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台湾民主化の歴史を訪ねる 「きもので歩く台北 2022」vol.7

台湾民主化の歴史を訪ねる 「きもので歩く台北 2022」vol.7

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とうとう、10月13日から台湾は観光の窓口を開きました。実に3年ぶり… さあ、現実味を帯びてきた着物旅です。人気の観光地やおすすめのスポットを、ふらりきものでご紹介するシリーズも第7回、あなたならどんな装いで愉しみますか?

2022.09.14

よみもの

宜蘭で出会った日本の染織の心 「きもので歩く台北 2022」vol.6

きもので旅に出る、旅にきものを持参する、そう考えただけでワクワクしませんか?

どんな街に、どんなシーンに、どんなきもので?

東京から飛行機で約3時間の台湾・台北。

とうとう、10月13日から台湾は観光の窓口を開きました。

実に3年ぶり…。さあ、現実味を帯びてきた着物旅です。

人気の観光地やおすすめのスポットを、ふらりきものでご紹介するシリーズも第7回、あなたならどんな装いで愉しみますか?

台湾民主化の歴史を訪ねる

旧台北北警察署

台湾は民主国家で、ジェンダー平等はアジアでトップと言われるほど発展してきました。

が、1987年までは38年ものあいだ戒厳令が敷かれ、政治活動や言論の自由が厳しく制限されていたのです。

今回訪れた場所は、旧台北北警察署(臺灣新文化運動紀念館)。

観光客に有名な「寧夏夜市」や、レンガ造りが印象的な「スターバックス 保安店」にほど近い、台北市の市定古跡です。

レトロなカフェ

旧台北北警察署(新文化運動紀念館)に入ると、手前にはレトロなカフェが。店名『八斤所 8Jin Café』の「パージン」は、北警察の「Běi jǐngchá」に音が似ているからと、つけられたのだそう。

正面には当時から使用されているという素敵な階段があり、わざわざ写真撮影のためだけに訪れる人も多いのだとか。

私も「着物姿で撮影したら映える」という視点から見つけた場所でした。

ところが現地でパンフレットや説明を見てみると、実は、当時の日本人が台湾人に対して「どのようなことをしていたのか」を具体的に体感できる施設だったのです。

「着物姿で撮影したら映える」
旧台北北警察署の施設

旧台北北警察署(新文化運動紀念館)には拘置場だけでなく、拷問が行われていた場所も残されていました。

正直、着物で訪れたことを後悔し、胸の奥に鈍い痛みも感じました。

知識層の弾圧のために使用されていた場所。

蒋介石政権時の「白色テロ」と呼ばれる市民の逮捕・投獄が横行していた時代は記憶に新しく、私はてっきりその時代に使われていた警察署だと思いこんでいました。

しかし実際には日本統治時代にも同じように言論統制が行われ、知識層の弾圧のために使用されていた場所でした。

とはいえ展示内容は、抗日というより、政治社会運動の歴史や社会の変化について史跡を紹介するという意味合いが強く押し出されていました。

台湾の日本統治時代は決して「良かった」わけではない。現在の「親日」にあぐらをかくことなく、歴史の事実を知ることは大切なことだと思いました。

歴史の事実を知ることは大切。
陳さんの着物姿

台湾の民主化の歴史に学ぶことは多く、独裁制に支配されないためには、言論の自由を守り、法律を権力者に都合よく変えられることのないよう意思表示をすべきだということ。またその機会を、決して逃さないこと。

