着物・和・京都に関する情報ならきものと

陽の当たる、その裏で 〜小説の中の着物〜近藤史恵 『散りしかたみに』「徒然雨夜話ーつれづれ、あめのよばなしー」第四十四夜

陽の当たる、その裏で 〜小説の中の着物〜近藤史恵 『散りしかたみに』「徒然雨夜話ーつれづれ、あめのよばなしー」第四十四夜

記事を共有する

小説を読んでいて、自然と脳裏にその映像が浮かぶような描写に触れると、登場人物がよりリアルな肉付きを持って存在し、生き生きと動き出す。今宵の一冊は、近藤史恵著『散りしかたみに』。蠱惑的なファム・ファタルー滝夜叉姫になぞらえられる虹子ーの、作中に描かれたその着こなしは、動くたびに素足が見えるほどの身幅の狭さや動きのある長い袂、下ろしたままの髪など、細部までも含めてその雰囲気を作り上げている。着物は、人が着て動いて初めてその真の魅力を発揮する、と改めて思う瞬間。

2024.11.29

まなぶ

其処ではすべてが露呈する 〜小説の中の着物〜 澤田ふじ子『宗旦狐ー茶湯にかかわる十二の短編ー』「徒然雨夜話ーつれづれ、あめのよばなしー」第四十三夜

今宵の一冊
『散りしかたみに』

近藤史恵『散りしかたみに』角川文庫

近藤史恵『散りしかたみに』角川文庫

 紫や渋茶、萌黄色などののれんがかけられた廊下を進む。はじめて見る人は、この狭さに驚くだろう。舞台の上ほど、裏は華やかではない。
 いきなり目の前で、のれんがさっと上がった。
 かすかな鈴の音と、伽羅の香り。和服姿のひとりの女が、楽屋からすり抜けるように出てきた。
 一瞬、息を呑む。
 束ねもせず、肩に掛かるままの長い髪。青いほどに白い頬、滲んだように赤い唇。
 知らぬ間に足を止めていた。
 深緑のやや袖の長いきものの裾柄は、木賊に兎。黒に近い、七宝の染め帯。身幅を狭く仕立てたせいで、歩くたびに、白い足首がむき出しになる。
 帯締めは丸ぐけの冴えた山吹色、きものと同色の帯揚げはほとんど見えない。襦袢と、片手に引っかけた塵よけの道行だけが、ほとんど茶に近い赤。
 足袋もはかず、素足で引っかけた朱塗りの下駄の先に、小さな鈴がついている。
 ほとんど決まりを無視した和服の着こなしなのに、少しもちぐはぐではない。むしろ、ぞっとするくらいに粋だ。
 彼女は、二、三歩進んで、足を止めた。
 ぼんやりとたたずんだままの、わたしたちに目を向ける。冷たいほど切れ長の、こぼれんばかりに大きなひとみだった。
 数秒後、彼女はくすり、と笑った。
 そのまま、わたしの横をすり抜ける。
 彼女は長めの袖を揺らしながら、出口の方へ消えていった。
 (籠釣瓶の見初めじゃあるまいしさ)
 わたしは、軽く身震いすると、我に返った。

近藤史恵『散りしかたみに』角川文庫

今宵の一冊は、近藤史恵著『散りしかたみに』。

歌舞伎の家の生まれでもなく、大学のときにふと吸い込まれるように入った歌舞伎座の幕見席で歌舞伎に魅入られ、それまでのすべてを捨ててこの道を選び取った女形おんながたの大部屋役者、瀬川小菊。

小菊の大学時代の友人で、探偵事務所を営む今泉文吾。その助手、山本少年。この3人が、歌舞伎座を舞台に起こるさまざまな事件の解明に挑む物語。

シリーズ2作目の本作ですが、小菊の師匠、まもなく人間国宝になろうかという名女形おんながた瀬川菊花の依頼を発端として物語は進みます。

作中において今月上演されているのは本朝廿四孝ほんちょうにじゅうしこう』のうちの『十種香じゅしゅこうで、菊花は八重垣姫を演じている。しかし、その芝居の筋とはまったく関係がないにも関わらず、毎日決まったタイミングでひらりひらりと降ってくる一枚の桜の花びら。

その謎を追う中で、明らかにされる真実とは……?

