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これは私の仕事。『小説ユーミン』 作家・山内マリコさん(インタビュー後編)「きもの、着てみませんか?」番外編

これは私の仕事。『小説ユーミン』 作家・山内マリコさん(インタビュー後編)「きもの、着てみませんか?」番外編

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松任谷由実さんの半生と日本の音楽史が融合したノンフィクション・ノベル『すべてのことはメッセージ 小説ユーミン』を発表した作家・山内マリコさん。あの”ユーミン”への取材のようすや、小説に垣間見えるフェミニズム的視点などについてお伺いしました。

2022.11.15

インタビュー

美しさと抑圧―着物がもつ”複雑さ” 作家・山内マリコさん(インタビュー前編)「きもの、着てみませんか?」番外編

幅広い世代の女性の支持を集め続ける作家・山内マリコさん。

インタビュー前編では、山内さんと着物との出会いや、着物に抱く複雑な想いなどを率直にお話しいただきました。

今回は2022年10月27日に発表された新作『すべてのことはメッセージ 小説ユーミン』(株式会社マガジンハウス)への想いをお聞きしました。

『すべてのことはメッセージ 小説ユーミン』は、ユーミンこと松任谷由実さん50周年を記念して企画された作品です。

17歳で作曲家としてデビュー以来、現在に至るまで日本の音楽シーンを牽引してきたシンガーソングライター松任谷由実さんの少女時代を、作家・山内マリコさんが小説で描き出します。

幼少期から10代でデビューするまで、そしてあの名曲「ひこうき雲」ができるまで。松任谷由実さんへの取材をもとに書き下ろされた初のノンフィクション・ノベルです。

「これは私の仕事」

薬真寺 香(以下、薬真寺):今回の『すべてのことはメッセージ 小説ユーミン』。最初にこのお話が来たときはどんなお気持ちでしたか?

着物:(仕)墨流し染付下げ 帯:【人間国宝 故:喜多川平朗】唐織錦袋帯「流水紅葉文」

山内マリコさん(以下、山内さん):もちろん驚きの提案ではありましたが、同時に、「これは私の仕事だな」と思ったんです。「適任者だわ…!」と(笑)。

薬真寺:すごい!本作のような伝記的な小説は、山内さんにとってははじめての形ですよね。

山内さん:はじめてです。モデル小説もはじめてだし、歴史や過去のことを取材して描くのもはじめてでした!それでも、書き手として私が一番向いていると思っていて。

薬真寺:どんなところが向いていると思われたんですか?

山内さん:理由はふたつあるんですが……

ひとつはもともとユーミンの青春時代に興味があったんです。『キャンティ物語』(野地秩嘉・著 幻冬舎)を読んでいたり、キャラメル・ママ(細野晴臣、鈴木茂、林立夫、松任谷正隆の四人からなるバンド)界隈のこともうっすら知識としてはあって、事象とポップ音楽史の位置づけが頭に入っていて、その当時のイメージを持っていたんです。

そしてもうひとつは、都会の象徴のようなユーミンが、実は、地方出身の私とも、通づるところがあると知っていた点です。

八王子に生まれ育ったユーミンは、都心に出るまでに多摩川と浅川という二つの川を越え、快速電車で40分かけて、毎回”小さな上京”をされていたんですね。ご本人も「今も東京に向かう時はワクワクする」と仰っていて。そんな上京者みたいな気持ちを持った方なんだということは、『ここが私の東京』( 岡崎武志・著 扶桑社)という本で知っていました。

ユーミンと私、一見接点がなさそうなんですが、都市との距離感という面では、共通してるんです。ユーミンを、これまで自分が書いてきたものの延長線上にある女の子として捉えることもできるなぁと。

