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ほのかにまとう雅の薫り 〜小説の中の着物〜 諸田玲子『王朝まやかし草紙』「徒然雨夜話ーつれづれ、あめのよばなしー」第十七夜

ほのかにまとう雅の薫り 〜小説の中の着物〜 諸田玲子『王朝まやかし草紙』「徒然雨夜話ーつれづれ、あめのよばなしー」第十七夜

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小説を読んでいて、自然と脳裏にその映像が浮かぶような描写に触れると、登場人物がよりリアルな肉付きを持って存在し、生き生きと動き出す。今宵の一冊は『王朝まやかし草紙』。時は平安、まとうはかさねの色目。現代の着こなしにも、香を薫きしめるように、ほのかに雅の薫りを。

2022.08.29

まなぶ

生かしきる、ということ 〜小説の中の着物〜 中島要『着物始末暦シリーズ』「徒然雨夜話ーつれづれ、あめのよばなしー」第十六夜

今宵の一冊
『王朝まやかし草紙』

諸田玲子『王朝まやかし草紙』新潮文庫

諸田玲子『王朝まやかし草紙』新潮文庫

 銀杏の葉がはらりと膝もとに舞い落ちて、弥生は衣を裁つ手を止めた。黄金色に輝く葉を拾い上げ、くるくるまわすと、錦織りなす故郷の秋景色がまぶたに浮かぶ。すでに十月も半ばになっていた。

〜中略〜

 十一月中旬は宮中で、新嘗祭、豊明節会、五節舞と大きな行事が目白押しだ。ことに五節舞は、主だった家から舞姫をだして優劣を競うこともあり、当番に選ばれた家々では、十月早々から、舞姫と一緒に踊る少女たちを集めたり、贅を凝らした衣装を整えたりとてんてこまいの騒ぎとなる。

〜中略〜

女房部屋には目にもあやな布地がうずたかく積まれている。宮中の祭りとなれば、舞姫や、舞姫の後ろで踊る少女たちの衣装ばかりでなく、女房の装束も新調しなければならない。女房たちが御簾の下から着物の褄や袖口を見せる出衣が通例となっているため、女主は女房の装束にも心を配って、趣味の良さや権勢の高さを競い合うのだ。

諸田玲子『王朝まやかし草紙』新潮文庫

今宵の一冊は、『源氏物語』に想を得て書かれたという、諸田玲子著『王朝まやかし草紙』。

時は平安。

一見優雅で華やか、しかしその裏では権力闘争に明け暮れる男同士、女同士の欲望や怨念がどろどろと渦巻く宮中を主な舞台に、主人公の弥生と音羽丸がそれぞれの母や父の死にまつわる謎を、弥生の母が遺した文箱に収められた何通もの文と和歌を手掛かりに追い求め解き明かしていくミステリー。

季節を追って進む長編であり、宮中の行事や生活スタイル、習慣などが巧みにトリックとして織り込まれているため、その重要な背景として、季節ごとの行事や宮中のしつらえなども細やかに綴られており、そんな部分も楽しめる一冊です。

平安時代の貴族の衣裳、というと、すぐに思い浮かぶのが“十二単”。この“十二”というのは12枚という意味ではなく、たくさんという意味での表現(“十二分に”などと使いますね)であり、何枚もの衣(袿)を重ねて着るところからその名があります。

いわゆる女房装束としての原型が整ったのが、世界最古の長編小説と言われる『源氏物語』が書かれた平安中期ごろ。そして平安時代後期に、この“何枚もの衣”の部分が、五衣(いつつぎぬ)=5枚と定められ、現代の宮中でも儀式の際に着用される“十二単”の定型となったと言われます。

この重なりの美しさにこだわり、その人自身の美しさやセンス、教養の高さを判断する基準となったのが、冒頭の文中にもある出衣(いだしぎぬ)。御簾のうちから、また牛車の輿からこぼれた色合いや生地の合わせ方の美しさが、その中にいる人の美しさと判断されていたわけですから、ある意味怖いと言うか何というか…(まぁだから「末摘花」のような物語が生まれるわけなんですが)。

ですが、生まれつきの容貌のみによらず(もちろんそれも長所のひとつではありますが)その人の持つ優れた能力やセンスを発揮することによって、いくらでも魅力的に輝くことができるという部分は現代と似ているかもしれません(家柄や身分、という如何ともし難い条件はひとまず置いておいて)。

この、いわゆる「かさね」の色目。

この「かさね」については、同じ名称で何パターンもの色合わせがあったり、似たような配色で区別がつきにくかったりと未だ定かでない部分も多く諸説混在しているのが現状のようですが、表と裏の組み合わせを「重ね」、何層かの色の重なりのパターンを「襲(かさね)」とする説が今のところいちばんわかりやすいのかなと思います。

