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浴衣を着た夏、浴衣を畳んだ夏。 ー エッセイスト 紫原明子 「2020夏 浴衣考」vol.2

浴衣を着た夏、浴衣を畳んだ夏。 ー エッセイスト 紫原明子 「2020夏 浴衣考」vol.2

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いつもとは少し様相の異なる2020年の夏。「浴衣」にまつわるあれこれを、各分野で活躍される方々がリレー連載中!第二弾は、社会派エッセイスト・紫原明子さんによる夏の記憶の物語。小説のような語り口を、今夏の浴衣のお楽しみのひとつにどうぞ。

14歳の夏の約1ヶ月間を、私はカナダのアルバータ州で過ごした。
現地の家族の家に泊めてもらって語学や文化を学ぶ、いわゆるホームステイプログラムに参加したのだ。

一ヶ月もお世話になるのだからと、ホストファミリーにはそれなりのお土産を用意して行った。
ホストファザーには陶器の湯呑を、ホストマザーには茶道を嗜む母の選んだ茶香炉を、そしてホストシスターには浴衣セットを。
事前に資料として渡されていた写真を見て、私と同い年だという彼女に似合いそうな柄の浴衣と、すでにリボンは出来上がっており、あとはクリップで止めるだけという簡単な帯がセットになったものを買った。
また現地での交流会やパーティに着て行くといいよと言われていたので、自分用の浴衣も持って行くことにした。

渡航の数日前、これらを何の気なしにスーツケースに詰めていると、側で見ていた母が急に、重大なことに気づいたという顔をして言った。

「畳み方、知ってる?」

私はこのときまで、まさか浴衣に決まった畳み方があることなどとは露ほども思わずにいた。
けれども考えてみれば広げた浴衣は畳まなければならないし、畳まれた浴衣はだいたいみんな同じ形をしている。

大体、衣類を畳む、ということ自体なかなかに面倒なことなのに、浴衣を畳むためにはまず、広い床に浴衣を皺のないようにピンと広げて、襟の端と端を合わせて、半分に折って……と、膝の上でTシャツを畳むより断然面倒臭い。
やむを得ないこととは言え、面倒臭い。
それでも渋々畳んでいると、「あっちに行ったら、着方も畳み方も教えてあげるんよ」と母が言う。面倒臭いが、やむを得ない。

カナダに入国してから数日間は現地の大学の寮に泊まり、その後、ステイ先の家を訪れた。
家族総出で迎えてくれたホストファミリーと親愛の挨拶を交わす。
私のために整えられたゲストルームには至るところにカナダの国旗をあしらったオブジェやポストカードが飾られていて、これは全部あなたへのプレゼントだよ、とホストシスターがにっこりと笑う。
荷物を置いて、スーツケースを開けると、今度は私がギフトを渡す番だ。
お土産を手にリビングへ赴き、待ち受けていたファミリー一人ひとりに手渡す。
肝心の浴衣については、左が上になるように、裾が揃うように、といった最低限の決まりを教えつつ、私がぎこちない手付きでもって、ホストシスターに着付けた。
ピンクの華やかな浴衣に身を包んだ彼女は、センキュー、アイラブ、キモノ! と、何度浴衣だと伝えても頑としてキモノと連呼しつつ、とても喜んでくれた。
私も、ひとまずほっとした。彼女が一通り浴衣を堪能したのを見届け「今度は畳み方を教えるね」と私は満を持して切り出す。
面倒だが、こういうことは早めにやっておいた方がいいのだ。
ところがそこで返ってきたのは思わぬ返事だった。

「大丈夫、大丈夫。こっちでは洋服は全部ハンガーにかけるから畳まないの」

そう言うと彼女は私を自分の部屋に連れて行き、言葉のとおり浴衣をハンガーにかけ、クローゼットに吊るす様子を実演して見せた。
私は浴衣を畳まないという発想を全く持っていなかったので、ややあっけにとられながらも、なるほどその手があったか、と感心した。

のちに読んだ何かの本でも、浴衣や着物は畳むと小さく、薄い長方形になり、何枚も重ねて収納できるので場所を取らない。
余計なスペースを持てない狭小の日本家屋に合うよう合理的にデザインされていると書いてあった。
そう考えると、余るほど広大な土地を持つカナダにまでやってきた浴衣が、わざわざ小さく、薄くなる必要はないのかもしれない。
……とはいうものの、洋服用の浴衣に対してどう見てもサイズの小さいハンガーにかけられ、袖の部分はだらしなく垂れ下がり、裾はクローゼットの床にすっかり着いて、くしゃっと弛んでいる哀れな浴衣を見ると、やはり本当にこれでいいのかと思わないでもなかった。
信じがたいことに、今から四半世紀も前の話だ。

