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創る悦び、着る悦び 〜小説の中の着物〜 乙川優三郎『夜の小紋』「徒然雨夜話ーつれづれ、あめのよばなしー」第十五夜

創る悦び、着る悦び 〜小説の中の着物〜 乙川優三郎『夜の小紋』「徒然雨夜話ーつれづれ、あめのよばなしー」第十五夜

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小説を読んでいて、自然と脳裏にその映像が浮かぶような描写に触れると、登場人物がよりリアルな肉付きを持って存在し、生き生きと動き出す。今宵の一冊は『夜の小紋』。創り手と着手、それぞれが競い合い魅力を増すー江戸小紋はそんな着物。

『連舞・乱舞』 〜小説の中の着物

小説を読んでいて、自然と脳裏にその映像が浮かぶような描写に触れると、登場人物がよりリアルな肉付きを持って存在し、生き生きと動き出す。今宵の一冊は『連舞・乱舞』。有吉佐和子さんの作品は、どれもこれも衣裳の描写が素晴らしく…絞り込むのが大変です。

今宵の一冊『夜の小紋』

乙川優三郎『夜の小紋』講談社
乙川優三郎『夜の小紋』講談社

はやは籐兵衛に自分を紹介してから、彼の着物に目をとめて、
「よいものをお召しですこと」
と藍染めの優雅な皺出しを眺めた。ほめられた藤兵衛は気をよくしたようであった。
「これは銚子縮といって、丈夫で肌ざわりがいいだけの有りふれた着物です、もっとも女将さんのような人が着たなら見違えるかもしれない」
「着物がさりげないだけに、却って帯がむつかしいでしょうね、何でもあってしまうものが一番困ります」
「ほしいなら一反取り寄せてやろうか、そのかわり今夜はしばらく付き合ってくれ」
由蔵は話が着物へ向かうのを無意識に楽しんでいた。

〜中略〜

「酒も料理もうまいが、何より女将さんがいい」
酔ってきた藤兵衛が手放しに褒めると、急に銚子縮の反物は自分が贈ろうと言い出した。先染めにするから色を聞いておきたいと言う彼へ、女は迷わずに銚子の海の色がいいと答えた。藍染めで出すにはむずかしい注文に、藤兵衛は思い巡らす顔になったが、
「沖の黒潮なら藍か納戸色でしょうが、銚子口の海なら浅葱でしょうな」
しばらくしてそう言った。
「できれば明るい夏の海をお願いします」
「銚子の海をご存じですか」
「いいえ、存じませんが、だからこそ銚子の方からいただくものを見て海を思い浮かべるのは楽しいでしょうし」

乙川優三郎『夜の小紋』講談社より

今宵の一冊は、乙川優三郎著『夜の小紋』。
それまで読んだことのない作者でしたが、タイトルに惹かれて、ふと手に取った一冊でした。

主人公の由蔵が若き日に出会い惚れ込んだのは、型染めの小紋ー現代でいう江戸小紋ー。

その奥深さに魅せられ、自らは型彫りの職人として、確かな目と染めの技術、繊細な色彩感覚を持つふゆとともに、夫婦で地道に創作に励む日々を夢見て修行に励む主人公の由蔵。しかし兄の急死によりその道を断念し、職人として生きることもふゆとの暮らしも諦めて魚油問屋の主人となります。

冒頭で取り上げたのは、家業を継ぎ商家の主人となった由蔵が通う料理屋の女将はやとの会話。

由蔵が通い始めてから”同じ着物を見たことがない”というほどにこだわりを持つはやと由蔵のやりとりはテンポが良く、着物好きならば「そうそう、わかるわかる…」と頷いてしまうであろう箇所が多々あります。

現代でも人気のある江戸小紋(私自身も好んでよく着ていますが)の魅力について、本作ではこのように語られています。

下絵を描く人、型を彫る人、染める人、着る人、それぞれがその精緻さと趣向を競い合うー

確かに、江戸小紋はそんな着物。

趣向を凝らした意匠とその洗練度、彫りの細かさ、染めの技術、配色の妙、着こなし…どれが欠けても、その魅力を最大限発揮することができず、おもしろみのないただの無難な着物になってしまう。ある意味とても難しいとも言えますし、それがゆえに着甲斐があるとも言えますね。

江戸小紋は、創り手だけでなく着手の裁量がその良さを大きく左右する、そんな着物と言えるかもしれません。

すべてが柄になる

数百とも数千とも言われる江戸小紋の柄。徳川家の「お召十」や島津家の「大小霰」などに代表される、武家の裃に由来する「定め柄/定め小紋」に対し、町人が粋な洒落っ気を発揮して次々に生み出した「いわれ柄/いわれ小紋」と呼ばれる柄には、ふふっと笑ってしまうようなおもしろいものがたくさんあります。

