきりと見えてしまうだけにより高い技術が必要で、そしてより神経を遣うため実は手間が掛かって大変。シンプルに技術代と考えたら、単衣の方が高くなってもおかしくないのです。本来で言えば(そこの部分が一般的には理解しにくいことと、裏地代のこともあり、単衣の方が仕立て代はお安く設定されていることが大半ですが)。

着物に関わる職人さんたちと接していて、どの職種も、とてもとても私には無理…と思うものばかりではあるのですが、仕立てもそのうちのひとつ。

どうしても着物を購入する際に、仕立て代が小さなボリュームとは言えないため初めてお仕立てされる方などはびっくりされることも多いのですが、その技術を考えたら、まぁ至極当然なのではないかと。仕立ての美しさは着姿の美しさに直結しますし、数年やそこらの稽古でどうにかなるとはとても思えないので、私は全面的に本職の方にお任せしたい(笑)。半衿付けや袖丈、裄の調整など、縫うこと自体は別にそこまで苦手意識はないですが、仕立てには決して手出ししないことに決めています。

今宵の一冊より
〜母の着物、父の羽織〜

「知らない」
お蘭は素っ気なく応える。竹の柄が入った青い単衣はあさみの着物を仕立て直したものである。それに鹿子の三尺を締めている。唐人髷はお蘭の効かん気な顔によく似合う。権佐と繋いだ手は少し汗ばんでいたが、お蘭はその手を離そうとはしなかった。

宇江佐真理『斬られ権佐』集英社文庫

父権佐が、母あさみの着物を仕立て直したお蘭の着物。
単衣ということもあり、作中の着物はもっと明るい青だったかもしれませんが、柄は結構大人っぽいものだったのではないかと思います(あさみの性格を考えても、あまり娘らしい可愛らしい感じのものより、シックなものを好みそう)。

子どもが渋いのを着ているのも、意外と可愛いんですよね。
赤や黄色の三尺を揺らし、下駄を鳴らして駆け寄る姿が目に浮かぶようです。

「(前略)ほら、この着物、あたしの母親の物を権佐が仕立て直ししてくれたんですよ。普段締める帯も、弱っている所を外して、二本を一本にして使っているんですよ。お陰であたし、着る物のことをあれこれ考えなくてもいいので大助かりなんです。その分、仕事に集中できますもの。あたしが仕事をするために権佐の力が是非とも必要なんですよ。」

宇江佐真理『斬られ権佐』集英社文庫

権佐のことを、仕立て屋風情、と言われた言葉に返すあさみの切実な思い。

医者である自らも仕事に誇りを持ち、日々患者に向かうあさみにとって、権佐が向き合う仕立てに対しての思いも含めて、その存在はなくてはならないもの。

2人の心の結び付きの強さが伝わる場面です。

結城紬「篠竹間道紋」+創作洒落袋帯「切嵌創作紋」※小物はスタイリスト私物

濃紺に竹柄が織り出されたほっこりと暖かみのある結城紬。
しなやかで着心地が良く、見た目だけではなく着ていて実際に暖かいので、やはり秋冬〜春先にかけて出番が多くなる素材です。

胸元に綺麗な梅紫の帯揚げをくっきりと効かせたら、マニッシュな印象ながらどことなく艶っぽさが感じられるコーディネートに。

艶のある白橡の地色に古裂を切嵌めた袋帯

合わせたのは、控えめな艶のある白橡の地色に古裂を切嵌めた袋帯。

権佐の手により、こんなふうに生地の良いところだけをあしらって生まれ変わった帯もあったのではないでしょうか。

※小物はスタイリスト私物
【高山染色】 江戸小紋着尺 「唐桟縞」

唐桟縞の小紋を羽織に。
縞とはいえ、やはり染めならではの華やぎがあり江戸好みで小粋な雰囲気が漂います。

作中に登場するのは本来の唐桟なので、木綿の織物ですから張りのある素材だったと思いますが、現代で羽織ものにするなら柔らかものがおすすめ。織の素材はどうしても張りが出過ぎて身体が嵩張った感じになってしまうので、綺麗な落ち感のある素材の方がしなやかに身体に沿ってくれます。

