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『çanoma』クリエイター 渡辺裕太(後編) 「彼らが”和”を想う理由」vol.1-2

『çanoma』クリエイター 渡辺裕太(後編) 「彼らが”和”を想う理由」vol.1-2

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『çanoma(サノマ)』誕生の軌跡を紐解いてみよう。偶然が幾重にも重なり、軌跡が奇跡へと変わっていく。裕太氏から感じる緩急剛柔は伝統文化のあり方を考えさせられる。不変と可変があってこそ、香りも着物も時空を超え愛される所以なのかもしれない。

『çanoma』クリエイター 渡辺裕太さん(前編) 「彼らが”和”を想う理由」vol.1-1

茶道、茶の間、『çanoma(サノマ)』。クリエイター渡辺裕太氏による「上質な日常」をテーマにした香りは、日本人の感性とフランスの技術が溶け合い絶妙なさじ加減のもと誕生した。モードに着物を纏う裕太氏との時間を。

陸上に明け暮れていた学生時代、裕太氏はすでに、たくさんの香水に出会っていた。

様々な香りに触れるなか、彼をさらなる深みへと導いたのは、アメリカの香水ブランド「クリエイティブユニバース(Creative Universe Beth Terry)」の『エレメントオブデザイア(Element of Desire)』*という香りだった。

当時渋谷のトゥモローランドにあり、裕太氏にとって、これがニッチフレグランスとの初めての出会いであった。

*現在は廃盤

香りについて語る裕太氏

こんなに良い香りがあるのだと、衝撃を受けた裕太氏。

「香りは、その香りを嗅がない限りにおいて、その香りの存在を知り得ない」

だからこそ、もっと、もっと、と二十歳の裕太氏はニッチフレグランスの世界にのめりこんでいく。

「あの香りがあったから、今自分は”香水”という方向に向いている」

こう、懐かしそうに教えてくれた。

実は『çanoma』ではなかった

ブランド名の由来とは

『çanoma(サノマ)』のブランド名は、3回目の偶然でようやく生まれた。

当初、自身の名を冠した『Yuta Watanabe』で考えていたが、すでに『Junya Watanabe コムデギャルソン』で商標登録されており、同ジャンルで同じ苗字はダメとのことであえなく断念。

2回目、会社名である「サジパルファム」から『Saji』をと考えるが、こちらもすでに他社が取得しており、断念。

ただこの間も、”上質な日常”や”日常的に使えて毎日が特別になるプロダクト”など、想い描く姿は変わらなかった。

そして3回目にしてようやく、『çanoma』にて登録完了。茶道、茶の間、に着想を得たネーミングだった。

今では『çanoma』以外考えられないことを思うと、偶然のようでいて、導かれている必然とはこういうことなのかもしれない。

渡仏に至るまで

誰しもふとした瞬間に、想い、感情、欲望が湧き上がることがあるだろう。
そこに何ら理由や根拠を求めず、自身の情動に抗うことなく素直に従ってみたら、自然と大きな流れに乗っていたと後から分かることがある。

きっと裕太氏は、今も大きな流れにふわりと乗っているのだろう。

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「外資系証券から投資ファンドに転職したら、少し時間ができ、お茶のお稽古に行ったり、美術館に足繁く通うようになった。その時ふと、語学を勉強したいな、フランス語を学ぼうと。

家に母のフランス語の参考書がたくさんあったので、それらを借りて晴れた日曜のお昼に窓際で勉強していたら、ふと、フランスに行こう、フランスに行けばいい、と感じた。

趣味でカメラをやっていたので、パリで写真の勉強をしようと学校を調べていたとき、ある瞬間に、昔からずっと好きだった香水やればいい、と」

調香師ジャン-ミッシェル・デュリエとの出会い

フランスでチャンスを得るか否かの差は、”雨乞い師になれるかどうか”、らしい。

その心とは…

雨乞い師が踊ると必ず雨が降る。なぜか?それは、雨乞い師は、雨が降るまで踊り続けるから。

雨が降るタイミングはいつか分からない。雨を降らせようと思っても、ちっぽけな人間の力では当然無理。だが雨が降るまで踊り続けられれば、雨乞い師になれる。それには、雨が降るまで踊り続けれられるような準備をしておかなければならない。

