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着物を着ることが自分の世界を広げていく「WORLD KIMONO SNAPS」 - TAIWAN -

着物を着ることが自分の世界を広げていく「WORLD KIMONO SNAPS」 – TAIWAN –

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着物がクローゼットに加わったことで、私の人生はそれがなかった頃より少しだけ豊かに広がりをみせています。着物は洋服に比べて、着るのに少しの準備と気合いが必要になります。それは面倒でもある反面、丁寧な時間でもあります。丁寧にする身支度は、自己肯定感を上げながら、自然との繋がりや季節を強く意識することとなります。

8月の台湾、7月に連日38度を超えていた気温が31度に下がっただけで、涼しく感じるほどに、この暑さにも慣れてきました。
慣れたといっても、着物はおろか、どんな服を着ていても暑いです。
クーラーの効いた室内から一歩も外に出たくない日々が続いています。

日傘の思い出

日傘

子どもの頃、母の大切にしていた日傘は少し重たかったのを記憶しています。
ベージュと黒とモカがありました。

格別お洒落ということもなく、いつもこざっぱりしたスタイルだった母にしては、その日傘は珍しく装飾的で、ごく短い時期にしか登場しなかったこともあり、私の記憶に強く残ったもののひとつです。

どれもタッセルやレースが美しく、さすと陽射しがそのレースからこぼれる…今の日傘にあるような機能性は一切なかったと思います。

子ども時代に感じた、大人になったらこんな日傘が持てる、という憧れは、車に乗ることが多い生活にシフトしたり、安価で軽量、大きめでしっかりUVカットをしてくれる、さらに突然の雨にも使える日傘が主流になったことでいつしか消えてしまいました。

日傘 正絹着物

タイでも台湾でも、夏には突然の雨に遭います。南国ならではのスコールです。
しばらく待てばやむことが多いのですが、傘なしだといろいろ不便です。
となると、日傘は晴雨兼用を選ばざるをえないのですが、どんなに探しても、あの子どもの頃に憧れた日傘を晴雨兼用の傘の中に見つけることはできていません。

機能性を一切無視したあの美しい日傘への憧れを現実のものにするのは、日本に一時帰国すらできない現状では難しいのですが、今年は、今の私の気分に合う日傘をオーダーしてみたのでした。注文したのが5月でしたから、手元に届くまで約2か月。まるで着物のお仕立てのようですね。

ようやく手元に来た、雨の日には使えない晴れた日限定の日傘を、天気予報と睨めっこし、突然の雨に降られないことを祈りつつ、南国の強い陽射しのもとで広げています。

日傘 着物 台湾

母の日傘とは違う私の日傘。

いつしかあの日傘と同じものを手にする日が来るのか、またはこの日傘も、もっと便利な晴雨兼用傘に、その出番を奪われてしまうことになるのか…
陽射しに向かって新しい日傘を広げるたびに、遠い記憶のあの瞬間が蘇ります。

そういえば台湾では、傘は人にプレゼントしてはいけないものとされているそうです。

その理由は、傘は中国語で(sǎn)サンといいます。そして、この(sǎn)サンという発音は散 (Sàn)サンという字の発音によく似ています。
そのせいで傘(sǎn)は「散→別れ」を連想させてしまい、贈り物には向かないということのようです。

他にも「終わる」のzhonを連想させる 置き時計(掛け時計)、お葬式の香典返しとしてポピュラーなハンカチ(小さいタオル)などがあるとのこと。

聞いておいて良かったです。「ところ変われば」はおもしろいなぁと感じました。台湾人の方へのお土産やプレゼントには気をつけたいと思います。

台湾での茶道稽古

着物を着はじめた頃には、和のお稽古ごとに足を運ぶようになるとは思ってもいませんでした。

私の伯母は着付け・華道・茶道それぞれの師範の資格を持つ人でした。裁判所に勤務しながら、玄関にはそれぞれ別の名前が書かれた板が鎮座していました。
近所に住んでいたこともあり、私はお嫁入り前に華道だけはお稽古をつけてもらったことがあります。そういう時代だった、というよりそういう時代が終わる時期でした。身近にあるからこそ、興味を持たなかった例なのかもしれません。

つい先日、台湾の私のゆかた着付け講座を受講してくださった方も、コロンビアでの長い海外生活の中で、お母様が着付け講師として活躍されていた際には、ご自身は一度も着付けを教わろうとは思わなかったとおっしゃっていました。必要な時には、手早く上手に着せてもらえる環境があったから、習う必要性もなかったということでしょう。

私は「着物を日常に着る」というよりは、クローゼットの中の選択肢のひとつとして「今日はこのワンピースを着よう」というのと同じ感覚に着物を位置付けています。
主に外出時、「着物を着ることを選んだ場合に着る」という感じです。

着物を着ること自体が楽しかったし、うれしいことでした。

ただ、海外で着物を着る中で、「日本人なら当然できるだろう」と思われている着付けやお抹茶を点てることが、実は「多くの日本人には特別なこと」になっている事実をお話しする機会が増えました。

