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一生着ることはないと思っていた、「越後上布」との邂逅。 「つむぎみち」 vol.6

一生着ることはないと思っていた、”越後上布”との邂逅。 「つむぎみち」 vol.6

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『きものが着たくなったなら』(技術評論社)の著者・山崎陽子さんが綴る連載「つむぎみち」。おだやかな日常にある大人の着物のたのしみを、織りのきものが紡ぎ出す豊かなストーリーとともに語ります。

「北の越後、南の宮古」といわれる着物好き垂涎の上布。麻織物の永世名人ともいうべき越後上布と出合ったのは、2017年5月のことでした。

国の重要無形文化財であり、ユネスコ世界無形文化遺産にも指定されている越後上布。産地の南魚沼地方は、冬は雪が深く湿度が高く保たれるので、乾燥に弱い上布の生産に適しています。米どころの農閑期、多くの女性が冬の仕事として受け継いできたその歴史は奈良時代まで遡り、東大寺正倉院に宝物として保存され、朝廷や将軍家への献上品としても極上の扱いを受けました。
上布というからには下布もあるわけで、大麻を使った繊維の太い下布は庶民の衣類として区別されたようです。

苧麻の茎の柔らかな内側の繊維を爪で幾筋にも裂いて極細の糸にするその作業は、「手績み」といいます。麻は乾くと糸が切れやすいため、手績みする女性たちは、糸を口に加え、常に唾液で湿らせながら裂いていきます。
そうやって出来上がった糸は「手くびり」によって絣糸にし、「いざり機」という、腰と足で機を操る原始的な方法で織られます。織り上がった布は「湯もみ・足ぶみ」で糊や汚れを落とし、最後に冬の天気の良い日に、雪上に広げて晒す「雪ざらし」が行われます。
苧麻を手績み、絣は手くびり、いざり機で織る、シボとりは湯もみ足ぶみ、さらしは雪ざらし。この5要件を満たして初めて「越後上布」というお墨付きを与えられる。昔ながらの人力を守るのは、並大抵のことではないでしょう。

その工程は以前、南魚沼を取材したときに教わり、気の遠くなる作業に言葉を失いました。展示されていた何十年も前の男物の着物が「これは値段がつけられないくらい(高価)」と聞くに及び、私は伝統工芸の素晴らしさを知ると同時に、親しみよりも畏怖を感じてしまったのです。
その後、着物を着るようになっても、越後上布というだけで、見ざる言わざる聞かざるを決めこみ、さらに触れざるを加えました。一生着ることはないし、そんな資格も財力もない、と。

2017年の初夏、懇意の呉服店をぶらり訪ねました。
商品を見せていただき、ひとしきりの着物話が終わったころ、担当の方が「ちょっと見ていただきたいものがあるのです。興味がなければそうおっしゃってくださいね」と奥へさがり、紙に包まれた反物を持ってきました。
「越後上布なんです。こんなに上質なものはもう織れないといわれています。きっとお好きだと思って」と包み紙を広げました。
ひんやりキリッとした生地を触りました。好き、好き。
生地の向こうに透けて見える藤棚の景色を眺めました。大好き。

もともとの持ち主は大正生まれのご婦人でした。とても趣味のよい着物愛好家だったそうです。譲られたご親族はどんなにうれしいでしょうか。
ただ、昔の機で織られた上布で、幅が9寸5分(約36㎝)しかない。今の生地がだいたい1尺(約38㎝)。その差は2㎝弱ですが、裄丈に関していえば、今なら1尺8寸3分(約69㎝)取れるところ、1尺6寸5分(約63㎝)になるかどうかという寸法だったのです。私の裄丈は1尺6寸4分!
長さも12m半弱ほどで、現在の13m標準からすると短めでした。
持ち主の遠縁にあたる方が「箪笥の肥やしにせず着てくださる方に」とおっしゃり、巡り巡って小柄な私に白羽の矢が立ったというわけです。

深い紺色に白い十字の蚊絣は、以来、私の夏を支えてくれています。

前回「蝉の翅」に例えられる明石ちぢみのことを書きました。その重量を計ってみたところ、493gでした。ちなみに愛用の夏着物はというと、小千谷ちぢみが582g、綿の長板中形が626g。居敷当ての有無、衿の仕立てによって変わりはしますが、越後上布は424g、ナンバー1の軽さでした。きっちり巻かれた反物の径は、500円玉ほど。いかに細く糸を績むのかがわかっていただけるのではないでしょうか。

その夏、仕立て上がった着物で呉服屋さんに遊びに行きました。親族の方にもお会いし、喜んでいただけました。
「越後上布は気持ちがいい、涼しいというけれど、どんなに言葉を尽くしたところで、結局着ている人にしかわからないんですよね」と。
確かにこの着心地を端的に説明する言葉を、私の辞書に見つけることはできません。

ときどき、雪深い冬の部屋で、爪と口を使って糸を績み、腰と足を使って糸を織った女性たちのことを考えます。根気のいる地味な仕事だし、それは家族を養うための食い扶持だったかもしれないけれど、そこにはきっと喜びもあったのではないか、と。でなければ、こんなに美しい布ができる訳がない。
職業的な績み子の矜持、織り子の自負だけでなく、日々のうれしさや悲しみ、揺れ動く女心もそこに織り込まれているような気がしてなりません。
極上の軽みに感じる重さ、繊細な涼しさの中の温もり。
布に宿るかすかな人の気配が、私を揺さぶるのです。

・越後上布(昭和の時代のものを持ち主より購入)
・絽綴れ八寸夏帯(西陣のものをネットショップで購入)
・麻ぼかし染め帯揚げ
・帯締め(道明)
・アタバッグ(バリ島で購入)
・パナマの草履
・レースの日傘(ボンボンストア)

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