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知られざる舞妓さんの生活や仕事内容とは?デビューから人気芸妓になるまでの歩み

祇園街に生きる 「今井茜 着ものがたり ―京都・ニューヨーク・東京」 vol.3

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着付けレッスン、ヘアレクチャー、着物のデザイン企画と活躍の幅を広げる今井茜さん。 日舞との出会いから京都祇園の人気芸妓としての生活、単身渡米したニューヨークでの着付け教室開講から帰国し現在に至るまで… 「心身ともに美しい女性」になるまでの歩みを紐といてまいります。

「仕込みさんから見習い期間を経て…いよいよ舞妓さんとなった初日や、その後の日々をお聞かせください」

店出しの初日は日中、男衆(おとこし)さんとご挨拶のために街をまわります。
「落ちつき」というお盃をかわす儀式で、姉妹となった姉さん、お師匠さん、当時80軒近くあったお茶屋さんをまわりました。

家族がお祝いのために実家から来てくれていました。支度をしてご挨拶まわりに出かけてからは、お互いに声をかけることはできません。店出しの日はたくさんのカメラマンの方がいらっしゃいます。何十件もあるお茶屋さんへご挨拶まわりの間、邪魔にならないように、家族は道の反対側に離れて何時間もずっと後ろをついて歩いてくれました。その時小学生だった弟は、路地に入ると誇らしげに私の手をつかんで一緒に歩いたことを思い出します。

夕方からは呼んでいただいたお茶屋さんへ行きます。
大きいお茶屋さんにはお座敷がいくつかあります。お茶屋さんの中にある、お客様のいらっしゃるお座敷を10分から20分くらいでまわります。一時間くらいすると男衆さんが迎えに来てくれまして、次に呼ばれたお茶屋さんへまいります。

置屋のお母さんと姉さん、名前をいただいて姉妹となった姉さん、名前をいただいた筋のお茶屋さんのお母さんが、事前に方々の関係筋に「妹を引かせていただきました。また呼んでおくれやす。お頼(たの)申します。」というような感じで事前に頭を下げてまわってくれていました。

今までの見習い期間は、置家の経営するお茶屋のお座敷、見習いとして研修していた見習い茶屋のお座敷のみでした。それ以外は初めて行くお茶屋さんばかりで、男衆さんが連れてくれるまで場所を知らないお茶屋さんもありました。

藤花のかんざしに竹笹の着物

仕込み期間の一年間は「電信柱にも挨拶をしなさい。」と言われるほど知らない人にも挨拶をします。これは本当に役に立ったことのひとつです。いつもご挨拶している方が初めて行くお茶屋さんのお母さんだったということも多々ありました。今でも初めての場所に行くとどなたにもご挨拶をするようにしています。

前日までの衣装は、お袖の短い引きずり衣装と半だらりの帯に季節無しの簪でした。
店出しの早朝に髪結いさんへ髪を結いに行き、頭を結いながら「やっとここまでこれた。」と鏡を見て感じたことを思い出します。
その後、お化粧をし衣装をつけます。この衣装がびっくりするほどの重さで大変とまどいました。

「お店出しの衣装やかんざしについて詳しく教えていただけますか?」

黒紋付:
店出し期間中の衣装は黒紋付に白金の織帯、そこから色紋付に変わります。また、黒紋付は新年の始業式や舞台などで着る衣装ともなります。普段の衣装として着るものは、一般でいう訪問着や小紋なので、紋はつきません。店出しは袷の時期がほとんどです。衣装は袷仕立てで、さらに比翼がつきます。着物と比翼両方の裾に「ふき」があり、綿が入っています。

最初の頃は、引きずりの裾にふきが入り衣装がかなり重たいので、良くふすまに引っかかったりしていました。裾さばきや立ち居振る舞いが、どうすれば洗練された動きになるのかが課題になりました。

丸帯:
店出しの時の帯は白金の織丸帯です。置家の家紋が入っています。昔は舞妓が幼かったため、どこのお家の子か分かるようにとも言われています。6m近くあり、黒紋付を着る時は帯留、帯締めはなく、帯枕だけでだらりの帯が留まっています。

