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誉田屋源兵衛 特別展示レポート〜「温故知新」伝統の技と革新の精神〜

誉田屋源兵衛 特別展示レポート〜「温故知新」伝統の技と革新の精神〜

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京都きもの市場銀座店で開催された誉田屋源兵衛の特別展示「温故知新」のレポートをお届けします。今回は、美術品と称される作品や、秘蔵のコレクションがそろい踏み。常に新たなものづくりに挑む誉田屋源兵衛の逸品との出会いをみなさまにお届けします。

創業280年の歴史を持つ帯匠 誉田屋源兵衛。
脈々と受け継がれてきた伝統の技と革新の精神は、今なお進化を続け、他に類を見ない織物となって私達の前に姿を現してくれています。

「温故知新」(故きを温ねて新しきを知る)というタイトルと案内状の表紙に厳然と輝く帯。
そのただならぬ様子に、一体どうしたらこんな帯ができるのだろうと好奇心に駆られ、わくわくしながら銀座店へ。

誉田屋源兵衛の展示会風景
レポーター美鈴

レポーター/ 美鈴

母の着物を受け継いでから、『自分で着物を着たい!』、と着付け教室へ。
美術鑑賞や音楽鑑賞に着物を着て出掛けています。
きもの市場さんのサイトで商品の説明を読むのが大好きです。

私が誉田屋源兵衛さんの帯に初めて出会ったのは2年半前。それまでにも、美しい輝きや色合い、素敵な文様やデザインの帯をいろいろと拝見してきました。・・・が、です。それまでの帯とは全く印象の違う帯に出会ったのです。何と言ったらよいのでしょう。とても一言では言い尽くせません。

知る人ぞ知る、帯匠 誉田屋源兵衛。

着物初心者の私には知るよしもなし。全くの衝撃でした。
その誉田屋源兵衛さんの個展。今回は以前にも増してたくさんの目を見張る作品が銀座店に揃いました。
誉田屋源兵衛さんの美術品、芸術品として家宝にしたいくらい素晴らしい作品の数々から、逸品中の逸品や新たな作品、また、他とは一線を画す織物を紹介します。

この金色に輝く文様が浮き上がった作品は、
案内状の表紙にあった「金唐紙(きんからかみ)」の帯です。
どうしたら、このような立体的織物ができるのでしょうか。
案内状の中の説明を読むと書かれていることは読めても、難しくて実状が想像できません。

Googleで「金唐紙」を検索しました。
まずは、この紙自体が大変な苦労の元に復元されたと言うこと。そして、この存在感を錦上に留め置くために誉田屋源兵衛さんの腐心がまたとてつもない、ということ。立体感を損なわないように裏にアンを充填し、細心の注意を払って裁断し折り合わせる。凸凹の激しい箔はずれやすい。それを寸分の狂いもなく織り合わせる。
何という気力と技。
螺鈿の箔糸の巾は1㎜ほどなのに対し,金唐紙の箔糸の巾は5~7㎜。太いほど柄合せが難しいのだそうです。これを可能にするのが織匠といわれる職人さんの技。

造る人、それを織物としての箔にする人、織るためにそれを裁断する人。そして、そもそもそんな凄いものを帯にしょうとする誉田屋源兵衛さんの発想と方策の編み出し。
多くの作り手の魂の連鎖を感じます。

金唐紙の袋帯

◆金唐紙とは◆

中世ヨーロッパで壁の内装や皮革工芸品などに用いられたギルトレザー(金唐革)にルーツを持ち、日本で和紙を素材として作られたものです。
明治期の日本では大蔵省印刷局を中心に製造され、盛んに欧米各国に輸出されていました。
パリやウィーンでの万国博覧会などで高い評価を得て大量に輸出され、ヨーロッパ王朝貴族の城や宮殿の壁をきらびやかに飾りました。
日本でも国会議事堂や鹿鳴館、旧日本郵船小樽支店、旧呉鎮守府司令長官官舎、旧岩崎邸など数多くの建物に金唐紙が使われていました。
その後、一度は途絶えてしまったこの技術を、金唐紙研究所・上田尚が蘇らせ、日本各地で使われていた金唐紙を復元してきました。(金唐紙研究所ホームページより引用)