そして、台湾人でありながら、私以上に茶道をはじめとする日本文化に精通されている方々と触れる機会も多くあり、そういったひとつひとつの刺激が「習う」をはじめることに繋がっていきました。

青田茶館
青田茶館

台湾には、台湾が誇る美味しい台湾茶の文化があります。私ははじめて触れたその香りと味に感動しました。いずれ本格的に学びたい、とも思っています。

その話を、お茶や日舞の師範をもつ中国語の先生(台湾人)にしたところ、

「日本の茶道は『道』という字を書きます。台湾茶は『道』ではない、コーヒーにも紅茶にも『道』という字はつきません。『道』とはいろいろな場に繋がり、またずっと続くもの、深いということです」

と聞かされました。
その言葉を受けて、私は、台湾茶を学ぶ前に「茶道を知る日本人でありたい」と思ったのです。

もともと和菓子が大好きで、日本でも作法など関係なく、抹茶と和菓子を楽しむカフェなどには好んで行っていました。

私の茶道稽古の最終目標は、お招きしたお客様に、テーブルで気軽に和菓子とお抹茶を楽しんでいただけるようになること。伯母のような木の板をいただくまで続けるのかどうか…今のところはわかりません。

さて、いざお稽古をするとなるとまずはお教室(社中)探しからでした。着物もそうですが、はじめる前にはなにかとネガティブな噂が耳に入ります。でも、やりたい気持ちが勝った時のタイミングで、出逢いはあるものです。

台湾で、日本人の先生から日本語で茶道が習える。
そんな場所とご縁が繋がり、今は月に2〜3回お稽古に通っています。

私自身膝が悪いこともあり、目標を伝え、正座にこだわらないお稽古や、特別にお座布団の使用などをお願いしています。

ハイビスカス

茶道をはじめて、着物を着る機会も増えました。

お稽古では自由な着こなしが許されていますので、基本的に私が普段着る着物や好きなコーディネートはあまり変わらないのですが、未来のお茶席を夢みて、茶席用の着物や帯を選ぶ楽しみが新たに加わりました。

写真提供 三日月茶空間

三日月茶空間
https://www.instagram.com/mikazukiwagashi/

台湾にいながら、本格的な上生菓子、練り切りなどがいただけます。

まずはゆかたから

着物がクローゼットに加わったことで、私の人生は、それがなかった頃より少しだけ豊かに広がりをみせています。
着物は洋服に比べて着るのに、少しの準備と気合いが必要になります。
それは面倒でもある反面、丁寧な時間でもあります。

丁寧にする身支度は、自己肯定感を上げながら、自然との繋がりや季節を強く意識することとなります。洋服でそれを意識するのはなかなか難しいことです。そして着物を着ていることを介して、思わぬ出逢いや新たな可能性の扉が開くこともあります。皮肉なことに、着物を着る人がそれだけ少なくなってしまったから、とも言える現象です。

着物を着ていることで、声をかけられたり、覚えてもらえた経験は着物を着る皆さまにもきっと覚えがあるでしょう。こんな楽しみや特典?を知ってほしい、「夏のゆかた」にはそこに繋がる入り口があります。

いきなり(正絹の)着物をはじめるのには抵抗がある人も、ゆかたなら、子どもの頃に着た経験もあるでしょうし、扱いも楽です。大人になった今、夏の風物詩ともなっているゆかたをまた着るところからはじめてみるのは、着物デビューへの第一歩としてぜひともおすすめしたいです。

夏にゆかたを着て着付けることや所作に慣れ、秋になったら襦袢を入れゆかたを単衣着物風に着る。その後、袷の着物に袖を通す…など、少しずつアイテムを加えていけるのも負担が軽く、楽しみとなることでしょう。

ということで先日、ゆかた着付けレッスンを受けて下さった生徒さんと、台湾に嫁いで20数年という日本人妻の方、日本から駐在で来た茶道仲間と、着物レンタル店を経営する台湾人の面々とゆかたで集まりました。

生徒さんのおひとりは、生まれてはじめてゆかたを自分1人で着付けて会場までやってきて下さいました。そのうれしそうなご様子がほほえましく、私は大切なものを共有できている感覚を覚えました。
この小さく芽生えた「着物好き」の芽をつむことのないよう関わっていきたいと感じました。

私は普段は着たい時に1人で着物やゆかたを着ています。
ですがこんなふうにゆかたで集合したり、着物仲間がいるのは、格別なものです。

着物が日常の中に

台湾の夜市

着物姿が街にあふれたり、着物が日常のものとなる、というのは正直想像しづらいです。
だって洋服はめちゃくちゃ楽で便利ですから(笑)

でも着物という「着るもの」がクローゼットの中にあり、その日その日の用事や気分で着物を選ぶという生活はあっても良いと思っています。

特別なものとしての着物も、
日常のものとしての着物も。

北門を臨む 台湾博物館鉄道部園区にて

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