逆にいえば、男性や、女性でもとても細身の方などで、身体を大きく見せたい、身体のラインを拾わず着姿に張りを持たせたい、といった場合は織の羽織はぴったりです。

今宵の一冊より
〜そして、切られ与三〜

歌舞伎好きの方なら、すぐにもしかして…?と思うであろうこのタイトル『斬られ権佐』。御多分に洩れず、私もそれを題材にしたお話かなと思いながら手に取りました(少々ネタバレ…作中でもちょっとだけ、絡みます)。

ということで、ここでは歌舞伎の方をイメージして。

早春の木更津の浜辺が最初の舞台となる歌舞伎の演目、通称『切られ与三』。

当代の美男美女役者に演じられることの多い、この『与話情浮名横櫛(よわなさけうきなのよこぐし』は、役者の姿の良さはもちろん、見逃せない見どころも多くある人気の演目です。

江戸時代、木更津で起きた実話を題材に書かれたと言われるこのお話ですが、放蕩三昧で身を持ち崩した与三郎は、まぁ言うなれば結構ダメ男(笑)。とは言え、裕福な商家の若旦那であった与三郎には落ちぶれても極悪人にはなり切れない甘さというか可愛げというかがあり、女性がそういう男性に惹かれてしまうのも、古今東西問わず“あるある”なお決まりの現象ですね。

木更津の浜で潮干狩りなど浜遊びに興じる人々の中、お富を見染める与三郎。その衝撃に、肩から羽織が滑り落ちたことにも気付かず呆然とする「羽織落とし」のシーンは、決して見逃せない名場面のひとつです。

手描友禅小紋着尺 「源氏香」+型染め小紋着尺 「七宝文」【藤娘きぬたや】染九寸名古屋帯「杢目地波濤紋」※小物はスタイリスト私物

衣裳としても小紋柄の羽織を着ていることの多い与三郎なので、七宝のアレンジが網目のようにも見える小紋を羽織に、後の幕『源氏店』にちなんだ四季の柄が描かれた源氏香の小紋に重ねて。

木更津の浜でのひと目惚れから3年後。
お富が住まう妾宅であり、2人の再会の場ともなる「源氏店」は、現代の人形町駅付近に実際にあった「玄冶店」をもじったもの。跡地として石碑が建っていますので、見たことのある方も多いかと思います。

車の多く行き交う大通りに面し、ひそやかに小さな石碑が佇むのみですが、すぐ側には1783年(江戸中〜後期、10代将軍家治の頃)創業のうぶけやさんなど老舗の店構えも軒を連ねていて、現代でも、ほのかに江戸の空気を感じられる場所。

どこか曖昧で緩やかなラインが早春の海を思わせる

※小物はスタイリスト私物

春霞に烟ったような色合いと、くっきりとした染めではなく、このどこか曖昧で緩やかなラインが早春の海を思わせる絞りの帯を合わせて。

蛤と千鳥の帯留は、人々が浜で潮干狩りに興じる始まりのシーンをイメージ。

ちょうど、源氏香の中には松の柄が。
妾宅の黒塀越しにのぞく「見越しの松」と言ったところでしょうか。

手元にも浜辺のイメージをさりげなく忍ばせたいから、長襦袢にはドットの波縞を。

動きにつれてちらりとのぞくたびに、気分が上がります。

今宵のもう一冊
『鬼平犯科帳』

池波正太郎『鬼平犯科帳5ー兇賊ー』文春文庫

池波正太郎『鬼平犯科帳5ー兇賊ー』文春文庫

「おやじ。熱いをたのむ」
 ふらりと入ってきた中年のさむらいがあった。
 ひと目で、
(浪人だな)
 と、九平は見た。
 薩摩がすりの着ながしに紺献上の帯。
 小刀は帯びず、太刀を落しざしにしている風体から、そう見たのであるが、月代もきれいにそりあげているし、顔つきも、
(品のいい……)
さむらいなのである。

