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平賀源内は”バズり”の先駆者!? 「知ってた?べらぼうなお江戸話」vol.4

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恋人をファッションリーダーとして売り出す名プロデューサー源内と、それに応える美貌と実力を兼ね備えた菊之丞。それはさながら、相性ぴったりの”カップルインフルエンサー”といったところでしょうか。

2025.09.24

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盲人の富豪、鳥山検校 「知ってた?べらぼうなお江戸話」vol.3

エッセイ

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マルチジャンル型の天才・平賀源内の人物像に迫る!

きものとをご覧のみなさま、こんにちは。tomekkoです。

今年も残すところ3ヶ月を切っていよいよ今年も、そしてドラマの方も大詰めの気配がしてきましたね。

さて今回は、もともと功績が多く有名だったけれどドラマで魅力全開となり、ますますファンが増えたであろう平賀源内ひらが げんないの人物像に迫ってみたいと思います!

知ってた?べらぼうなお江戸話1

源内さん、ちょっと調べただけでもその短い人生で成し遂げたことがあまりに多すぎて、まとめきれません!

学者で医者でもあり実業家、さらには戯作者にして発明家……!?そうそう、日本初のコピーライターでもありCMソングのプロデュースなんかもしています……ホント、何者!?

いわゆるマルチジャンル型の天才で、現代だと糸井重里さんや茂木健一郎さんなどと並べたらわかりやすいでしょうか。

例に挙げた方々はそれぞれ本業の功績から派生した才能も高く評価され、芸能や執筆へと活動の場を広げ輝いている方ばかりですが、平賀源内が生きた江戸時代には、その奇才ぶりに世間の理解が追いつかず、その才能を十分には発揮させられなかったようですね。生まれるのが100年早すぎたのかもしれません。

生き方が選べない江戸の社会構造

なんせ江戸時代は、生まれた環境と条件で人生が決まる、と言っても過言ではない社会構造でした。

武士の長子として生まれたのなら、親の肩書きと土地や禄を引き継ぎ守ることが全て。町人も農民も、自分の意志で自由に職業や住む場所を選ぶことなどほぼできませんでした。

これは過去の記事で取り上げた人々も同じですね。寒村の娘は遊女屋へ盲人は当道座へ、その立場に用意された枠に収まるほか、選ぶ道はなかった。

遊女屋の養子から自分でビジネスを立ち上げた蔦重はスポンサーとコネありきの、ある意味別格です。

2025.09.01

カルチャー

知ってた?べらぼうなお江戸話

2025.07.07

着物でおでかけ

『大吉原展』 東京藝術大学大学美術館 「きものでミュージアム」vol.33

自由でも孤独だった源内の生き方

そんな時代に源内は、讃岐・高松藩の下級武士の子に生まれながらその才を見込まれ藩医の元で学ばせてもらい長崎遊学までさせてもらったのに早々に自由を求めて引退し、大阪・京都・江戸と流れながら新しい学問を学びまくる、という当時の常識を覆す行動をします。

そして次々と新しい発想を形にして江戸で評判を呼び、あっという間に有名人になるのです。

知ってた?べらぼうなお江戸話2

そんな源内を高松藩は再度召し抱えようとしますが、ひと所に縛り付けられるのを嫌がる源内はなんと再辞職。ついには藩の怒りを買い、二度ととどこにも士官できなくなる「士官お構い」という厳罰を受けることに。でもそれはつまり特定の所属に縛られない=「自由」ということなので、源内としては願ったり叶ったり!だったのかもしれませんが……

そうして学問の流れから徐々に事業・産業へと興味を移し、新しい発想で即行動。そして、時の江戸幕府老中で経済政策に頭を悩ませていた田沼たぬま意次おきつぐに認知されるんですね。

鉱山開発などの産業面では、技術や資金不足からなかなか思い通りに進まず失敗を重ねました。エレキテルの発明で成功後は、有名人にありがちなパクリや便乗勢、そしてアンチの跋扈によってメンタルをやられ、生活は荒廃してしまったようです。

人も政治も前例を踏襲することが当たり前だったこの時代に、誰もやったことのない新しいことにどんどんチャレンジする源内。うまくいけば持ち上げられ、失敗すれば好奇と罵りの対象になり……