◆製法◆

箔を貼った和紙の裏を水で湿らせ、模様が掘られた筒型の版木棒に巻き付け、打ち刷毛で4~5時間叩く。強く、均等に丹念な作業を繰り返すことで、模様をより鮮明に浮き上がらせる。と同時に、それによって紙の繊維が絡み、強くなる。乾燥させた後、裏貼りをして漆や油絵の具で着色。錫泊はワニスを塗って金色に輝かせる。裏面に柿渋などの耐水剤を数回塗布して完成する。(日本文化の入り口マガジン和楽より引用)

誉田屋源兵衛のイギリスのヴィクトリア・&・アルバート博物館収蔵作品

この三条の帯は、何とイギリスのヴィクトリア・&・アルバート博物館にパーマネントコレクションとして収蔵された作品です。

左はネバーギブアップ「不諦不動(ふていふどう)」と命名された帯。
漆箔の佐賀錦地に純銀、プラチナ糸、小石丸の絹を浮織したもの。織り出された文様は末廣。
断じて要が外れることのない破れ扇は、不撓不屈の精神を表しているのだそうです。
漆黒の闇に浮かび上がる破れ扇に、私の目は釘付け。吸い込まれそうです。

「不諦不動」という名の佐賀錦地に浮織を施した袋帯
「螺鈿 麻の葉」という名の天然の貝を使用した袋帯

中央は「螺鈿 麻の葉(らでん あさのは)」と命名された帯。
天然の貝の美しさをそのままに表現するために限りなく薄く削り、糸状にして織り上げたもの。
「脅威の技が今に残ることこそ驚嘆すべきこと」、との記述に、どれだけ不可能に近いことを成し遂げているのかが伺えます。織っているとは思えない滑らかな箔の表情に、二の句がつげません。
文様の初源はオスマントルコ・ペルシャなのだそう。この文様は、中国は宋の時代に日本に伝来し、建築・染織・工芸品などに広く使われております。赤ちゃんの産着にも使われていますね。元気に育って欲しいという願いや魔除けの意味があるそうです。

右は「世界中の子と友達になれる」と題された帯
日本画家「松井冬子」さんと誉田屋源兵衛さんのコラボレーション作品。
美しい藤の花、それに群がるおびただしい蜂。その巧妙、細密な表現を織物としては限界の太い糸を織り込んで、陰影の妙味を用いたとのこと。筆で描くことと織で表現すること、お互い一歩も譲らず火花を散らし作り上げられたとのことです。もの凄い迫力を感じます。火花を散らした様子が乗り移っているのでしょうか。

日本画家「松井冬子」と誉田屋源兵衛コラボレーション作品

さて、次はどの帯を紹介しましょう。誉田屋源兵衛さんの帯はどれも心を奪われるほど美しく、あまりにたくさんの名品に囲まれて、胸は高鳴りが止まず、頭は情報の洪水で混乱しています。

馬琴織という名の馬の毛を使用した袋帯

こちらの作品は黒地に青い模様の入ったシックな感じの帯。
命名は「馬琴織(まことおり)」
名前から分るように「馬」がキーワード。
そうです、馬の「毛」が使われているのです。

古くから馬は神の乗り物である神聖な動物であり、帯もまた、魂を結ぶものであり、神が宿るとされたそうです。
馬のタテガミを織り込むということは、帯が本来持っていた精神性を強調し、心身の平安を守る真の帯の復活を意味するのだそうです。
太鼓や前腹の部分に緯糸で馬のタテガミが織り込まれています。黒い線です。
この写真ではその緯糸がはっきりと分からないのが残念です。ぜひ、現物を見て下さい。
近年、ホースヘアーのバッグや財布がたくさん見られるようになりました。しなやかで強靱な素材が好まれるわけですが、神の乗り物を持つことによって、精神性を強調してくれると知っていたら,見方が変わっていただろうなと今、思います。

こちらの作品も帯です。
深く鈍い色調に湖の底から何か湧き上がるような感覚を覚えます。この帯、織模様がありません。なのに、泡のような線のような模様が見えるのは何故でしょう。
それは、この素材によるものです。
その名も「古箔(こはく)」。
箔とは最上級の和紙に漆を引き、本銀箔を丹念に、わずかに重ね貼ってつくるのだそうです。
本銀は年と共に酸化して焼けていく。この作品は約百五十年前に作られた本銀箔を使ってつくられた帯。徐々に経年変化した箔を織物として織り上げたものだそうです。
本銀は自然に変化し、人為的な作為では及びもつかない深く圧倒的な美しさを表現してくれます。

古箔という名の約百五十年前に本銀箔を使ってつくられた袋帯
綺羅織璃という名の螺鈿を用いた袋帯

次なる誉田屋源兵衛さんの作品はこちら。
キラキラと、真珠のような柔らかい乳白色に光るこの帯は、一体どんな素材でできているのでしょう。
えっ?これも螺鈿なのですか!

