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老松 当主・有斐斎弘道館 理事 太田達さん(後編)「京のつくり手語り」vol.3

老松 当主・有斐斎弘道館 理事 太田達さん(後編)「京のつくり手語り」vol.3

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小さい頃から着物好きで、茶会ごとに着物を変えるほど着物愛に溢れている太田さん。島根から戻り、老松の当主としてすぐに家業に就くのではなく、太田さんが選んだ就職先はなんと呉服業界!文字通り、着物の裏も表も知り尽くした太田さんが見つめる京都のこと、和菓子のこと、着物のこと…。今も大切にしていることなどを伺いました。

老松 当主・有斐斎弘道館 理事 太田達さん(前編)

「有職菓子御調進所老松」の当主、有斐斎弘道館の理事、工学博士にして茶人。ユニークな一期一会の茶会を催す一方で、モーションキャプチャを用いた「茶道点前の動作解析」で博士号を取得。さらには和歌や食マネジメントなど幅広い分野にわたり大学で教鞭をとる太田達さん。菓子文化や祭事から経営論、着物文化やご自身の意外な経歴まで様々な話を伺いました。

天性の人たらしの才に加え、細やかな気遣いのもてなしの人である太田達さん。どんな有名スターもお偉いさんも「あいつ」「こいつ」「あのコ」と、近所の子どもやおじさんのことでも紹介するような親しみをもって話すフラットさが愉快です。

周囲の人が「そんなん(許されてるの)あんただけやで」とぼやきつつ、「やっぱりこの人しかいない」と頼りにしてしまう魅力を深堀りします。
現代の知恵泉・太田達さんのインタビュー後編です。

3年間に及ぶ二足のわらじ生活

24歳で京都に戻り、呉服問屋の新人営業マンと老松の社長の二足のわらじ生活に突入した太田青年。

平日は朝一番に出社し、17時に退勤、土日は老松で働く毎日。
ここで経営センスとコミュニティづくりのスキルを磨いていきます。

瞬く間に8つのフロア全ての給湯室の女子社員の心を掴み、入社1年目の新人が毎日のように社長の遊びに駆り出されるようになるのだから、おそるべしです。

「新人やから、担当は綿着物やモスリンや浴衣ばっかりなんだけど、企画したデザイナーズ浴衣がドカンと当たって、年間7〜8億円くらい売ってたんじゃないかな。販売会で豪華なオマケをつけるより、お客様に着物を着る機会や場所を提供してあげることが大事だというのは、40年前から言うてましたね。幸いなことに僕はお菓子が作れたから、お買い上げいただいた着物にちなんだ器や道具とお菓子のお茶会を開いたりしてました。羽田登喜男の着物をお召しの方におしどりをモチーフにしたお菓子を用意したりね」

太田さん

また、B反を見つけては自分用の着物を仕立てていたそうです。
20代に仕立てたものが今でもサイズアウトせずに着られるのも、着物の良いところ。
40歳を機にネクタイやスーツを手放し、以降、ほぼ毎日を着物で過ごされています。
ちなみに、友達が増えたのもちょうどその頃から。

好きな着物のタイプは「白っぽい単衣」で、他のアイテムで結構遊んでも上品にまとまるから重宝するのだとか。

この日も、まさに「白っぽい単衣」で、SOUSOUの牛柄のポップな足袋とのコーディネートがおしゃれ!
「この足袋はイタリアですごくウケがいいんよ」と嬉しそう。

SOUSOUの牛柄足袋

現在はコロナ禍ということもありますが、例年は海外でお点前をすることも多い太田さん。
着物は着ていて楽チンだし、海外にもぺったんこにして持っていけるのが便利なのだといいます。
「あと、空港やホテルでも優遇してもらえる気がする」とのことで、海外で着物はおすすめですよと教えてくれました。

着物はどこまで「遊び」が許されるんだろう

書家・川尾朋子氏の揮毫による屏風「凌風香満観」は有斐斎弘道館創始者皆川淇園の漢詩の一部

日頃から、お茶席の着物はどこまで遊んでも許されるのかを試しているそうで、こちらの羽織もその一つ。
冬の日のお茶会に着ていき、「先生、肩に雪が…」と払ってくれる人が現れるとニンマリしているのだとか。

「そうや!あれも持ってこよう!」
と、いそいそと取りに行ってくださったのが、こちらの一着。

ヴィヴィアン・ウエストウッドの個性的な柄

なんとヴィヴィアン・ウエストウッドのレディースの服二着分をバラして仕立て直した作務衣!
ブランドタグも背中心の裏に付いているので、本当にオリジナルのような仕上がりです。

ヴィヴィアン・ウエストウッドのタグ

もはや和柄にしか見えないのですが、よく見るとおなじみの土星のような球体と十字架の「オーブ」だとわかります。
ちなみに、ヴィヴィアンウエストウッドのロゴマークには「伝統と未来の融合による新たな発見」との意味が込められているので、そんなところも太田さんにぴったりな気がします。

太田さんお気に入りの作務衣

パンクな作務衣を着て何をするかといえば、庭掃除。

「社長の給料が安くて、社長が掃除してる会社は良い会社っていうのが僕の持論」と、経営者の顔をちらりとのぞかせる。

有斐斎弘道館の庭

それは、どんな立場や年齢にもなれる視点を持つことが大切と語った和菓子づくりの極意にも繋がっているのかもしれません。きっと、この人の心は朝一番に出社していた呉服問屋の新人営業マンにいつでもスッと戻れるくらい自由でやわらかいのです。

消えてはならぬものには手を差し伸べて

丸紅株式会社京都支店(現・京都丸紅株式会社)を退職したのち、池坊や京都女子大で和歌の講師を務めながら、家業を再建していった太田さん。

京都でものづくりをし、商売をしていく上で大切なことは何だったのでしょうか。

「着物も和菓子も同じやと思いますが、付加価値を売るのが大切。ものの本質に見合わない価格をつけて目先の利益にはしれば、いつか商売として行き詰まる時がきます。長い目でみて、行き詰まらないものづくりをせなあきません。相手の望むものを望むタイミングで提供する。それに尽きます」

葵祭の斎王代の人形

ご子息が祇園祭のお稚児さんに選ばれた時、そしてお嬢さんが葵祭の斎王代に選ばれた時、昔の祭事を全部やらせてもらえるなら、と引き受けたそうです。

歴史の中で、消えていくものは確かにある。
しかし、消えてはならないものには手を差し伸べていきたいと言葉に熱を込める太田さん。

かつての有斐斎弘道館がそうであったように。

失われようとしていたこの場所が、どれほどの意味と価値を秘めていたのか、
ぜひ訪れて、一期一会のインスタレーションに身を置いてみてください。

きっと誰もがその真価に気づくのではないでしょうか。

有斐斎弘道館の入り口

撮影/スタジオヒサフジ

京都きもの市場 男物一覧

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