源内が手に入れた自由って、すごく孤独でもあったのでしょうね。

源内が愛した二代目 瀬川菊之丞

自分の気持ちに正直に生き、縛られることを嫌う源内にも、心から愛する相手がいました。

歌舞伎役者で稀代の名女形、二代目 瀬川菊之丞せがわ きくのじょうです。

知ってた?べらぼうなお江戸話3

生粋の男色家だった源内は、生涯妻帯せず陰間茶屋(男娼屋)に通っていました。詳しすぎて陰間茶屋のガイドブック『江戸男色細見』まで執筆するほど。

源内は菊之丞の舞台の贔屓客だっただけでなく、プライベートでもカップルだったと言われています。

ここで「ん?」となった方向けにおさらいしておくと、平安時代に仏教が伝来してから江戸時代まで、日本では男色は異性愛と同等に認められる性癖のひとつでした。女人禁制の戒律への対策として稚児愛に始まる男色が浸透していったというわけですね。

ただし、現代で言うところのLGBTQとは考え方が全く違うところがわかりにくいかもしれません。

男色=ゲイではなく、難しく言えば「機会的同性愛」、簡単に言えば「コミュニティ内での上下関係を伴うパワハラ・セクハラ」です。

本当に男性が好きなのではなく、ホモソーシャル(男社会)の中でより優位である、支配階級であることの証明として行う行為――なので上司から部下、年上から年下への明らかな力関係が存在し、そのコミュニティを出れば妻帯するし、また同等の同性には興味を持たないのです(もちろん例外もあり)。だからLBGTQであれば必ず同じ割合いるはずの女性同士の同性愛が、存在感激薄なんですよね。

菊之丞は「役者」であり、源内は「客」なので、枠組みとしてはこの「機会的同性愛」にあたりますが、どうもこのふたりはそこを超えた関係だったのではないか、と想像します。史実として明確な記録はないのであくまで想像ですが。

源内の戯作『根南志具佐ねなしぐさ』は33歳で早逝した菊之丞にもう一度会いたいという想いから描かれた物語なので心から愛し合う恋人だったことは推測されるんですが、それ以上に、なんというか名コンビなんですよね

2025.08.02

着物でおでかけ

特別展『江戸☆大奥』東京国立博物館 「きものでミュージアム」vol.49

2025.07.05

エッセイ

掌(たなごころ)を充たすものー装幀という芸術ー 〜小説の中の着物〜 邦枝完二著『おせん』「徒然雨夜話ーつれづれ、あめのよばなしー」第二十九夜

菊之丞と源内は江戸のカップルインフルエンサー!?

瀬川菊之丞、類稀なる美貌の女形ですが圧倒的人気の秘密はそれだけではないんです。

現代で言うなら流行を牽引するファッショニスタ。菊之丞が舞台で使った衣装の色、結った髪型は彼の俳号「路考ろこう」の名が付き瞬く間に巷の女性たちが真似をしました。

路考茶ろこうちゃ路考髷ろこうまげ路考櫛ろこうろこうぐし路考結ろこうむす

……などなど。

知ってた?べらぼうなお江戸話4

誰もしたことのない面白い事をして世間を賑わす源内とよく似た……いや?もしかしたらこういった世間を”バズらせる”流れも源内がプロデュースしていたのかもしれませんね?

2025.07.07

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“四十八茶百鼠”をまとう 「歌舞伎へGO!大久保信子先生に聞く着物スタイル」vol.17

2025.07.06

カルチャー

黒一色からフルカラーへ 「浮世絵きほんのき!」vol.2

源内は男色を性的消費のみに留まらせず、エンタメ・文化として流行・発展させて少しでも陰間として生きる少年たちの生活を支援したかったのでしょうか。

近いタイプとして三島由紀夫が思い起こされます。彼もまた、美輪明宏や坂東玉三郎といった稀有な美貌と光る才能のある少年を見つけ支援していました(素晴らしい実力派の女優さんも数多く発掘しています)。

恋人をファッションリーダーとして売り出す名プロデューサー源内と、それに応える美貌と実力を兼ね備えた菊之丞。それはさながら、相性ぴったりの”カップルインフルエンサー”といったところでしょうか。

しかしながら彼の人生後半は……時代に先駆けすぎている能力を扱い切れない世間において、どんどんと居場所を失っていきます。ついには、友人への殺傷事件を起こし投獄、そして破傷風で獄死という悲劇の最期を迎えるのです。

どんな良い食材も手がける料理人の腕がなければ究極の逸品にはならないように、奇才・天才の能力を正しく活かす社会=私たち自身の成熟が大切なのだと考えさせられる、本当に嵐のような人生ですね。

2025.05.19

着物でおでかけ

特別展『蔦屋重三郎 コンテンツビジネスの風雲児』東京国立博物館 平成館 「きものでミュージアム」vol.47

2025.06.29

まなぶ

徒然雨夜話ーつれづれ、あめのよばなしー

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