動植物や自然の風物、身近な道具はもちろんのこと、鳥や猫の足跡などもあり、たぶん型彫り職人が、ふとこれおもしろいんじゃない⁉︎と思ったものをすべて柄にしたんだろうなと思わせる貪欲さ。

そして何よりも、その追求する貪欲さをまるで感じさせず洗練の極みまで昇華して、さりげなく軽やかに魅せてしまうところが江戸小紋のいちばんの魅力だなと思うのです。

大根卸し

本作にも登場する、卸し金と大根を文様化した「大根卸し」の文様は現代でも好まれている、遊び心にあふれたおもしろ柄江戸小紋の代表格。

”あたらない”という意味から、下手な役者を「大根役者」と呼びますが、”大根を卸す=役を下ろす→厄を落とす”ということで、江戸の人々が大好きな洒落を効かせた組み合わせ。

こういった機知に富んだことば遊びや語呂合わせは、江戸っ子たちの得意技。

例えば「初夢」と題された、一富士二鷹三茄子/富士山(あるいは藤の花)、鷹の羽、茄子といった組み合わせや、瓢箪と将棋の駒で「瓢箪から駒」、狐と霰で「狐の嫁入り」などなど、ひとひねりされた洒脱な柄がたくさんあります。

烏帽子、扇子、鈴で「三番叟」のように、多少の知識がないと正解に辿り着けない組み合わせもありますが、連想ゲームや謎解きのようなおもしろさもまた江戸小紋の魅力のひとつ。

江戸小紋着尺「一富士二鷹三茄子」
江戸小紋着尺「一富士二鷹三茄子」

願いを込めて

無病息災

瓢箪6つで六瓢(むびょう)=「無病息災」にかけて、という、よく知られたモチーフ。

丸く紋章のように配されたアレンジと極彫りの精緻さ。そして、重ねて染められた色の深み。個々の要素が響き合い、洒脱さだけでなく格調の高さも備えた一枚です。

いわゆる三役や五役でなくても、こういった柄なら、洒落紋や縫紋を入れて茶席やお祝いの場にもふさわしいよそおいになりますね。

南天

江戸小紋 南天
両面染め江戸小紋「南天/角通し」

南天は「難を転ずる」。
稲穂に鎌、升なら「五穀豊穣」。

願いや祈りを込めた柄を、洒落や遊び心を効かせながら洗練された柄に仕上げ、さりげなく身にまとう。これもまた、江戸っ子らしい小粋さだなと思います。

文字遊び

花鳥風月

文字の文様化は、平安時代の、水辺の風景に文字を紛れ込ませた葦手絵(流水に紛れさせるのは水手とも)から始まったと言われます。

和歌や経文などを絡めた葦手絵は、やはりどこか貴族的な雰囲気がありますが、江戸時代の山東京伝や葛飾北斎によって描かれた、黄表紙と呼ばれる草双紙(現代でいう漫画本のような)の遊び絵などは、庶民にも大いに人気があったようです。
同時代の世界的に見ても、江戸の人々は識字率が高かったと言われるのも納得といったところでしょうか。

その真偽はともかくとしても、文字を模様として取り入れ楽しんでいたのは確かで、江戸小紋において、さまざまな文字がそのまま柄となるのもある意味当然の流れ。

家内安全

【染師・光擴 彫師・双光】江戸小紋「家内安全」
【染師・光擴 彫師・双光】江戸小紋「家内安全」

「家内安全」や「不老長寿」などの四文字熟語や「寿の字」尽くしに「干支」尽くし。
変わりどころでは江戸・京・大阪の「三都」尽くしといったものも。

好きな役者の名前や紋を組み合わせたり、本作に登場するはやのように、自前で着物を作る甲斐性のある女性ならきっと、思う相手の名前の一字や干支を紛れ込ませた柄なども作らせていたに違いありません。

身近な道具を柄に

和綴本

正絹江戸小紋「花箱・藤紫色」
正絹江戸小紋「花箱・藤紫色」

さまざまな小花が表紙に配された和綴本の柄。冊子紋とも呼ばれます。

器物紋と総称される道具柄ー着物の柄としてはメジャーとも言える茶道具や几帳、文箱といった雅なものから、臼や五徳、鋏、傘といった身近な庶民の道具(本作に登場する卸し金も)に至るまでーには特におもしろいものがたくさんあり、柄になっていないものはないんじゃないかと思うくらい。