衿:
舞妓の衿は襦袢に縫われている衿ではなく、刺繍の別衿となっています。美容衿のような形で、襦袢の上からつけます。舞妓の一年目につける衿は赤の台衿に柄が大きく入り、金糸とたくさんの刺繍糸が使われています。この衿は、舞妓の年数によってどんどん変化します。刺繍で埋まっていき、お姉さん舞妓になると白に金糸のみのすっきりした印象になります。置家のお母さんはお店出しがある度に「衣装も帯留ももちろん大事だけど、衿が一番大切。」と言っていました。

周りのみなが舞妓から芸妓、少女から大人の女性になる過程を見てきてた結果、柄の大きさや色の関係、顔まわりにある白色の絶大な効果を感じました。綺麗な芸妓の姉さんや大人の女性への憧れが今も続いておりまして、私は現在ほぼ白の半衿で着物を着ています。

長襦袢:
現在一般的に襦袢はつい丈で着ますが、舞妓芸妓は衣装の長襦袢だけでなく、普段着の長襦袢におはしょりを作って着ます。着物と同じく理にかなったもので身長に関係なく着付けられることと、裾の擦り切れの問題にも対応できるようになっています。また昔は贅沢に生地を使うことで豪勢な物として扱われていたと聞きました。

髪形、簪(かんざし):
店出しの髪形は「割れしのぶ」という一年目の形を自髪で結い上げてもらいます。割れしのぶには若々しい赤い絞りの鹿の子が使われます。その鹿の子を留める、宝飾品で作られたピンを鹿の子留めと言います。元結(もっとい)と呼ばれる紙製の水引きを使用し、髪をまとめるためのゴムは使いません。そして、店出しの時にしかつけないものとして、髪の後ろにつける鶏の尾の様な「見送り」という3枚の紙があります。店出しの時の簪は全て本べっ甲で、前髪の両側に付けるキラキラ揺れる銀の簪は「ビラカン」と呼ばれています

店出しの時に置家のお母さんに教えていただいたふたつの大事なことがあります。
「簪は決して落とさないように」

簪はたくさんの数を髪にさしますので、留めていても本当に良く落とします。簪は本べっ甲や色々な天然素材のものですので、折れると継ぎ目ができてしまします。店出しをする子に新しい物を使わせてあげたいという置家のお母さん気持ちが伝わります。そして、代々使われてきたもの、これからも使われる物として責任を持って大事にしなければいけないということを教えてもらいました。

「だらりの帯は揺らさずに歩くこと」
最初はただ、揺らしてはいけない。揺らしてはいけない。と、そろーっと歩いたり、変な歩き方をしていました。帯が揺れるということは身体の芯がぶれているということ、そして揺れると帯の重みで左右に振られ真っすぐに歩けないので、おこぼ(ぽっくり)が変に擦り切れてしまうのです。左右に揺らさずに歩けるように気をつけていました。

「メイクのことも少し…肌荒れとかはありませんでしたか?」

お化粧をすることを「白粉(おしろい)をする」といいます。白粉を塗ると肌荒れを起こすのでは?とよく質問をいただきます。私は京都のお水が合ったのか、下地に使う天然の油が良かったのか肌荒れなどはなかったです。

毎日白粉をして、研究することが大好きでした。最初は白粉をしても綺麗に顔にのらずハゲハゲの日は、一日中落ち込み気味になったりしていました。出たてのころは、白粉がのらないということがよくあり、舞妓のお姉さんになるとそういうことはありませんでした。

お母さんから「毎月、床屋さんに行って顔そりをするように。」と言われていたことを今も続けています。顔、首、背中を剃り化粧ノリを良くしたり、後れ毛の処理にもなっていました。

白粉を塗る前には下地として、鬢付け油を顔、首、背中と全体につけます。
鬢付け油は固いので手の平の熱でやわらかくして全体に伸ばしつけます。顔がゆがむくらいひっぱり均一にのばすので、毎日リンパマッサージをしていたと思います。今もクリームを塗ったりする時に、気がついたら鬢付け油を伸ばすような感じで塗っていることがあります。

