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『やわた走井餅老舗』 11代目 井口香苗さん【YouTube連動・インタビュー編】「元芸妓 紗月が聞く!京都、つなぐ世代」vol.3

『やわた走井餅老舗』 11代目 井口香苗さん【YouTube連動・インタビュー編】「元芸妓 紗月が聞く!京都、つなぐ世代」vol.3

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京都・石清水八幡宮の門前にある老舗の和菓子屋『やわた走井餅老舗』。大津から移転して100年以上、門前名物として地元の人や参拝者に愛される門前名物“走井餅”の歴史を、11代目・井口香苗さんに教えていただきます。

石清水八幡宮の門前を訪ねて【YouTubeリンク】

MCの紗月さん
MCの紗月さん

794年から約1000年に渡り、日本の都として栄えた京都。その間に育まれた独自の文化や伝統は、今も耐えることなく街の中に息づいています。そこには、いつの時代も“伝統文化の担い手”として切磋琢磨してきた人々の姿がありました。

2015年から2021年まで祇園甲部の人気芸妓として活躍した紗月さんがMCを務め、代々家業を受け継ぎ、また次の世代に引き継ぐべく奮闘されている方々に“老舗を守りつなぐお話”を伺います。

まずは、インタビュアーである紗月さんの衣装をご紹介。

花葉模様の小紋姿で登場

今回は、異国情緒あふれる花葉模様が染めあらわされた爽やかな小紋でご登場。どことなくアートな気配もある一枚を、とても自然に着こなされています。

すくい織の帯
黒地の帯が着姿を引き締めて

帯には、着物に呼応するような伸びやかな柄ゆきの黒地のものを。スクイ織りの技法にて織り出されています。

元芸妓さんらしい輪出し絞りの赤が帯揚げにちらりとのぞき、また、帯締めの淡い鴇色(ときいろ)は紗月さんの人懐こい優しさのままに。

淡い鴇色の帯締めと、赤色の帯揚げがアクセントに

さて月一でお届けする本連載は、紗月さんの取材と体験を通じ、一つひとつの老舗の物語を浮かび上がらせてまいります。

「走井」のマークが描かれた暖簾
「走井」のマークが描かれた暖簾

今回伺うのは、京都の和菓子屋 『やわた走井餅老舗(はしいりもちろうほ)』。創業250年の歴史を受け継ぐ11代目・井口香苗さんに、お店の歴史や家業を継ぐまでのストーリーを伺いました。

お餅が大好きだという紗月さん。

どんなお話が伺えるのかワクワクが止まりません!

webページではYouTube動画に加え、オフショット付きでインタビューの模様をお届けします!