4年前ほどから付き合っているパートナーは、趣味で読書会を数多く主宰している。
中でも、毎年夏に全国数カ所で行う「浴衣読書会」は特に大掛かりなイベントで、一回につき数十人から、多いときで100人以上が参加する。
ドレスコード「浴衣」は厳守なので、全員が浴衣を着て集まる。
日本庭園を臨む茶室など、風情ある会場に浴衣を着た人たちがそれだけ集まると、なかなかに壮観だ。

一昨年の夏、私は彼とともに大阪の浴衣読書会に参加した。
課題本は川端康成の『古都』。
京都の町を舞台に、生き別れになった美しい姉妹が偶然にも再開し、心を通わせていくストーリーだ。
会場となったのは堺市「さかい利晶の杜」にある茶の湯体験施設。

この日は本当に暑い日だった。
浴衣は着付けの下手くそな私自身の手によって、最大限甘く着付けていたからまだ何とかなったものの、着付けの上手い人の手でかっちり着付けられてなんかいたら、最後までもたなかったかもしれない。
夕方頃に読書会を終え、その後食事やお酒のついた懇親会と、2次会まで参加した。
その後で、今度は電車を3本乗り継ぎ、約1時間かけて吹田市は万博記念公園駅へと向かう。
なぜなら私達はこの翌日に、万博跡地に残る、かの有名な岡本太郎の太陽の塔、その内部を見学することになっていたので、この夜は太陽の塔からほど近いホテルを予約していたのだ。

浴衣での帰路

電車を乗り継ぐごとに、窓の外に見える町からどんどん明かりが減っていき、電車の中の人の姿もまばらになっていった。
静けさが増すにつれ、今まだなんとか起きている自分自身の電池残量も残りわずか、むしろ汗でベタつく体の皮膚が、電池の消耗を加速させている。
とにかく1分でも1秒でも早くホテルについて、裸になってシャワーを浴びたい。

乗り継ぎ最後のモノレールは23時過ぎにようやく、白白とした蛍光灯の灯る、人気のない万博記念公園駅に到着した。
重い足をひきずりつつ駅を出て少し歩くと、すぐに妖艶なライトアップに照らされた、大きいんだか小さいんだか、可愛いんだか不気味なんだか、もうなんだかよくわからないあの、私達のお目当てである太陽の塔が、無機質な高速道路を挟んで向こう側、万博記念公園の中からニョキッと顔をのぞかせていた。

おおっ、と高揚し、疲弊した体に途端に力が漲る。
最後は最早スキップでもしはじめそうなくらいのおかしなテンションでホテルに到着、チェックインを済ませ、私達はとうとう成し遂げた。
その日の寝床にたどり着いたのだった。
浴衣に身を包んだ恋人同士(互いに中年とは言え)がホテルにチェックインしたというのに、当然ながら色っぽさを介入させる余力はとっくにゼロ、すでにほとんど脱げかけていた浴衣を0.2秒くらいでダイナミックに脱ぎ捨てて浴室に直行。
ぬるめのシャワーを浴びながら、人生の中で3本の指には入りそうな、最高の爽快感を味わった。

すっかりさっぱりして浴室を出た私は、そこで目に飛び込んだ光景に思わず「あっ」と声をあげた。
なぜなら、私がつい今さっき脱ぎ捨てたばかりの浴衣、脱ぎ捨ててベッドに放り出していた浴衣が、私がシャワーを浴びていた一瞬の間にあろうことか丁寧に畳まれ、普段よく見るあの、小さくて薄い、長方形となって、ベッドの上にきちんと置かれていたのである。

もしかして畳んでくれたの? と仰天しながらパートナーに尋ねると、彼の方は、私が一体なんでそんなに驚くのかわからないというような、きょとんとした顔をして「自分の分のついでにね」と答えた。
浴衣を畳む、しかも人の分まで畳むという、通常の2倍の面倒な行為をこともなく引き受ける彼の懐の深さに私は、浴衣を着た男性が見せるいかなるセクシーにも勝るセクシーを感じ、恍惚とすると同時に、ふとあの、四半世紀前に出会ったカナダのホストシスターのことを思い出した。

あの日、あのクローゼットに吊るされた浴衣はどうなったのだろう。
あれからさすがに処分されてしまったのだろうか。
あの後、一度でもハンガーから外され、袖を通されることはあっただろうか。
もしかするとまだあの部屋のクローゼットの中に、あのときとまるで同じように、哀れにハンガーに吊るされたままなのだろうか。

今ならなんとなくわかる。
人が袖を通していない浴衣というのは、日本にいようがカナダにいようが、やっぱり起きていたくない。
小さく、薄い、長方形になって、ゆっくりと横たわりたいのだ。

クローゼットに吊るされた浴衣

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