特に和綴本は、その中でもわりとよく見かけるモチーフです。

どちらかというと古典的ではんなりとした印象になりがちな和綴本ですが、このデザインは現代のグラフィックアートのようなモダンさがあり、新鮮な表情を漂わせています。

縞や格子も

玉縞

万の筋(縞)、という意味で「万筋」と呼ばれる、ほぼ無地感覚の細い縞。
その中でも、1寸(3㎝強)巾に26本の縞を通した緻密なこの縞は「玉縞」と呼ばれます。

縞が細く、本数が多くなるほどに型彫の技術が求められるのは当然ですが、同時にその型を扱う染めの技術も必要とされます。

シンプルであるがゆえに、ごまかしが効かず難しい。
こういった細い縞は、その最たるものと言えるでしょう。

「玉縞」「毛万筋」「極毛万」など、その細さによってさまざまな呼び名がありますが、それを追求する心情もまた、江戸小紋らしさの神髄とも言える気がします。

格子間道

布地における最古の文様と言われるのが、縦横の線を組み合わせることで表された格子や縞などのシンプルなもの。

もともとは織物で表現されていた最も原始的な文様を染めで再現しようという試みも、またおもしろいところだなと思います。

当時、南蛮渡来の生地は当然ながら貴重で、ほんの数㎝角の端裂さえも珍重され高価で取引されました。

庶民の手に渡ることはまずなく、実物を目にする機会もなかなかなかったでしょうから、裕福な商人の所有する裂などに接したことのある職人が、その美しさを染めで再現しようと試みたのかもしれません。

唐桟縞

インドのセント・トーマス(サントメ)港よりオランダ船によって渡来した木綿織物に由来する桟留縞。

唐で作られた桟留縞を唐桟留と呼び、それが略されて唐桟縞(あるいは唐桟)となったと言われます。“縞”という名称も、“島”に由来するという説も。

本来ならば、織物であるがゆえにざっくりと荒々しく素朴さのある唐桟縞。

万筋のような精緻な美しさとは対極にあるとも言える、どこかエキゾチックでプリミティブなその魅力さえも染めで表現してみせる、これもまた江戸小紋の魅力のひとつですね。

今宵の一冊より
〜いわれ柄/茣蓙目文様〜

茣蓙目文様

茣蓙の目、と言われても、ぱっと結びつかないほどモダンに昇華された文様は、しなやかで適度なハリのある結城紬の素材感と相まって、より魅力的な表情に。

縦長の亀甲のような縞に近い感覚の幾何学柄が、すっきりとした印象の着姿になりそう。

単衣のコーディネート

柔らかい透け感のある絹芭蕉の地に、地紙に菊が描かれた夏虫色の帯を合わせた秋単衣のコーディネート。

「重陽の節句」
きもの・帯 同上 ※小物はスタイリスト私物

菊の着せ綿に含ませた露を混ぜた「菊酒」を飲んで長寿や無病息災を祈る9月9日の「重陽の節句」にちなみ、木彫の六瓢の帯留を添えて。

カジュアルな組み合わせ

9月後半〜10月にかけて楽しめそうな、ざっくりとした風合いの生紬の帯を合わせたカジュアルな組み合わせ。

さりげなく秋色の気配を。
きもの・帯 同上 ※小物はスタイリスト私物

小物にさりげなく秋色の気配を。

自分だけの色を求めて

銚子の海の色として挙げられた「納戸色(なんどいろ)」(御納戸色とも)。

緑みを帯びた暗い青を指すこの色は、江戸時代に好まれた代表的な色のひとつです。

納戸とは、現代でも使われている(とは言え、わかるのは昭和世代まででしょうか…笑)衣裳や調度品を入れておく部屋のこと。江戸城における、納戸役の制服の色や納戸に置いてある調度品にかけた布の色からその名が付いたと言われます(納戸の奥の薄暗い闇の色という説もあり、私としてはこちらを採りたいところ)。

珊瑚色に山吹色。
露草色、白緑、青磁。
萌黄、鶸色…

本作中、次々に登場する響きの美しい日本の色の名前。

これらはまだ想像がつきますが、和の色名の中には、先に挙げた納戸色のように由来がわからないとどのような色なのか想像もできない名前も多く、ある意味これも連想ゲームのようなものかもしれません(和の色名を調べたことのある方はお分かりかと思いますが、同じ名称でも資料によってまったく違う色が載っていることも多々あり、どれが正解かはなんとも言えないところではありますが…)。