江戸時代中期に生まれた“走井餅”の歴史と由来

石清水八幡宮の門前名物・走井餅

こちらは、京都・石清水八幡宮の門前名物“走井餅(はしりいもち)”。

こし餡を柔らかな羽二重餅で包んだ、地元の人や参拝者に長年愛される甘味です。

そんな走井餅を看板とする和菓子屋『やわた走井餅老舗』は、同宮の門前、一ノ鳥居前に情緒ある店舗を構えています。

『やわた走井餅老舗』外観
『やわた走井餅老舗』外観

江戸時代中期の明和元年(1964年)に滋賀県・大津で創業。7代目が明治43年(1910年)に石清水八幡宮の前にお店を移転してから、今年で112年となりました。

「7代目がこんなありがたい場所を選んでくれたことに感謝しています」

向かって右側が11代目当主・井口香苗さん
紗月さんと、11代目当主・井口香苗さん

そう語るのは、11代目当主を務める井口香苗さん。10代目の長女として生まれ、2008年から家業に入りました。

そんな井口さんが、「走井餅老舗」の歴史について教えてくださいます。

「江戸時代に大津で営業していた頃はとても賑わっていたようで、その様子は安藤広重の東海道五十三次にも描かれています」

当時、走井餅老舗は「走井茶屋」という看板を出し、名物の走井餅で有名な茶店でした。

安藤広重『東海道五十三次』に描かれた「走井茶屋」
安藤広重『東海道五十三次』に描かれた「走井茶屋」
インタビュー中の紗月さん

「すごい!よっぽどおいしくて、それだけ街を支えるようなお餅屋さんだったということですよね」

と紗月さん。

お店に飾られている「走井餅」の由来
お店に飾られている「走井餅」の由来

走井餅は、初代井口市郎右衛門正勝が湧水「走井」を用いて、餡餅を作ったことに始まります。

走井は当時、成務天皇の産湯に使われたり、平安時代から歌に詠まれたりするほど名高い水だったそう。

“刀の形”を表した走井餅
“刀の形”を表した走井餅

ちなみにこの独特なお餅の形は、刀の形をあらわしているのだそう。

「祇園祭の長刀鉾の一番上の長刀を鍛えた三条小鍛冶宗近(さんじょうこかじむねちか)という刀鍛冶が、走井の水でも刀を鍛えた、という伝説から刀の形になりました」

そんな歴史が刻まれた走井餅。歴代の当主たちはその味を次の世代に引き継ぎ、守り続けてきたのです。

11代目の覚悟。悔しさが上達への道

幼少期を語る井口さん

活発な子供だった、とご自身の幼少期を語る井口さん。

石清水八幡宮入り口
石清水八幡宮入り口

京都八幡で生まれ育ち、子供の頃は石清水八幡宮を公園のように走り回ったり、遊んだりしていたといいます。

当時、井口さんは歴史ある和菓子屋に生まれたことについてどうお考えになっていたのでしょうか。

インタビューの模様

「私はこの家に長女として生まれたので、小さいときから、いずれは私が継ぐのだろうなと心の奧では思っていました。ただそれが、なかなか実感としては沸いてこなかったんです。

大学では管理栄養士の資格を取得し、卒業後はしばらく病院給食や栄養指導の仕事に携わっていました。食品関係の学部に入ったのは、いずれ何かの役に立つかもしれないという思いからでした」

そうこうしているうちに、お店を切り盛りしていたご家族が高齢化したこともあり家業を継ぐことを決意。

小学生の時からお店の販売や包装のお手伝いはしていたという井口さんですが、実際に走井餅をつくる作業に加わるのはこの時が初めてでした。

走井餅を作る井口さん
走井餅を作る井口さん

「最初はやっぱり全然できなくて。その頃は祖母につきっきりで教えてもらっていたんですが、祖母の作る速度や美しさにぜんぜん追い付かなくて悔しかった」

当時を振り返り、井口さんはこう語ります。

いつか追い越そう。そう思いながら何度も作り続けるうちに、腕が上達していったそうです。

沙月さんと井口さん
紗月さんと井口さん

「“継続は力なり”じゃないですけど、やっぱり、続けることが大切だと思います」

10年以上、一日も欠かさずに毎朝作り続けることが井口さんの日常。

そんな井口さんの走井餅づくりを、次回は実際に見学させていただきます…!

紗月さんファン必見!オフショット

「やわた走井餅老舗」がある石清水八幡宮の一ノ鳥居前
「やわた走井餅老舗」がある石清水八幡宮の一ノ鳥居前
鳥居前にて
爽やかな天候に恵まれて
鳥居の前でくるくると楽しそうに舞う沙月さん
鳥居の前でくるくると楽しそうに舞う沙月さん
動画のオープニングを撮影中!
オープニングナレーションを収録!
インタビューは縁側の席で行われました
インタビューは縁側の席で行われました
お話中も笑顔が絶えないお二人
お話中も笑顔が絶えないお二人
店内には最中や煎餅などのお土産が並ぶ
店内には最中や煎餅などのお土産が並ぶ
もちろん、走井餅も購入できます♪
もちろん、走井餅も購入できます♪
スマホでの撮影に応じる井口さんと紗月さん
スマホでの撮影に応じる井口さんと紗月さん
最後にお二人のツーショットで
最後にお二人のツーショットで
走井餅づくりに密着した後編もお見逃しなく!
走井餅づくりに密着した後編もお見逃しなく!

文章/苫とり子

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