過去の経験である”点”が、ある時すべて繋がって”線”になり、気づけば”面”になって活きる。

彼は、”運”と”縁”だと言う。

実は、ジャン-ミッシェル・デュリエに出会うまで、裕太氏の道はスムーズではなかった。

選択と決断の日々。神に試されているようで、実は導かれていたのかもしれない。

フランスでの出会い

「語学学校でフランス語を学んでいたら、とても楽しくて。その後はマーケティングやブランドマネジメントとして、調香師と一緒にクリエイションするのがいいかなと考えていた。

香水の専門学校(通称ESP)に”香水MBA”があり、そこに行こうと思っていたら残念ながら開講されず…

それならMBAを受けようと。
当時お金もなかったので、ルノー財団が出資しているMBA*であれば、学費が不要でさらに奨学金が出るので、これはいいなと。

しかし正規募集はすでに締め切られている日程。問い合わせをしたら、2週間以内に全ての書類が集められたら、正規の採用試験を受けさせてあげるよと。

*パンテオン・ソルボンヌとパリ・ドフィーヌ、二つの大学の修士号

問題はGMAT(Graduate Management Admission Test*)。通常1年は勉強するところ、受験対策なしで受けなければいけなかった。言語パートはボロボロだったけど、当時インターナショナルスクールの数学の家庭教師をしていたこともあり数学パートはほぼ満点。他のテストもすべてクリアしなんとか合格できた」

*ビジネススクール(経営大学院)への入学希望者を対象に行われる入学適性テスト

「卒業後は、とにかく香水業界で働くことが目標だった。インターンを探すにあたり、大きなブランドから小さいブランドまで、ありとあらゆる香水ブランドに履歴書を送った。しかしほとんど、連絡すらなかった。

フランスではインターン制度が一般的だが、外国人というハンディキャップもあったと思う。そんな中でもいくつかは連絡があり、面接に進んだところもあった。最終的にオファーをいただいた会社が、『BULY』と『Jean-Michel Duriez Paris(ジャン-ミッシェル・デュリエ パリ)』だった」

「BULYの面接をよく覚えていて。金融機関の時に作っていたスーツを着ていったんです。
色はシルバーに近いグレー、生地はざっくり、形はダブル、ギリギリ丈に、フランスのブランドであるシャベルのネクタイを合わせて。

創業者から「いいスーツだね、いつから働ける?」と。BULYはホームページ上にインターン生は採用してませんと書かれていたのにも関わらず」

着物姿の渡辺裕太氏

そしてもう1社が、Jean-Michel Duriez Paris。

P&Gが香水事業を売却した時に独立したブランドで、裕太氏は、2016年のローンチ時から知っていたそう。Jean-Michel(ジャン-ミッシェル)氏と共同設立者2名だけの小さな会社で、インターンなどは取らないだろうなと思っていた先だった。

どちらに進むべきか…裕太氏はいろいろな人に相談する。

香水業界に身を置く知人からは「勢いがあり、すでに日本に進出しているBULYがいいよ」「美容界でもファッション業界でも有名だから、こんな方と働ける機会ってないよ」と。

しかし裕太氏は、Jean-Michel Duriez Parisを選ぶ。なぜか。

「本当にいい香水を作っていると思ったから。またそれ以前から、ジャン-ミッシェルの香水を好きだったから。自分が心からやりたいと思えることをしようと、最後は”鼻”で選びました」

『çanoma』ブランドローンチまで

Jean-Michel Duriez Parisでインターンをはじめた裕太氏だが、すぐにクリエイションに関わることはなかった。なぜなら実は、ジャン-ミッシェル氏が裕太氏に期待していたのはそこではなかったから。

Jean-Michel Duriez Parisにはその頃、ファイナンスの案件があった。ジャン-ミッシェル氏は裕太氏の金融業界でのバックグランドを見て、その知見が欲しかったようだ。それでも、ある時からだんだんとクリエイティブの仕事をさせてもらうようになっていく。それは…

ファイナンスの知見を期待されていた裕太氏

「ある香水があって、すごく良い香りなのに”もち”が悪かった。それを改善したいという試作品に関しての感想を送ってと言われ、私以外の二人はOKを出していたが私は納得できず、「確かに”もち”は良いが、もともとの良さがなくなるのはナンセンスだと思う」と、はっきり伝えたんです。