高貴な王朝文化を華麗に彩った螺鈿細工。平安王朝にこよなく愛され、当時は、金銀や宝石と同等の財宝で富貴や永遠の美の象徴でもあったのだそうです。
希少な天然の貝殻を極めて細かく研磨し,熟達の職人技で細かく断裁し織り込みます。
織り込まれたのは福を招く矢羽根の文様。神秘のきらめきを宿す超細密工芸美術の逸品。
命名も、まさしく「綺羅織璃(きらおり)」。

「綺羅」という言葉を辞書で調べると「綺」は綾織りの絹布、「羅」は薄い絹布の意で、 美しい衣服のことだと分りました。そして「織」ではなく、「織璃」です。
この「璃」の意味も調べてみました。

偏の「王」は「玉(ぎょく)」のこと。読みを表す「离(リ)」は「美しく光る」という意味。これを組み合わせて「璃」の漢字が作られた。つまり美しく光る玉、「宝石」のことなのです。
この文字を使った言葉と言えば「瑠璃」。これは七宝の一つで青色の宝石、ラピスラズリのこととあります。また「玻璃」とは天燃ガラス,水晶のことだそうです。
命名の奥深さ、妙味に、思わず唸ってしまいます。「綺羅織璃」とは織の宝石なのです。

◆矢羽根文様とは◆
「矢羽根」とは、矢を真っすぐに飛ばす為に矢の後方に付けられた羽根の事で、それを図案化したものが矢羽根文様です。
弓矢には魔除けの意味があり、矢は古くから正月の破魔弓や、建物の上棟の時の邪気払いに用いられてきました。
矢羽根文様は和服の柄などに用いられ、それを配した着物や織物は矢絣(やがすり)ともいわれています。
弓で射た矢は戻らないことから、「出戻らない」の意味をこめて、江戸時代の嫁入りの支度に矢絣のきものを持たせたといいます。 戻らないこと、まっすぐに突き進むことから、縁起柄とされています。

明治~大正頃には女学生の定番衣裳として、矢絣の御召とえび茶色の袴の組み合わせが流行しました。
今でも、卒業式で矢絣に袴スタイルの女学生を見かけますね。

矢羽根文様
超細密工芸美術の帯

「超細密工芸美術」を接写してみました。
誉田屋源兵衛さんだからこそできるこの織の緻密さ。お分かりいただけますでしょうか。
写真の色は黄色くなってしまい、正しく伝わらないのは申し訳ありません。

さて、織の緻密さと言えば次の新作をご覧下さい。
「浮御憧(うきみどう)」 と「伏静美憧(ふせみどう)」 と命名された帯。製作の意図の説明をどうぞ。

織物の美は対極にある浮織と伏静織の美を極める歴史でもありました。
それは、それぞれ豪華と洗練の追求ともいえます。
その比肩する美は、優劣つけがたく我々を憧れと共に魅了し続けてきたのです。
此の度、貴重な「小石丸糸」を用いるに当たり、この二種の織物の究極美にて表現致しました。

緯糸にご注目ください。
左側が「浮御憧」(浮織)で、右側が「伏静美憧」(伏静織)。
違いがお分かりいただけますか。糸の渡り方が違いますね。そして、優劣つけがたいというのも納得です。どちらもなんと艶やかで美しいことでしょう。生唾ものです。

誉田源兵衛の浮織
誉田源兵衛の伏静織

別の角度から、織の緻密さ、素晴らしさを表現している作品を二つ。
説明はいらないですね。
このように立体的に織るにはどうするのでしょう。
織っているところを見てみたくなりました。