色って、本当に難しい。

例えば、ひと口に黒と言っても、藍下の黒と紅下の黒ではまったく違います。

白生地を先に藍で染めてから黒に染める藍下は、クールな澄んだ黒。
硬質な印象のクリアな黒に。

紅(または檳榔子)で染めてから黒に染める紅下は、柔らかく深みのある黒になります(時間が経ち黒が褪せると「羊羹色」と言われるようになるのはこちら)。

余談ですが…

画像は、左から『玄(くろ)』と『白』。

『玄』と『白』)『玄』(左)と『白』(右
『玄』(左)と『白』(右)

3500年ほど前に中国で生まれた、現代でも私たちが使っている漢字の起源とされる古代文字です。

現代では色名として「くろ」を言う場合『黒』を主に用いますが、実は『玄』もまた、色に関わる成り立ちを持つ文字。

『黒』は、袋の中に入れたものを火に燻べて色をつける様子をそのまま表したもの(その袋の中のものが「墨」)。

『玄』は、糸を束ねてねじった形。

束ねた糸を、何度も何度も染め重ね、究極まで染めたその色を『玄(くろ)』としたことからできた文字とされます。何事かを極めた人を意味する「玄人」という言葉は、ここから派生したもの。

ちなみに『白』の由来は、白骨化した頭蓋骨の形(いわゆるドクロ)。

色に関わる文字の成り立ちにも、興味深いエピソードが散りばめられています。

同じ色を指して、ある人は茶と言い、ある人は紫と言っているなんていうこともよくあること。

色の認識ほど個人差の大きなものはないので、色名だけで脳内イメージを共有するのはまず不可能と言って良いでしょう。
仮に色見本があったとしても、それが紙なのか生地なのか。
また生地であったとしても、光沢のある綸子か艶のない縮緬か。目に見える印象は、それによってまったく違ってきます。

大量生産品ではなく、一点一点人の手によって染められるものであれば、染め屋さんによっても得手不得手があり、傾向というか癖のようなもの(甘い方向に転びやすいとか、渋めになりやすいとか)もやはりあります。土地柄のようなものも。

また、水や気温によっても変わるので、例え前回と同じで、とオーダーしたとしてもそう簡単にはいきません。まったく同じ色は二度と出ないと言っても良いくらい。

そこが悩ましいところでもあり、おもしろいところでもある。
だからこそ、職人さんの手によって、こちらが想像していた以上に良い色を出していただけたときの喜びはひとしおです。

江戸小紋もまた、柄がシンプルで無地感覚なだけに色はとても重要。点描で柄が表される江戸小紋は、その柄によって白の分量が変わるので、地色とのバランスによって柄の見え方や色の濃度も変わってきます。白が立ちすぎると思えるときは、ごく薄い銀鼠や象牙色など、ひと色敷いたりする場合も。

江戸小紋を新たに制作する際の色出しは、私もいつも本当に悩みます。脳が煮えそうになるくらい(笑)。中には直感的に決まる柄もありますが、大抵はいつもお願いしている職人さんと、この柄でこの色だとどう見えるか、仕上がりがどうなるか…など、ひとつひとつ吟味し相談しながら慎重に決めていきます。

もし、気に入った柄があって違う色でのオーダーを考えているなら。

小さな色見本と実際の染め上がりでは印象が違う場合も多々ありますから、着用したときにこのくらいの色に見えるようにしたいと伝えるのも、イメージとかけ離れないようにするひとつの方法です。そうすれば、創り手の方でうまく加減して、最終的に着手が求めているところに仕上げてくれるはず。

色のオーダーは、慣れないうちは少々ギャンブルなところもあり、ちょっとハードルが高いかもしれませんが、信頼できる職人さんや仲介してくれる呉服屋さんが見つかったら、ぜひ自分だけの色を求めてチャレンジしてみて欲しいなと思います。

今宵の一冊より
〜海の色をまとう〜

冒頭のシーンの後、はやに贈られた銚子縮は「海で洗ったよう」な清々とした浅葱色でした。

海の表情を感じさせる一枚
【青柳】 櫛引き織り紬着尺 「斜めぼかし・紺色」+【郁志萍】手刺繍絽袋帯 「海賦文」

たとう紙を開き、銚子の海の波に譬えながら、その皺(しぼ)を指先で愛でるはや。

水面を思わせるような櫛引織の透かしと、紺青から青藍、紺碧へのグラデーションが美しいこの赤城紬もまた、凪いだ海や深い夜の海など、さまざまな海の表情を感じさせる一枚。