それ以外に、縦糸と横糸の組み合わせで「織のかさね」もあったとも。

また、表と裏の「重ね」においては、当時の絹は糸が細く薄かったため(だから20枚も重ねて着たというような例もあり得たので、今のような絹だと動けないでしょうし、座っていることもできないくらい重くなりそう)裏の色が透けて重なることで、深みのある微妙なニュアンスが生まれたと言われます。その計算のもとに組み合わされた配色だったと。

“呉服”という呼び名の通り、もともと中国から渡ってきた衣装が徐々に日本独自のものとして発展し、その特有の繊細な美意識やこだわりが結実した形が、この平安時代の公家装束と言えるのではないかと思います。

そして「かさね」と並んで、平安調の雅やかな雰囲気を高める印象的な文様が「有職文様」。

公家社会における装束や調度品、建築、輿などに用いられた、織で表される繰り返しパターンの伝統的な文様を指しますが、格調高く優美な印象のものが多いため現代でもフォーマル用の帯でよく目にします。

雲立涌、浮線綾花鳥丸紋、花菱と、代表的な有職文様が織り出された名古屋帯。この他にも七宝、亀甲、石畳、向鶴、木瓜、小葵などがあります。

こういった格のある織名古屋帯は、軽めの訪問着や付下げ、色無地などセミフォーマルはもちろん、無地紬や小紋をきちんと着たい場合にも合わせられ、茶席などにも重宝します。

今宵の一冊より
〜姫のお遊び〜

 楽天爺さんがなまくら刀を公達に高値で売りつけ、調達してくれた牛車に乗って、音羽丸と弥生は古曾部の里へ出かけた。小春日和の穏やかな朝である。里へ向かう道はうっすらと雪が残り、柔らかな陽射しを浴びて練絹を敷きつめたように輝いていた。
 音羽丸はつんつるてんの水干に黒貂の皮の表着、頭には何もかぶらず、髪をうなじでくくっている。履物は藁沓。弥生にいわせると、摩利支天のような格好だ。
 一方の弥生は、袿を裾短に着て市女笠をかぶり、緒太を履いた壺装束姿。上が黄色で下が柿渋色の黄朽葉がさねの袿が弥生の肌を引き立てている。

諸田玲子『王朝まやかし草紙』新潮文庫

有職文様のひとつである菱繋ぎの地紋に、四季の花々が描かれた貝が散らされた明るい黄朽葉色の小紋。

絵巻物が描かれた黒の染め帯で艶やかに引き締めたコーディネートは、どこか、勝気で向う見ず、しっかりものだけれど可愛らしさもある…そんな弥生のイメージに通じるものがあります。

絵巻物の中には菊。御簾に下がる紐をイメージした、秋らしい深い色合いが美しい丸組みの帯締めを添えて。

本作中にも何度か登場する“貝合わせ”ですが、平安時代に貴族の教養、遊びとして嗜まれていた貝殻の色や模様の美しさを愛で歌を詠む“貝合わせ”と、内側に関連のあるモチーフが描かれた対になる組を探す(トランプの神経衰弱のような)ゲームである“貝覆い”とが、時代を経るに連れ混同され、江戸時代以降は“貝合わせ”として総称されるようになったとか。

もともと対だった貝としか合わないことから幸せな縁結びを意味する吉祥文様とされ、雛祭りの季節のモチーフとして身につけたり、公家のお姫さまの教養修得を兼ねた遊び道具でもあったことから七五三で女児の健やかな成長を願う意味を込めて装ったりと、着物や帯に描かれることも多い文様です。

江戸時代、大名家のお嫁入りでは、何よりもまず最初に手の込んだ細工を施された貝殻と貝桶を嫁ぎ先に納める儀式があったほど重要な花嫁道具でもあったため、現代では人前式で行う演出のアイテムとして使われたりもしているようですね。

お太鼓に描かれた色とりどりの美しい小箱。

華やかな色遣いが映える黒地が甘さを引き算し、大人っぽさもありながら雅な愛らしさも漂う印象的な後ろ姿に。

柿渋色の襦袢を袂からのぞかせて、冒頭に取り上げたシーンの「黄朽葉がさね」をイメージして(表も裏も黄朽葉色、という説も)。

「重ね」の色合わせを現代の着こなしにおいて参考にする場合、“表と裏”…と考えたら、まず最初に思いつくのは表地と八掛かもしれません。

ただ、前述のような透ける想定を考慮に入れない場合、紙媒体やWEBで紹介されている色合わせはかなりくっきりはっきりした色で、現代ではちょっと奇抜に思えるものも多いですし、印象の強い裏を組み合わせることで帯合わせが限定的になってしまう可能性も。