水溶きの白粉を顔全体に塗り、パフや歌舞伎ブラシと呼ばれる刷毛で伸ばします。水で薄く溶いたピンク色の砥の粉(とのこ)や、粉の頬紅を使って立体的に見えるように顔をつくっていきます。

芸舞妓の化粧箱

今でいうシェーディングですね。最近、歌舞伎役者さんがメーカーに向け、呼びかけたことで商品の廃止が止まった口紅があります。棒紅と呼ばれるもので、これを水や飴で溶いてつかいます。舞妓一年目はまだ半人前ですよ。という意味で口紅は下唇にしかつけられなかったので、二年目からは上唇にもつけられるようになった時はうれしかったことを覚えています。

「日々、人前で踊りを踊ることとなった茜先生ですが、お客様の前で初めて踊りを披露したときの様子を教えてください」

祇園甲部では踊りを踊ることを「舞を舞う」といいます。
店出しの期間中は舞を披露することはなかったのですが、初めて行くお茶屋さんでは舞台になる場所の広さの感覚がつかめず、他の姉さん方にぶつかったり裾をふんだり、扇子が柱にあたって音が鳴ったりしていました。今思うとさんざんなことですね。

出たての舞妓が舞うのは『祇園小唄』でした。舞うのが1人の場合、2人の場合、3人の場合、もっと大勢の場合と一曲のなかにもパターンがあります。今日のお座敷は、舞妓の上から2番目だからこの場所。というように、店出しをした順番で場所が決まっているわけです。

お座敷に限らず呼んでいただいたところに舞を舞う場所があれば、様々な場所や内容で披露することがありました。お祝いの会がほとんどで、神社仏閣、宴会場、船上、競馬場、県外はもちろんですが、海外まで行くこともあります。花束贈呈のためだけに、海外へ連れて行っていただいたこともありました。なんだか日本を代表して来たような気持ちになりました。

「今年は残念ながら中止となった都をどりですが、初めて出演された時のことについて教えてください」

今年は大変残念ですが、また教室の皆さんと一緒に都をどりに行けることを楽しみにしています。都をどりの思い出は本当にたくさんあります。一年目に限っては店出しが1月、そして2月からお稽古が開始して、4月に都をどりがはじまるというスケジュールでした。他の姉さん方よりも出番が少ないのに、都をどりの振りを覚えられず本当についていくのに必死でした。本番で振りを忘れる夢を見て「ハッ!」と目覚める。というのは芸舞妓さんあるあるですね。

「都をどりは、よーいや、さー」とはじまる舞台は、今でもワクワクして観させてもらっています。1時間ほどの舞台のなかで四季に分かれていて、最後には出演者が全員揃っている舞台は圧巻です。

私が楽しみにしていたことのひとつが楽屋時間です。お部屋見舞いで届く「祇をん進々堂」さんからのゼリーが一番の楽しみでした。メロン味の可愛い色の組合せで、その時は名前がついていなかったので「みどり~の」という名前で呼んでいました。
舞妓は髪を結うと一週間もたせますので、どこに行くにも目立ちます。皆から「おーちゃん」と呼ばれていた店主のお店はみなの憩いの場です。置家のお母さんも「おーちゃんのところなら行ってもよろしい。」と許可してくれていました。特に私たちが舞妓の友人と進々堂さんへ入ると、おーちゃんはいつもお店の看板をCloseにしてくれて、好きなだけ会話できるようにしてくれました。私たちがいる間はお店の営業はできないのに、本当にいろいろと配慮してくれて感謝しています。

都をどりの一幕

こちらは都をどりのお茶席の写真です。置家のお母さんが選んでくれる衣装が大好きでした。簪や衣装の変化もご覧ください。

都をどりのお茶席にて
都をどりのお茶席にて
都をどりのお茶席にて
都をどりのお茶席にて

「舞妓さんとしての月日が流れ、芸妓さんへとなりますがどのようになるのですか? また、違いを教えてください」

衿かえ後の着物姿

舞妓から芸妓になる事を「衿かえ」といいます。舞妓の赤衿から芸妓の白衿に変わるという意味があります。先笄(さっこう・次段で詳述)の期間につける衿は、正面から見えるところに刺繍がびっしりとあり、耳のしたから後ろ側は赤に金の刺繍で砂子が散りばめられた豪華な衿になっています。