台湾を知るとても良い場所でした。

自分の無知さを思い知ることとなりましたが、タピオカ・九份・親日だけではない台湾を知るとても良い場所でした。

みなさまにもぜひ訪れていただきたいと感じさせられるスポットでした。

文豪の通ったレストラン

日本には芥川龍之介や与謝野晶子、またその他の文豪が通ったという喫茶店やレストランが数多く残っていますね。

実は台湾にもあるんです。

40年前に、同性愛をテーマとした作品を発表した有名な台湾人作家さんが愛したレストランがこちら。

明星西點咖啡館

明星西點咖啡館Astoria

1949年創業、西洋式パンとロシア料理を出す老舗レストランです。

ロシアと言えば、ウクライナへの軍事侵攻がもはや泥沼化…この時代に今まさに戦火を浴びている人々がいる。

そしてそれは、台湾にいる私にも他人事ではない状況なのだということが、なかなか受け入れられないでいます。

老舗レストランの穏やかな雰囲気

昼下がり、老舗レストランには穏やかな雰囲気が漂っていたことに安堵しました。

同じ民族でありながら戦わなくてはいけない状況が1日でも早く終わるよう、またそのような状況が始まらないよう祈る思いで窓の外に目を向けると…

そこには目の前に廟があり、祈りを捧げる人々の姿がありました。

昼下がり、老舗レストランにて

それぞれの秋を取り入れた着物コーデ

実は撮影当日の気温は34℃、夕方に雷雨の続く真夏の週でした。

ですが、記事の公開は10月半ば。

悩んだ末に私たちは、30℃超えの台湾で体感に従いながらも、なんとか「秋」を感じさせるコーディネートに挑戦したのでした。

台湾人陳さんは、洗える夏着物と小物を暖色でまとめ、帯柄に紅葉を感じさせるコーディネート。

台湾人陳さんの秋のコーディネート
ゆりえさんの秋のコーディネート

在台湾歴の長いゆりえさんは、透けない、やはり洗える夏着物に、帯まわりや小物などは袷仕様にして。シックに季節の変化をあらわしています。

私は写真では塩沢紬に見える(?)と言われた透け感の少ない夏着物に、2年前に京都きもの市場さんで購入した、金通し紬地の手加工友禅の染め名古屋帯を合わせました。

言わずもがな、葡萄柄で秋を表現。

普子さんの秋のコーディネート

夏が早く訪れ、冬まではなかなか気温が下がらない台湾。

日本の読者のみなさまと、私たちの着る着物コーディネートとの季節感の誤差がでる時期です。

リアルクローズをお見せする目的もありますが、日本ではない場所でどんなふうに日本の季節感を表現するか(またはしないか)も、ぜひご注目いただきたいところ。

毎回頭を悩ませ、楽しみながら苦肉の策の着物コーディネートを披露しています。

陳さん、ゆりえさんにもあらためてお礼を伝えたく…毎回ご協力いただきありがとうございます。

他国の民族衣装に敬意を込める

海外で見る着物コーディネートの多くは、良し悪しはともかく自由で工夫が見られます。

それはすぐに手に入らないものを代用して組み合わせたり、安価で流れてくる手頃なものを組み合わせることで生まれる新たな発見でもあり、拍手したくなるものもあれば、思わず着物警察となり物申したくなる場合もありです。

私は基本的に人様の着るものに口出しはしない、普段着る物は着物であっても洋服であっても、その人の個人的嗜好であり自由で良いと思っています。

ただ、私が自分の母国でない民族衣装を着る時には勇気がいりますし、失礼に当たらないかなど、最低限の知識を得たいと考えます。

そんな私の元に、旗袍(チーパオ)と呼ばれるチャイナドレスが届きました。

それは、和服も着こなす才女からの贈り物でした。

旗袍(チーパオ)が届きました。

旗袍(チーパオ:チャイナドレス)は台湾の民族衣装か?と聞かれると、誰もが答えに少し困ります。

旗袍はもともと旗人(満州)のもの。約300年前に清国が作られた時に入ってきたのだそうです。多くの台湾人の先祖は漢民族ですから、明の時代までは旗袍ではなく、漢服が民族衣装だったと言えるでしょう。

しかし、度重なる戦争で清国は分割され、植民地となりました。

漢民族の伝統衣装である漢服は今ではファンタジーの世界のもの、正式なTPOを知る人がいないのです。

台湾の旗袍と日本の着物

旗袍と着物

国立台湾博物館(台北市)の資料では、旗袍(チイパオ)は1910年代に登場したとあります。旗人(満州)の旗袍とは少し変化したものだったようです。

1930年代、日本統治下の台湾では旗袍のほか、西洋式のワンピース、日本式の和服などが共存。旗袍はのちに台湾で中華民国の「国服」とされ、独自の発展を遂げたとされています。

現代では普段着として着る人は少なくなりましたが、花嫁衣裳として、また結婚式や披露宴のドレスとして人気があるようです。

「特別な時に着る」という部分は、少し現代の着物と同じような立ち位置にあるように感じました。

私が知らないだけで、旗袍にも絹素材だけでなく綿素材のもの、普段使いできるデザインのものもあるのだそうです。

どんな衣装にもTPOは存在します。

普段に着る着物
それに合わせる帯や小物

冠婚葬祭に着る着物
それに合わせる帯や小物

とりわけ冠婚葬祭の際に想いを込める装いは、普段使いにはしたくないという気持ちもあります。

いくら「着る機会がない」からと言っても、「着る機会」が限られている衣装(洋服・着物)はあってしかり、だと考えています。

私自身はその最低限のラインはやはり守りたいし、機会があれば伝えていきたいと思います。

そして今一度。

普段着る着物の自由度は、ご本人の表現の範疇。「着る」を快適に楽しんでいきましょう。

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