山内マリコさん 浅草の隠れ家BAR千にて

薬真寺:『小説ユーミン』を拝読した上で今のお話を伺うと、ただただ納得です。

山内さんは本当に適任で、取材される側と取材して書く側との運命的で幸せな出会い、という感じがする。

ユーミンご本人がこの作品に対して出されていたコメントも、ものすごく素敵ですよね。キラキラしていて、熱っぽくて。この本を読みたい!と思わせてくれる。この作品をすごく良いと思っていらっしゃるということや山内さんへの感謝も伝わってきました。

取材時のユーミンの言葉

松任谷由実さんのコメント

これはノンフィクションというより、ルポルタージュに近いかもしれない。

山内マリコさんの獰猛な取材力とインタビューに、記憶のボタンが次々とクリックされ、私は幼少期を、青春を、サーフィンしまくった。目眩く楽しかった。

これは多くの人たちが好きなサクセスストーリーの真逆だから、全くシンパシーが得られなかったとしても仕方ない。

正に、"事実は小説よりも奇なり"。

ひとりの特異な少女が、50s、60s、そして70sの、東京カルチャーとカウンターカルチャーに彩られ、特異なまま大人になってゆくお話。

山内さんの大いなる好奇心が、私自身もすっかり忘れていた愛を、思い出させてくれた。

こんな機会を与えていただけて、本当に良かったと思う。

つくづく私は、"ユーミン"以外のものにはなれなかったのだなあと、覚悟とも諦めともつかない幸せな気持ちで、この小説を読み終えた。

薬真寺:ご本人への取材はどのような形で行われたんですか?

山内さん:取材の日を3日いただいて、4時間ずつ計12時間取材させていただいたんです。

薬真寺:12時間だけなんですか!その短い時間であれだけのものが生まれるというのは…信じられない。どんな会話をされたのか、気になります。

山内マリコさん スタイリスト薬真寺さんがご両親から譲り受けたという荒井由実時代のLPを手に

スタイリスト薬真寺さんがご両親から譲り受けたという、ユーミン 荒井由実時代のLPを手に

山内さん:そうですね、自然に聞きたいことをちょっとずつ聞いていったという感じです。とりわけ取材が上手いとかでは決してなくて、普通なんです。

最終日には一緒に八王子の荒井呉服店(ユーミンのご実家)まで行って、昔のアルバムを見せてもらったり。ご実家の建物が残っているので、間取りを見せていただきました。あの螺旋階段や、作曲されていた応接間も見させていただいて。

薬真寺:学生時代のユーミンが、こっそり夜遊びに出るシーンで描かれていた螺旋階段ですね!他にも特に印象深かったことはありましたか?

山内さん:ユーミンはそんなに言葉が多いわけではないのですが、パッと出てくる情景描写、こんな感じだったという短い言葉をもらうだけで、不思議と頭の中で映像化できるんです。

シンプルに話されているんだけど、情景が浮かんでくる。例えば、3歳の時にヤギのミルクを飲ませてもらった時の記憶とか。細かい部分を聞くという感じではなくて、ユーミンの言葉から膨らんだ、自分のイメージを広げていきました。

薬真寺:ヤギのミルクのあたりは特に映像的でした。これ、このまま朝ドラにしてほしい!と思いながら読んでいました。

まるで山内さんがその場に居て見ていたかのように書かれていて、どうしたらこんなことができるんだろうと不思議だったんですが、伝える側と受け取る側、ピッチャーもキャッチャーも両方すばらしいです。

山内マリコさん 白地に墨流しの着物で

薬真寺:修正や、ここはちょっと違う、というようなこともあったんですか?

山内さん:ユーミンは実に寛大で、ただ「任せたわ」という感じでした。修正も、本当に2~3か所だけだったんです。それも「こう書いてほしい」とか内容の修正ではなく、お相手があることから気遣いとして、言い回しを変えてほしいとか、全部そういうところでした。

薬真寺:かっこいい。さすがですね。
ところで”ユーミン”の呼び方なんですが、ご本人は「さん付けされるのは好きじゃない」とメディアでも明言されていますが、取材の中でそんなお話しもされていたのですか?