翌朝オフィスでジャン-ミッシェルが笑顔で迎えてくれて、「自分もそう思う」と。

お互いの信頼関係を結ぶきっかけとなり、少しづつクリエイションに近い仕事をさせてもらうようになりました」

そんななか、裕太氏には別のチャンスが巡ってくる。ただそれは、香水業界の話ではない。

「別のフィールドで活躍しているデザイナーの友人から声をかけられたんです。彼とインターンを卒業後、ブランドの立ち上げと会社設立の準備していて。経営者としてキャリアを積めるから一旦香水業界を離れてもいいかなと、気持ちが揺らぎました」

しかしやはり、その友人と働くことに違和感を感じた裕太氏は、自ら提案し離れることに。

「この決意をしたときに気づきました。”今自分は香水ブランドを立ち上げられる”と。

どうやったら投資家から開業資金を集められるか、またフランスで会社を設立するにはどうしたら良いか、はすでに知っている。香水を作るためのコスト構造やサプライチェーンについても理解している。そして、核となる調香師には…ジャン-ミッシェル・ドゥリエがいる!

実はこの決断を友人に伝えに行く前に、ジャン-ミッシェルと話したんです。「今の友人とのプロジェクトにどうしても賭けられない。もし離れると決めた時には香水ブランドを立ち上げたいが調香してもらえないか?」と。

彼の答えは…ふたつ返事で「いいよ!今度どういう香りが欲しいか説明して」でした」

渡辺裕太氏とジャン=ミシェル

香水と着物③ 共通のこと

最後に、裕太氏が考える「香水」と「着物」の共通点を聞いてみた。

どちらも、自分自身の好みに合わせて自由に日常に取り入れることができたら、特別な日常を演出できるかもしれない。

そしてどちらも、業界としての課題は、成長のチャンスや余地かもしれない。

「決まった形式がありつつ、各要素の組み合わせにおいて自由度が高く、無限のバリエーションを生み出すことができるという良さ。

一方で、上質な演出をする=悪い意味で敷居が高くなっている。着物も香水も気軽ではないという人もいる。

香水も着物も、”安かろう悪かろう” OR ”ハイエンド”の二者択一となっており、中間がないように感じる」

着物と香水の共通点とは

香水と着物④ バリアフリー化

香水や着物に興味があっても、敷居が高くて入れないと思う人たちもいるだろう。
そのような人たちにどのようにアプローチしていくのか。香水も着物も、それは同じなのかもしれない。

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イメージを取り壊し、印象を変える。
裕太氏はそれらのアプローチを「バリアフリー化」と言う。階段をスロープにするように、「自由でいいんだよ、とりあえず纏ってみたら」とユーザーに寄り添う。

ブランドとして、ブランドクリエイターとして。そしてひとりの香水好きとして。

今後の『çanoma』はどこへ

今に全力集中していながらも、見ているのはもっと先。彼はどこに向かうのか。

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「やりたいことは、あくまでクリエイションであり、良い香りづくり。

”日本人の感性による香りづくり”は、あらためて、日本人の”好き”に近しいものではないかと感じている。
一方でそれはフランスでは、”エキゾチックなもの”になりうる。フランスのテクニックに日本のフィルターをかけて作られた香りは今までにない新しいものとして受け入れられていて、日本以外の国だと見え方は違ってくる。

香水ブランドは、一国では成り立たずグローバル展開が必須。クリエイションをはじめたフランスに軸足を置きつつもグローバルで伸ばしていこうと思っています」

路面店を持ちたいとのビジョンもあるようだ。それは、香水マニアの溜まり場ではなくビギナーの方もふらっと立ち寄れるような開かれた雰囲気のもののイメージだとのこと。

「ひとりのマニアが何本香水を持っているか、より、お気に入りの香水を持っている人がひとりでも多くなるような世の中になればと考えています」

最後に、着物への印象

着物を着ている方を見て、どう思われるかを聞いてみた。

「目を惹きますね。良くも悪くも、これだけ洋服の人があふれているなかで、着物の人がいるとハッとする。着る側にとってはひとつの気負いにもなるでしょう。
実はメガネにも似たところがあると思うんです。機能的な必需品としてのメガネが、ここ15年くらいで”ファッションアイテム”としてのプロダクトになったところとか」

メガネは今や、”アイウェア”と言われる。着物もそんな日がくるかしら。

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【富山】greenroom
2021年10月2日~3日

〒930-0083 富山県富山市総曲輪3丁目2-15
https://www.makes.jp/fs/makes/c/greenroom
※渡辺裕太氏終日在店

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