袖口の「重ね」

袖口の「重ね」

まずは着物と襦袢の組み合わせで、ほのかに雅のニュアンスを着姿に添える…そのくらいがちょうど良いのではないでしょうか。

会話の際、動く袖口にこぼれる色。後ろ姿の袂に、ちらりとのぞく色。

自分で思う以上に、これが人目からは印象的に映り、残り香のようなほのかな効果を生んでくれると思います。

楽天爺さんが弥生を評して言った「たとえ野犬に食われようと自分の足で歩きたい女子もおる」。

出世や権力の強化に娘を用いるのは当然の時代。本書においても、良家の姫君は政争に絡んであっちへ嫁げ、いや、失脚したから次はこっち、とゲームの駒のような扱いですが、そんな中、生き生きと自分の足と頭で動き回る弥生の姿は(ここまで自由度が高かったかはともかく)、少々無鉄砲ではありますが、息苦しいほどに怨念渦巻くストーリーに爽快さをもたらしてくれています。

今宵の一冊『髭麻呂-王朝捕物控え-』

諸田玲子『髭麻呂-王朝捕物控え-』集英社文庫

諸田玲子『髭麻呂-王朝捕物控え-』集英社文庫

 髭麻呂はあらためて男を観察した。
 まだ若い男である。桔梗重ねの狩衣姿。唐衣二重袷の上物だ。高位の殿上人が女のもとへ忍びこむにふさわしいいでたちである。

諸田玲子『髭麻呂-王朝捕物控え-』集英社文庫

そして同著者の王朝ものをもう一冊。
こちらは、軽やかでユーモラスな『 髭麻呂-王朝捕物控え-』。

お金持ちでもイケメンでもなく、ものすごく仕事ができるわけでもない(どちらかと言うと、ちょい鈍臭い)し、臆病で気も弱い。でも滲み出るその素の優しさや大らかさが何とも憎めず、こまっしゃくれた従者の雀丸や、恋人の梓女をはじめとする強く明るく逞しい女たちに翻弄されながらも愛されている。

“捕物控え”とあるように、そんな愛され(いじられ?)キャラの主人公、検非違使(現代でいう警察官)の髭麻呂(本名は藤原資麻呂)が、盗賊追捕に奔走するお話です。

先に挙げた文中で「桔梗重ね」を着こなしているのは、主人公である髭麻呂の好敵手である盗賊の蹴速丸。主要人物2人が男性なので、こちらの小説では当然ながら狩衣や直衣、烏帽子といった男性の着こなしに多く言及されており(髭麻呂は官吏であるため、制服的ないでたちが多いのですが)、コミカルに描かれた当時の妻問婚や宮中の女性の部屋に忍びこみ先客と鉢合わせし慌てる様、そして想像するとちょっと笑えてしまう情事の際の様子(男女ともに)などと合わせてかなり楽しめます。

この時代の公達が身につけておくべき教養は、女性と同じく歌や書、香に加え、蹴鞠や楽器、舞など、女性の心を捉えるためにも宮中での出世のためにも、必須のものが多々ありました。

御簾のうちに引きこもり、基本的に親兄弟以外に素顔を見せることのない姫君と違い、表に出る分、もともとの容姿は当然日の本に明らかなので、そこはもしかしたら女性より損な部分と言えるかもしれません。

しかし、これらが全部できるって…。現代で言えば、博識で会話も上手、英語もペラペラでサッカーも得意。ギターも弾けて歌もダンスも上手い、遊びやゲームにも詳しい。そんな感じでしょうか。

見目麗しく、歌舞音曲をはじめとしたあらゆる才に秀で、人柄も良いーそんないわゆるハイスペックなイケメン(笑)、そうそうはいないからこそ『源氏物語』において源氏の君がカリスマ的な完璧な男性として描かれたのであって(女性関係においては少々問題がありますが)。

平安時代の公達たちも、現代と同じく、楽器は上手いんだけど運動神経にやや難ありという人もいたでしょうし、蹴鞠は得意なんだけど書や歌がどうもなぁ…という人もきっといたでしょうね。知識はすごいんだけど、コミュニケーション能力がちょっと…とか。

どちらのお話にもいろいろな宮中の儀式が登場しますが、舞の上手な人、楽器の巧みな人、歌に秀でた人。季節ごとに繰り返されるさまざまな儀式の中で、個々の優れた能力にスポットライトがあたる瞬間も、きっとあったに違いありません。