山内マリコさん ユーミンのレコードとともに

山内さん:はい、ド頭に聞かせてもらいました。

「さんはいらないと仰っていたのを拝見したのですが、”ユーミン”って呼んでいいですか?」って(笑)。

薬真寺:ド頭で、というところがいいですね!自然なコミュニケーションが取れていたことから、あの作品が生まれたんですね。

山内さん:とにかく限られた時間なので。遠回りせず率直に、ちょっと馴れ馴れしいのでは? くらいの勢いで臨みました。

日本史と音楽史を重ね合わせて

山内マリコさんと着物スタイリスト薬真寺さん 撮影:河村英朗

着付け中のようす 撮影:河村英朗(都鳥bar千)

薬真寺:ユーミンのご実家が呉服屋さんということは着物ファンの間では有名ですが、清元を習ってらしたというのはこの小説ではじめて知りました。

お稽古事や、お母様に連れられて行く邦画や歌舞伎。和の文化を吸収しつつ、だんだんと音楽など西洋の魅力が入っていくことで”ユーミン”は育まれたのかなとあらためて感じました。和の要素、洋の要素、どちらも欠かせないものだったんだなと。

小説の中でも、着物の描写や着物を通した時代背景の描かれ方は印象深かったです。

反物がサァーッと広がるさまを、”一面みるまに絹の海になった”、と表現された部分、とても素敵でした。山内さんご自身はどんなふうに感じていらっしゃいましたか?

山内さん:ユーミンの個人史を描くにあたって、八王子という立地で実家が呉服屋さんというのは、すごく大きなポイントだと思いました。幕末から明治にかけては、生糸が輸出品の主役でした。そして八王子は、“桑都”と呼ばれたほどの絹の集積地。甲州や信州から生糸が八王子に集まって、さらに横浜港へ運ばれ、海外に出荷されて、外貨を獲得して富国強兵に励む、そんな時代です。

織物という地場産業がすごく盛り上がって、経済的にも文化的にも豊かになっていた八王子の街の、呉服屋の大店に生まれたのがユーミン。ユーミン個人の才能が花開くには、その背景が重要になってきます。当時は、一般の家庭から音楽の道に進むこと自体、難しいですし。

山内マリコさん 浅草の隠れ家バーにて

薬真寺:あの時代の音楽家は、都会の裕福なご家庭で育った方が多いですよね。作品の中に登場する家々も軒並み華やかでした。

山内さん:行く家、行く家が豪邸なんですよね。そこでみんなで楽器を弾いていて。そういう家があるということは、国自体がそれだけ豊かになったことでもある。

ユーミンの人生は、生まれ年からデビューまでの時間が、高度経済成長期とピッタリ重なっているんです。日本が経済的に右肩上がりの時代の、さまざまな文化を享受していった。でも国がそこまで豊かになるには、それなりの歴史がある。戦争からの復興だけでなく、幕末から日本がどんなふうに近代化していったかという歴史も必要だと思いました。なにしろ八王子で呉服、なので。掘り下げて描く必然性がある。

山内マリコさん 浅草のBAR千にて

山内さん:音楽史でいうと、明治時代に西洋の音楽が入ってきて、それがJ-POPになるまでの約100年ほどは、ミュージシャンたちが外国の文化を自分のものにしようとして格闘した歴史でもあります。山田耕作にはじまって、ジャズミュージシャンも本場アメリカのジャズを勉強して、ビートルズが入ってきたら、若者たちがワーッと真似する。

でも、日本人が作った曲はみんな歌謡曲調になっちゃうし、西洋と同じレベルのものはなかなか出てこない。それでも新しいものを求めてやっていくなかで、例えば『はっぴいえんど』の”日本語ロック”のような音楽も出てきます。おそらくすごく自覚的に、欧米みたいな音楽を作り出すにはどうしたらいいかを、おのおのが試行錯誤していた時代でした。