立体的な織りの妙
想像を絶する織り技法

ここで、ちょっと一休み。
会場では、これまた素敵な企画がありました。
帯地を選んで、好きな形のバッグを誂えてくれるというのです。

誉田源兵衛の生地でオーダーメイドバッグ

皆さん、楽しそうに、嬉しそうに選んでいらっしゃいました。

誉田源兵衛を吟味する様子
誉田源兵衛の展示会風景
中段に五嶋紐と春田幸彦氏デザインのタツノオトシゴの帯留め

写真、下段の箱に入っているのは、「五嶋紐」に春田幸彦氏デザインのタツノオトシゴの帯留め。
幸運のシンボルとされているタツノオトシゴ。

お持ちいただく方に「幸多かれ」と祈念して製作された逸品です。

五嶋紐と春田幸彦氏デザインのタツノオトシゴの帯留めオリジナルセット
香りづくりの材料

それから、世界に一つだけの「香りづくり」。
好みの香りを選んで調合し、自分だけのマイ香袋をつくれるのです。
私も作らせてもらいました。

好きな香りを選び、

混ぜ合わせて折った紙に入れる。

=調合した香りを紙の袋に入れる様子

これまた好きな袋を選び、紐で口を閉じて、

好きな柄の香袋
選んだ香袋に調合した香り入れる

はい、出来上がり。

香袋完成

調合の分量と効能が書かれたカード

香りの調合の分量・効能が書かれたカード

織物に戻りましょう。
誉田屋源兵衛さんは着物も作っています。そして、やはり、それは革新の精神に満ちあふれています。

「麻世妙(まよたえ)」と命名された着物。
素材は大麻。

大麻の糸で織られた着物

太古の日本の日常着だったという大麻の布。また、大麻は聖なる植物でもあり、神道の祭祀では「おおぬさ」と称され,樹皮から採った皮を束ねて、神に捧げていたそうです。
今も聖域を囲む結界の麻紐や神殿に吊るす鈴の縄として使用されるとのこと。
半世紀以上にわたり「忘れ去られてた布」となっていた大麻布を今一度蘇らせたものだそうです。
着心地は、柔らかく、暖かいのが特徴だそうです。一度、羽織らせていただいたことがありますが、本当にふわっとして暖かかったのを覚えています。

右の写真は「紙布(しふ)」の着物です。
紙布の帯は知っていましたが、着物まであるとは、知りませんでした。紙布は紙の特性を残すため、夏には湿気を早く乾燥させ涼しく、冬には温かいのだそうです。
そして、何よりも軽い。
それにしても、織物にするためには細くて丈夫な紙の糸を作らなくてはならないはず。それには、原料となる木の種類も限定されます。漉き上げ方,そして、裁断とここでも熟達の職人技が必要不可欠なのです。

紙布の着物

最後に、先ほど出てきた「小石丸糸」こいしまるいと で作られた作品を紹介します。

小石丸という幻の絹で織られた着物

この柔らかな光を放つ着物は「幻の絹」といわれる「小石丸」という世にも貴重な糸を使って織られています。

「小石丸」は日本古来の在来種の蚕です。
蚕の中で最も細い糸で、艶があって張力が強く、けば立たないなど優れた特性を持っている。繊細な絹糸は軽く、柔らかくしなやかで、薄くてもあたたかい。美しい艶で、天女の羽衣と呼ばれるに相応しい、絹本来の全ての良さを最高のレベルで併せ持つのが、この糸なのだそうです。
しかし、あまりにも小さく繭糸量が少ないため、経済性にかけるとの理由で姿を消しました。
“幻の絹”と伝説化されるのはそのためです。

そんな中、わずかに残されていたのが、皇室の御養蚕所。
養蚕業が国の基幹的な産業だった時代、その奨励のために始められた皇室のご養蚕。歴代皇后に継承されるも昭和期の一時、飼育の中止が検討されました。しかし、当時皇太子妃であった美智子上皇后が、残すことを希望されて飼育は継続されました。平成に入り、廃棄されそうになった小石丸。この時も美智子上皇后が保留を願われたとのこと。
(綾の手織り染め工房及び宮内庁ホームページより引用)

この素晴らしい「小石丸の糸」。残念ながら蓄えが減少し、もう新しく手に入らないのだそうです。
ここまで貴重で素晴らしい小石丸の糸で織られたこの着物。手にする方はきっと凄く幸せな方だと思いました。

今回の取材を通して、何と素晴らしい織物に出会えたことか。そして、何と多くのことを学んだことか。とてもとても素晴らしい時間でした。最高峰の素材と技術を惜しげもなく使って、使いこなす誉田屋源兵衛さん。多種多様な技術の融合をたっぷりと見せていただきました。

京都きもの市場・銀座店では、このようなイベントを随時開催しております。
今月はどんなイベントがあるのか?是非ご覧ください。

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