そして、例えば書や歌が苦手と言うような人たちのために、和歌や書の代作・代筆を引き受けていた人もいたのではないでしょうか。この時代、相手の心を掴む歌が詠めないと、恋を始めることすらできないから。

1000年経っても、男性も女性も苦労はあまり変わらないのかもしれません。

シックな滅紫(けしむらさき)の地色がマニッシュな印象の蹴鞠の柄を散らした小紋に、味のあるタッチで織り出された雅楽器尽くしが存在感のある袋帯を合わせ、太刀を象った鼈甲に蒔絵の帯留を添えて。

秋の野山に凛と美しい花を咲かせる桔梗の花と葉の色から生まれた「桔梗重ね」は、表が二藍、裏が濃青の組み合わせ。

二藍自体はもっと明るくて綺麗な紫ですが、前述のように重ねの表は透けるため少しくすんだニュアンスのある色になると思われます。

滅紫のシックな地色に挿した胸元の鮮やかなグリーンは、そんなイメージ。

長襦袢には鮮やかな紫を合わせて、表が紫、裏が二藍の「萩重」に。

先に挙げた『王朝まやかし草紙』には、登場人物のひとりであるちょっとお調子者の中将の装いとして『直衣の色の萩がさねは表が紫で裏薄紫、腹の出かかった体を引き締めて見せてくれるので一番のお気に入り』という描写が。

実際そんな効果があるかどうかはともかく、シックですっきり、雅やかというよりは少し粋な雰囲気もある組み合わせであることは確かです。

今宵の一冊より
〜香と誰が袖〜

 伏籠とは香炉にかぶせる籠で、上に衣をかけて香を薫きしめる。めったに客など来ないので、髭麻呂は客間に伏籠を置き、香を薫くことにしていた。他の部屋がどこもかしこも散らかっているからである。そういえば、出仕用の退紅や葛袴が、伏籠のまわりに脱ぎ捨ててあったのではなかったか。
 厭味のひとつもいわれそうだー。
 髭麻呂は顔をしかめた。
「すぐゆくと伝えよ」
雀丸を放り出し、慌ただしく狩衣に着替える。狩衣といっても、正景が着るような上物ではない。香を薫きしめてめかしこむ暇さえなかった。

諸田玲子『髭麻呂』集英社文庫

フランス宮廷における香水の発達などと同じく、現実的にその理由を追求するとちょっと身も蓋もない気がしなくもないですが、香もまた、この時代の貴族にとって(男女問わず)重要な身嗜みのひとつ。

本書でも、先に挙げた『王朝まやかし草紙』においても、漆黒の闇の中での個人の特定や他者になりすますトリックに絡んで、その香りが重要なアイテムとなります。

しかしこのシーン、なんだか、急な来客に慌ててくたびれたスーツを着ながら、あぁ消臭スプレーしてない…!とか焦る現代のサラリーマンのよう。

散らかった部屋といい、雅とは少々言い難い下流官吏の庶民的な生活を垣間見せてくれる髭麻呂には親近感を抱かずにはいられません。

唐花亀甲の地紋が浮かぶ秘色(ひそく)色に、蛍ぼかしと源氏香が散らされた小紋。
青磁の美しい肌色を指す秘色という色名は、その神秘的な美しさから名付けられたと言われます。

香名や同じ香が薫かれた順番などを聞き分け、嗅覚だけでなくその背景となる教養も必要とされる高度な知的ゲームである香道。

その楽しみ方のひとつである『源氏香』は、その名の通り『源氏物語』にちなんで組み合わせの名称が付けられています。

これからの季節にちょうどぴったりな菊や紅葉が描かれた「誰が袖」の染め帯に、末広を象った彫金の帯留を合わせて。

舞台上で本当に香を薫くシーンのある歌舞伎の演目『本朝廿四孝〜十種香〜』などにまといたい組み合わせ。

表が秘色、裏が淡青の「小栗色」の重ねをイメージして。

衣桁や屏風、あるいは樹木などに無造作にかけられた色とりどりの女性の着物。
そんな情景が描かれた「誰が袖」文様は、和歌の一節から取られたというその名称も、どこか優美で雅な雰囲気。

「誰が袖」が文様として流行したのはもう少し後の桃山時代〜江戸時代初期と言われますが、伏籠に着物を被せ、香を薫きしめる平安の情景に通じるものがありますね。

平安を代表する貴公子 〜在原業平〜

有職、笛、絞りときたら…?