衿かえ前には舞妓最後の先笄(さっこう)に髪を結い、これから衿かえをする準備をします。先笄は特徴的な髪形で、橋の毛(はしのけ)という部分を切ることで、芸妓になるための決意をあらわすというものです。衿かえをすると芸妓になるので鬘(かつら)になります。

先笄の間にはお歯黒をします。お歯黒とは先笄と同じように芸妓になる決意を伝統的な方法で表現しています。現代は蝋でできた練り物を歯に塗ります。一度塗ると特に熱い飲み物や食べ物が食べられません。またはがれるともう一度塗り直すことができません。

芸舞妓の姉さん方を見ていつも思っていたことがあります。食事時や飲み物を飲むときの仕草が本当に綺麗なんです。白粉を(おしろい)をすると口紅や剥げた白粉は塗り直しが出来ないので、お箸をなるべく縦にして口に運んでいました。舞妓から芸妓になる時に、憧れの姉さん方のように仕草、立ち居振る舞いも綺麗になりたいと思いました。

立ち居振る舞いにもさらに気をつけて

「芸妓さんとなって生活の変化はありましたか?」

芸妓になると鬘(かつら)を使います

芸妓となってからの変化が一番大きかったのは、高枕(たかまくら)の卒業です。舞妓時代は、一度髪を結うと一週間はそのままで、寝ると髪がつぶれてしまうので高枕を使います。芸妓になると鬘(かつら)になり、普通の枕を使えます。長かった髪を洋髪に結える程度に切ることができました。芸妓になり、お稽古には髪を結わずに行きます。この頃から髪形は夜会巻風にして、好きなシニヨンネットやヘアーアクセサリーを集めるようになりました。今のヘアーレクチャーに役立っていることがたくさんあります。

舞妓の変化同様、芸妓として身につける衣装も、昔の女性が年を重ねる都度、また生活に変化が加わるたびに変わっていく様を伝統として取り入れています。

舞妓のころは年齢に関係なく芸妓の姉さんに憧れていました。それがなぜなのか自分のなかではっきりとした答えはありませんでしたが、先笄から衿かえの期間を経て憧れの正体が徐々に分かってきました。

綺麗=若さではなく、年を重ねることで得られる「経験」と、年齢とともに変化する衣装の「様式美」が憧れのもとだったのです。

私が現役時代に憧れていたお茶屋や置家のお母さん方、芸舞妓の姉さん方の髪形、立ち居振る舞い、着物の作り方、コーディネート、小物の選び方等の全てにおいて「経験と様式美」が軸になっています。

そして、現役時代を通してお座敷のお客様から得たことも現在役立っています。

今の自分に影響を与えてくださった方のお話です。
当時から誰もが知る方でしたが、私は店出しをして2日目で、その方のお顔もお仕事内容も全く存じ上げませんでした。

お客様との会話の最初は「出身地は?」や「出て何日目?何年目?」などの一般的なお話で続くことが多いものです。お客様自身も仕事の話は無粋なことだと思われている雰囲気がありましたし、ましてや出たての舞妓とはまともな会話はできないと思っている方も多いと思います。

その方は、舞妓に出て2日目の私に自然な流れでご自身が今情熱を傾けている事業について語って下さいました。私はその方がなぜその事業をはじめられたかを聞きたかったのですが、出たての舞妓は質問をしてはいけない。慣れてないのであまりしゃべってはいけない。と思っていました。

その方は私に「聞きたいことは質問してください。わたしも聞きたいことをあなたに聞きます。」とおっしゃってくださいました。

とても衝撃的で置家へ帰ってから日記にそのことを書きました。その時に、誰に対しても興味を持ち、いつでも自分の情熱を語れる人に私もなりたいと思いました。
後に、その方は実業家としてたくさんの方に影響を与える方で、ビジネス哲学を広めたりビジネス書を書いている方だと分かりました。

いつでも自分の情熱を語れる人に

「祇園のお座敷という華やかな世界で、貴重な経験つみながら大人の女性へと成長を続ける茜先生。次回は祇園を飛び出し新たな世界へと続きます」

『選ばれる教室、人でありたい』

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