池波正太郎『鬼平犯科帳5ー兇賊ー』文春文庫

この日の長谷川平蔵は、浅めの編笠に、着流しの、市中見廻りの浪人姿ではなく、羽織・袴をきちんと・・・・つけ、ちょっと、改まった姿をしていたので、客を送り出した佐沼の久七が、びっくりしたような顔つきになった。
とっつぁん。元気のようだな」
と、身なりとは裏腹に、くだけた口調の平蔵へ、久七は深く頭をたれて、
「おまささんから、お聞きなさいましたね?」

池波正太郎『鬼平犯科帳24ー女密偵女賊ー』文春文庫

今宵のもう一冊は、池波正太郎著『鬼平犯科帳』。

今年2023年は、池波正太郎生誕100周年とのことで、池波作品を原作とした時代劇なども多く制作されているようです。

これは、どうしても中村吉右衛門丈で脳内に再現されてしまうのでちょっと反則かなとは思うのですが(想像の入る余地がない…笑)、男の着物と銘打っておいて、やはりこの作品を外すわけにはいきませんね。

火付盗賊改方の長官である長谷川平蔵の、市中見廻りの際の定番は着ながしに笠(塗笠だったり、編笠だったり)の浪人姿。

ほどよく緩やかに合わせた衿元、すっきりと身体に沿い、身に馴染んだ着こなし。伝法(でんぼう)な捌けた口調でありつつも品のある佇まいと穏やかな笑顔。崩れたところのない(わかりやすくあざとい“男っぽさ”とは一線を画す、どちらかというと端正な)着姿であるのに、常に、そこはかとなく醸し出される色気(というとちょっと語弊があるかもしれないのですが、それは、演じる吉右衛門丈の、自然と滲み出る人としての艶というか深みというか…そういったものなのかなという気がします)。

盗賊改方(とうぞくあらためかた)の部下たちも、長官(おかしら)の真似をして似たような浪人姿で市中見廻りに出ますが、なかなか、その堂に入った着こなしや醸し出す雰囲気までは真似しきれていない(ある意味当然ですが)。そんなところも、ドラマではきっちり現れているのが面白かったりします(着物など当然着慣れたベテラン役者さんばかりなのにも関わらず)。

もちろんそこはみなさんプロなので、演技でそう見せている部分も当然あると思うのですが、なんとなく、素の部分で本当にそう思ってしまっているのが溢れ出ているようにも感じられて。ただのファンの欲目かもしれませんけれど。

無頼の徒に混じって暴れ回り、その名の銕三郎(てつさぶろう)から「本所の鬼銕(ほんじょのおにてつ)」などと呼ばれていた若き日の平蔵にちなみ“藍鉄色”の結城紬を着ながしで。
藍と、わずかに緑みを感じる黒とが混じり合った微妙な色合いは、室内と陽の下とでずいぶん印象が変わりそうです。

錆青磁の角帯と銀鼠の半衿で、大人の男性の落ち着きと、ほのかに色気も感じられる着姿に。江戸好みの細みの印伝鼻緒を挿げた、燻した色合いがシックな烏表(からすおもて)の雪駄をつっ掛けて。

男性に限らず女性もですが、下駄や草履などは、指の付け根まで鼻緒を入れず指の中ほどで挟むようにして履くと歩きやすく、履物を引きずらずに歩けます。少し意識してみると、足元もすっきりとした印象に(つま先が前ににゅっと出ていると、ちょっと野暮ったく見える)。

ひと口に何色とも言えない、複雑に混じり合った微妙な色。

単色ではなく、光や動きによって見え方の変わるこの奥深さと、手織りならではの平坦に均一でない味のある独特の節感、打ち込みのしっかりした、しなやかで丈夫なその風合い。

