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「忘れえぬこと」 貴久樹・糸川千尋 着物にまつわる物語:母と娘

母と娘 「忘れえぬこと その2」 貴久樹・糸川千尋

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貴久樹・糸川千尋さんが語る「忘れえぬこと」。今回は千尋さんの義父・糸川禎彦さんと、とある母娘の物語。ダイヤの原石のようなひとりのお若いお嬢様と、彼女の可能性に気づき信じる人たち、寄りそう着物。着物には、人生の記憶の物語にふさわしい凛とした美しさがございます。

「忘れえぬこと その2」

母と娘

島崎藤村の、
「まだ上げそめし前髪の」
という言葉そのままに、
促されて染と繍の衣をまとい、
鏡に映った自分の姿を見て
はにかむ少女。
自分の来し方に想いを馳せながらそれを見つめるのはかつての母と娘。
人生でもっとも幸せな光景の一つが、振袖をあれやこれやと
品定めする三代の母娘の姿であるといつも思っています。
思うのですが…
母娘の関係は様々なものです。

あるエピソード。
ある呉服店に、とても若いお嬢さんが一人でお着物を買いに来られました。

「あまり予算がないのですが、自分のお店で着物を着たいのです。」

当時はそういうことはあまり例のないことでした。
呉服店に若いお嬢様がいらっしゃる時は必ずお母様と一緒にお見えになるものでしたから。
話を聞いてみると、最近彼女はずっと夢だった自分のお店を持つことができ、
小さなスナックを開いたと。
そのお店にどうしても着物を着て立ちたいのだということでした。

店主はそのお嬢さんの、十分に美しいがまだ開花していない個性を感じとり、
あるお着物をおすすめしました。
しかしそのお着物はお嬢さんの予算の三倍の値段でした。
しばらく悩んでいた彼女は、意を決して
「こちらをお願いいたします」
と、真っ直ぐな瞳で店主を見つめたそうです。

これは実は私の義父のエピソードなのですが、
それ以来、そのお嬢様はしばしば義父に見立てを頼むようになりました。
義父の見立てのものしか着ない、と言っても過言ではありませんでした。

ある日、その方のお母さまが義父に
「もう娘にこれ以上お着物を売らないでください」
と言いにこられました。
なぜですか?と義父が聞くと、
「あの子は身の丈以上に着物にお金を使いすぎだと思う。」
とおっしゃったそうです。

義父は、
「お母さん。まだ気づいている方は少ないかもしれないが○○子さんはすごい方です。今にきっとお母さんにもわかる日が来るでしょう。見ていてください。なりたい人生の手助けを衣装がすることもあるのです。」
と。

時が経ち、
彼女のお店は最初の小さなお店から段々と大きなお店に何度か変わっていきました。
最初に作ったお着物がきっかけで、とても筋の良いお客様に気に入られ、
その方のご紹介のお客様のおかげでお店が段々繁盛するようになってきたのだそうです。

ある時、義父の展示会に彼女はお母さまを伴っていらっしゃってくださいました。
お母さまはその日義父に、
「糸川さん、娘を日本一のべっぴんさんにしてください。お願いいたします。」
と深く頭を下げられたそうです。

それ以来どれほどのお着物をお作りになったでしょう。
義父はその彼女の人生のそばにそっと寄り添っていました。

それから40年以上のお付き合いがありました。
そのお嬢さんの経営するクラブはいつしか神戸では一番と言われるお店になり、
政財界の歴々が訪れる社交場となっていきました。
そして数年前に多くの方々に惜しまれながら閉店の時を迎えました。

あの時の、若く、頑張り屋さんのお嬢様は長い時間の中で
お客様やスタッフの皆に慕われる伝説的なママへと変貌し、
今はお母さまと一緒に幸せな第二の人生を送っておられるようです。

着物にまつわる母娘の物語はさまざまですが、
お母さまが可能性を信じてくださらなければ
彼女の人生はまた違ったものなっていたのかもしれません。
着物に限らず、人生は信じて賭けるということに尽きるのかもしれません。

必ずくる春
あなたに会いに
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旅の空

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