白地に繊細な藍のグラデーションで海老や蟹、珊瑚や海藻など、愛嬌のあるモチーフが刺繍された海賦文の帯が映える、海尽くしのコーディネートに。

より涼やかな印象に。
【青柳】 櫛引き織り紬着尺 「斜めぼかし・紺色」+【郁志萍】手刺繍絽袋帯 「海賦文」
※小物はスタイリスト私物

帯揚げには、イソギンチャクみたい?な絞りで遊び心を添えて。小物の色遣いも藍のグラデーションで統一。銀細工の蛤と千鳥の帯留で、より涼やかな印象に。

色みを絞る場合、一色の単調なものではなく、ライン遣いや絞りなど質感のあるもの、ワンポイントのアクセントのあるものなど、表情のある小物を組み合わせると帯周りに奥行きが生まれます。

光の下で見ると、雰囲気が変わりますね。

オレンジがかった光の下で見ると、ずいぶん雰囲気が変わりますね。夜明けの海か、それとも夕暮れの風情でしょうか…?

それぞれの良さを味わう

「古着にもそれはよいものがあって、気に入ったものは仕立て直して着ております、五十年より前のものには職人の思いと着た人の魂がどこかに染みついています」
「洗い張りをして、せっかくの魂が落ちやしないか」
「それで落ちるようなら、それだけの着物でございましょう、そういうものには未練も湧きません」

乙川優三郎『夜の小紋』講談社より

本作の舞台である江戸時代においても、庶民にとって古着(リサイクル)の活用は当然のことでした。新品を仕立てるなど一生に一度あるかどうか…といった暮らしの人々も多かったと思います。

本書『夜の小紋』には、自分がかつて手放した古着を着た女性と偶然行き合うシーンから始まる『妖花』という短編も収録されていますが、この時代の庶民の暮らしにおいては、衣類だけでなく生活の道具なども、その時々の必要に応じて手放したり入手したり、炬燵や蚊帳など季節的に不要なものは質に入れ、必要なものを請け出すか、当座の費用に換えるといったことは普通だったようです。

現代もまた、リサイクル市場が充実している時代。

お手頃だったり仕立ててあるからすぐに着用できたり、新たに創るとなると値段的にも時間的にも技術的にも難しいものが入手できたり…と、リサイクルならではのメリットも確かにあります。

ただ、そればかりで今作られている商品が売れなければ、現在生産に携わっている人たちの生活が立ち行かなくなりますし、技術も廃れていくことになります。

新品には新品の良さ、古着には古着の良さがある。

ちなみに私が20年以上前に初めて自分で購入した紬は、洗い張りして解いた状態の手織りの結城紬。軽くてしなやか、程よく身に沿う着心地の良さはさすがとしか言いようのないもので、今でも愛用しています。

新品をこの状態まで育てるには…少なくとも三代かかる……と考えると、思わず遠い目に(笑)。

こんなふうに古着でないと出会えないものもやはりありますが、八掛などにもこだわって反物からマイサイズに仕立てた着物の着心地や、自分だけのデザインをオーダーする愉しみもまた、他には換え難い魅力。

アンティークにはアンティークならではの魅力的なものがありますし、あらためて見てみると、私のワードローブは、新品、リサイクル、アンティークが程よく混じり合っていますね。

今後も、それぞれの良いところを味わいつつ、ワードローブをより充実させていけたら良いなと思います。

着手としてのはやの想い、創り手としての由蔵の想い。

由蔵と離れた後も、ふゆにしかない感性と腕を磨き続け、作品として創り上げてみせたふゆの無言の想い。

私自身が着手と創り手の両方の立場でもあるので、それぞれに共感するものがありました。

「これが着たい!」と切望する(私の仕事柄、◯◯さんに着せたい、ということもありますが)ような、制作者の想いのこもった素晴らしい作品に出会ったときの高揚感。

また「こういう柄があったら楽しいだろうなー」「これを着物にしたら素敵かも!」と、ふと思いついたときのわくわく感。

そして、私自身の手で柄を実際に描いたり染めたりできるわけではないので、思いついたものを形にするには不可欠な、その技術を持ちセンスを共有してくださる職人さんたちと一緒にデザインを突き詰めていくときの、どんどんテンションが上がっていく感覚(ふゆのように、その職人さんにしか出せない感性というものもやはりありますから、信頼してお任せできる腕と感性を持つ方との出会いもまた、とても貴重なのです)。

そのどれもを経験させていただけていることが、幸せだなと…あらためて。

さて次回、第十六夜は…

悉皆(しっかい)。

「ことごとく、みな」という意味を持つこの言葉。

現代においては、着物に興味を持たなければ縁のないままであろう専門用語が多々ありますが、もしかしたら、これがその筆頭かもしれません。

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