その魅力は、どこか人にも通じるものがある気がします。

眼福の一冊

これは、一昨年の秋に亡くなられた二代目 中村吉右衛門丈の、在りし日の姿を克明に記録した写真集。

一瞬一瞬が鮮烈に切り取られた、ただ眼福としか言いようのない一冊です。

数ある当たり役のうちのそのまた一部、迫力ある衣裳写真の数々。
濃紺の生地が貼られた内箱の中央には、定紋である揚羽蝶。
こだわり抜かれた美しい装丁も含め、手元に置いておきたくなる世界観。

長谷川平蔵のお役の写真は残念ながら入っていないのですが、着流しで談笑される楽屋でのくつろいだ姿に、そのイメージが重なります。

舞台での姿のみならず、希少な楽屋での支度風景なども目にすることのできるこの作品集。

『車引』の梅王丸の衣裳で、4、5人で取り囲んで引き合い帯を締める様子などを見ると、やはり衣裳付けは男性の仕事とされるわけだと納得します。

芸者さんの着付けなども、もともと「箱屋」と呼ばれた男衆さん(三味線の箱を持って付き従うことからの名称で、用心棒の役割も)のお仕事のうちでしたし、それは今でもそう変わりません。

歌舞伎以外の舞台の衣裳さんなどは女性も増えてきてはいますが、それでもまだ全体的には男性の方が多いかもしれませんね。

この本の著者であり、吉右衛門丈の姿を記録し続けて来られた写真家・鍋島徳恭氏による写真展が2023年3月に開催されるとのこと。

写真集を“眼福”と表現しましたが、まるで、その場に確かな実体を持って静かに佇み呼吸しているかのような写真の数々が並ぶ空間は、眼だけではなく精神の奥深いところまでも満たしてくれる。数年前に開催された、初回の写真展での実感です。

そんな静謐な空間をまた堪能できるのが嬉しく、ご紹介させていただきました。

鍋島徳恭写真展― 二代目 中村吉右衛門 ―

鍋島徳恭写真展― 二代目 中村吉右衛門 ―

会期:2023年3月9日(木)~21日(火) 10:30~19:00 最終日は17:00まで

会場:セイコーハウス銀座ホール
   東京都中央区銀座4丁目5-11 セイコーハウス銀座6階

お問い合わせ先:(03)3562-2111(代表)

入場無料

瀕死の重傷から回復した権佐が、フィクションならではのご都合主義で何の不自由もなく大活躍……なら読者としても正直気が楽なのですが、そこは苦しいほどにリアル。

後遺症に苦しみながら江戸の市井において日々起こる犯罪を追い、それぞれの下手人の抱えた苦しみや哀しみに寄り添おうとする、そんな権佐の姿は、まるで生き急ぐようで胸が締め付けられます。

妻のあさみ、娘のお蘭、その他彼を取り巻く人々も、誰もみな聖人君子ではなく弱さや脆さ、嫌なところも持った生身の人間ばかり。権佐だって、スマートで格好良いヒーローというわけでもない。わかりやすいハッピーエンドではなく苦いものを含んだ物語なのですが、生きるって、そうだよね…と、どこか腑に落ちるというか。

ただの格好付けの痩せ我慢のような“粋”とか“品”とかとは根本的に違う、痛みを知っている、あるいは抱えて宥め(なだめ)ながらともに生きている。そこからしか生まれない…何か。
描かれた人々(男性に限らず女性にも)には、それがある。

池波正太郎描く『鬼平犯科帳』をはじめとする作品世界もそう。

人は見えている一面だけではなくさまざまな顔があり、「良いことをしながら悪いこともする、それが人間」というのは、シリーズ中繰り返し語られる鬼平の言葉。

また、別のエッセイで著者は「ちかごろの日本は、何事にも「白」でなければ「黒」になってしまい、その中間の色合いがなくなってしまった…」とも。

その“中間”の、入り混じった色合いを内に抱えて生きているのが人間というものなんだろうと思いますし、その“中間の色合い”に心地よく身を委ねられることが、私がこれらの作品世界が好きないちばんの理由かもしれません。

さて次回、第二十二夜は…

雛と、桜と。

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