そんななか、東京のユースカルチャーの栄養素を丸ごと吸収した女の子が、革新的な音楽をアウトプットしてみせる。めちゃくちゃカッコいいですよね。

そういう、近代日本史とポップ音楽史というものをベースにした上で、ユーミンの人生が描かれるべきだなと、すごく思ったんです。

『小説ユーミン』表紙イラストの元になったのは、ファーストアルバムのライナーノーツの写真

『小説ユーミン』表紙イラストの元になったのは、ファーストアルバムのライナーノーツの写真

薬真寺:山内さんが、ご自身の好きなものや大切にしてたこと、得意技などすべてを搭載して立ち向かっていったんだな、というのがよくわかります。日本のカルチャー史を学ぶという意味でも楽しめる作品ですね。

最近ユーミンがある番組で「女性が一番自分で見たくないような感情を美しく描くと救われる人が多いんじゃないか」とか「パーソナルなところを掘り進んでいくとある時から急に一般性を帯びる」とおっしゃっていたんですが、似た発言をずっと以前にも聞いたことがあって。その時は「フィクションは突き詰めるとノンフィクションよりもノンフィクションになる」というような言葉だったんですが、これはユーミンにとって揺るぎない哲学なんだなと思ったんです。そしてそれが山内マリコ作品との共通点だなって。

山内さん:畏れ多いですが、たしかに重なるところがあるかもしれません。

あと、ユーミンの人生を今描くなら、フェミニズムの視点は必須だなと思いました。意識的に「女子学生亡国論」のくだりを盛り込んで、どれだけ結婚しか選択肢がない時代だったか、女性が夢を叶えられるような時代ではなかったかを示した上で、ユーミンがそれを突破していくように書けたらなと。

薬真寺:作品を書き終えて、山内さんご自身がユーミンの存在や言動から影響を受けた部分や、それによって変化したことなどはありましたか?

山内マリコさん 白地に墨流しの着物で

山内さん:ユーミンはアーティストとしてデビューして、すぐに大スターになったわけじゃなくて、売れるまでに少し時間がかかっているんですよね。作曲家として提供した曲の方が先にヒットしたり。

一方アイドルって、デビューした瞬間がピークですよね。同世代の女性アイドルが即スターになっていくなか、思うように売れなくても、アルバムを作り続けるんです。

さらにその後も、ご結婚されて名前を変えた際に一度人気が沈んだことがあったと。その時も”荒井由実を超える”というのを目標にもう一回セカンドブレイクというか、荒井由実以上にスターになっていくという。

ユーミンは手の届かない大スターのイメージだし、才能も巨大で、天才肌。ですが、キャリアで考えると、ものすごく地道に、その時代その時代に、自分にしかできない仕事をひたすらやり続けているんですね。なにがあっても新作アルバムを出し続けて、お客さんの前に立ち続ける。そういう姿勢に励まされますし、発破をかけてもらえる気がします。

薬真寺:自分で切り開いている感じがとてもあります。もっとやらなければ、と思わされます。

山内さん:そうなんです。私は作家になって今年で10年。疲れてモチベーションが下がることもありますが、

「待て待て、ユーミンはあれだけやっているぞ!」

と。表現し続けるユーミンを思うと、まだまだ疲れたなんていっている場合ではなく、私も頑張ろうと思えます!

着物:(仕)墨流し染付下げ 帯:【人間国宝 故:喜多川平朗】唐織錦袋帯「流水紅葉文」

薬真寺:親譲りのユーミンファンであり山内マリコ作品の熱烈読者でもある私にとって、今日は夢のような時間でした。これからも作品を読ませていただくのを楽しみにしています。すばらしいお話を、ありがとうございました。

※帯揚げ、二分紐、帯留めはスタイリスト私物

構成・文/金井茉利絵
撮影/坂本陽 minami.camera
ディレクション・スタイリング・着付け・ヘアメイク/薬真寺 香 ___mameka_

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