平安時代初期に実在した貴族で、六歌仙(平安時代を代表する六人の歌人)に名を連ねる在原業平は、歌の才能だけでなく光源氏のモデルのひとりと言われるほど容姿端麗でもあったそう(先程、そうはいないと言ったハイスペックイケメンがここに)。

そんな業平を主人公とする『伊勢物語』、歌舞伎や能にも題材とされた演目がありますから、そんな観劇の際にもぴったりのコーディネートです。

横段の縫い締め絞りに、有職文様の松葉唐草が描かれた個性的な訪問着。

上前には立体感のある笛の刺繍が施され、作家ものか、もしくはオーダーかもしれませんが、さぞこだわって作ったのだろうなと思われる手の込んだ逸品です。

合わせたのは業平菱(業平格子とも)の染め帯。
代表的な有職文様である三重襷の別名で、これは江戸時代に、平安時代の公達と言えば業平ということでその名が当てられ通称となったのだとか。

菊花を菱の中央にあしらい、季節的にもぴったりの業平菊菱の染め帯。
笛の名手であったとも言われ、笛にまつわる逸話も多い在原業平にちなんだコーディネートです。

表が白、裏が紫の「菊重」をイメージした組み合わせには、冠の紐として組まれていたという冠(ゆるぎ)組みの白の帯締め(房の中心は紫)を添えて。

百人一首にも収録されている、かの有名な流水に紅葉=竜田川という定番の組み合わせの元となった歌、

千早ふる 神代もきかず 竜田川
からくれなゐに 水くくるとは

を詠んだのは、この在原業平。

染袋帯「菊業平」 ※小物はスタイリスト私物

ということで、流水が刺繍された半衿に、流水に紅葉を象った黒曜石の帯留を。
ちなみに”水くくるとは”の“くくる”は、くくり染め=絞りの意味なので、そんなイメージもリンク。

おまけの一冊

ずいぶん昔に骨董市だったか古書店だったか…?で入手した『潤一郎譯源氏物語』。

昭和34年に中央公論社から刊行された八巻揃えのうち、この第一巻には『桐壺』〜『紅葉賀』までが収録されています。

『潤一郎譯源氏物語』

『潤一郎譯源氏物語』(第一巻『桐壺』〜『紅葉賀』)中央公論社

表が白、裏が萌黄で『白菊』の重ねを思わせる箱に、代表的な有職文様である浮線綾文が織り出された生地が貼られた表紙。色は、濃(紅)の袴を思わせる赤系の色。

年月により、かなり色が褪せてしまっていますが、おそらく刊行された当初はもっと深い蘇芳色か紅色だったのではないでしょうか。

見返しは、五衣の袖口や裾のように少しずつずらした三層になっており(「紅の匂」のイメージかな…?)、装丁にもこだわりが詰まっています。

しかし、現代でここまでこだわったら、いったい販売価格がいくらになることやら…(この出版不況では、まず採算が取れないでしょうね)。

書籍においても、内容だけではなく、その装丁も含めて美術的価値のあるものとして趣向を凝らすことのできた贅沢な時代だったのだなと思います。

三層の見返し

なかなかに濃密で複雑な長編と、軽やかでユーモラスな連作小説の違いはあれど、どちらも平安時代を舞台としたミステリー仕立てであり、その伏線となるほぼすべてが、その時代背景や風習、風俗と濃厚に絡み合っているため、真剣に読み込まずにいられない2冊をご紹介しました。

小説が実写化される場合、勝手に想像していたイメージが違うとどうしても入り込めないので、原作からイメージがはっきりと浮かぶものは実写化されても積極的に見ないことも多いのですが、『髭麻呂』は、読みながら脳内で髭麻呂がその方で映像化されるほどぴったりだなと思う役者さんがいました。

軽快でテンポが良く、そのまま10話完結の連ドラになりそうなお話だし、NHKあたりの時代劇枠でやらないかな、あの方でドラマ化されたら観たいなーなんて。

本稿を書くにあたり改めて読み返してみて、やっぱりあの方だなぁと思ったのですが、何せ平成17年(17年前!)刊行なので、当然のことながら今ではすっかり壮年(…中年?)の良い役者さんになられています。

刊行当時であれば、本作中の年齢設定とぴったりだったのですけど…残念。

もし本稿で興味が湧いて読まれた方は、私がどなたを思い浮かべていたか想像してみてくださいね。ご意見合う方、いらっしゃるでしょうか(今の20代後半の役者さんでも、似合う方いそうですけどね)。

さて次回、第十八夜は…

実際にあったら、きっと楽しいだろうな。
制作欲を刺激する、そんな着物や帯をピックアップ。

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