インタビュー

歌舞伎俳優 尾上右近さん インタビュー

このシリーズにおいては、何せ物語の舞台となるのが梨園。

しかも舞台上演中の歌舞伎座であったりするわけなので、舞台前の支度ー化粧をする一連の詳細な動きーが、前作の『ねむりねずみ』で描写されていたり、もちろん本作内にも楽屋での様子や弟子たちの動き、裏方の様子、大道具や舞台衣裳の着替えのシーンなど、普段は決して目にすることのない楽屋を覗き見ているような、そんなシーンの描写が多く散りばめられており、そこが最も読み応えのあるところ。

一応探偵ものというかミステリのカテゴリではあるものの、実はその部分より、梨園に渦巻く人間模様が主眼と言えるかもしれません(「××、実は○○でした!」という、時代も何も無視した歌舞伎あるあるの無茶振り設定に慣れていてスルースキルを鍛えられている人なら、多少のトリックの無理や綻びなどありますが、あまり気にならないかと思います笑)

展開が、劇中で演じられる歌舞伎の演目と重層的にリンクしたりしているので、ある程度予備知識が必要かもしれませんが、歌舞伎に興味のある方であれば、そんなところも楽しめるのではないでしょうか。

よみもの

歌舞伎俳優 ご夫人方の装い

今宵の一冊より
〜滝夜叉姫・虹子〜

本作において鍵となる存在なのが、冒頭の抜粋部分で描かれた虹子。

名のある歌舞伎の家柄に跡継ぎとして生まれ、実力もある若手歌舞伎役者、市川伊織と、もう1人の人生を狂わせることになる、まさに“ファム・ファタル”と言える存在です。

忍夜恋曲者しのびよるこいはくせもの通称「将門」に登場する妖女“滝夜叉姫たきやしゃひめ”(将門の娘で、蝦蟇がまの妖術を操って討たれた父将門の復讐をしようとする魔性の美女)という異名を奉られるほどの美貌。

それだけで(その演目の内容を知る人であれば)、十分にそのイメージが伝わります。

洋服が嫌いで、ずっと着物で過ごしている虹子(幼い頃のエピソードで、幸田文の『きもの』に登場する“るつ子”を思わせるような描写も)。

帰宅後、長襦袢を部屋着として過ごす様子が描かれたり、夏の装いや古い帯揚げで作ったような半衿、芯を入れない帯をゆるく結んだ姿……など、滝夜叉姫と呼ばれるようなインパクトのある姿だけでなく、虹子の生活におけるリアルな着物描写が何度か描かれます。

虹子は、きっととてもほっそりとした女性なんだろうなと思います。基本的に身体の凹凸をなくして寸胴になる着物は、全身の中で残る数少ない細い部分(首、手首、足首)を隠してしまうと、一気にずどーんとした野暮ったいシルエットになる。顔周りも、なんだかちょっと詰まって息苦しい感じに。

髪を上げずラフに下ろしたままの姿が違和感なく様になるには、華奢で長く美しい首が必須。普通に衣紋を抜くと、その角度と下ろした髪がぶつかってしまうので、髪を下ろす場合は衣紋をあまり抜かない方がバランスが良いのですが、衣紋を抜かないと肩幅の厚みも首の短さも誤魔化されてはくれないので、やはりとてもリスキーなヘアスタイル。

抜粋部分をはじめとした細かいエピソードが寄り集まって、虹子の雰囲気や直接には描かれていない体型までもがくっきりと浮かび上がってくる。ある意味、とても実写化しやすいキャラクターと言えるかもしれません。

作中に描かれたその着こなしは,動くたびに素足が見える身幅の狭さや動きのある長いたもと、下ろした髪など、着こなしやヘアメイクといった細部までも含めて虹子の雰囲気を作り上げているため、着物や帯だけをそのまま再現しても、きっとその魅力は伝わらない。

なので、ここでは少しマイルドにして、そのエッセンスだけを取り入れたコーディネートをご紹介します。

リズミカルな縞が印象的な付け下げに、絞りの七宝の帯を合わせて。

裾にあしらわれた深緑の縞は、作中で“彼女(虹子)”が纏う木賊の柄にも通じるイメージ(兎はいませんけど。でも実は、この兎が結構重要な意味があるのかなという気がして。描かれた虹子のイメージにそぐわない、妙な甘さというか子どもっぽさというか……唐突な違和感があるんですよね。実はそれが彼女の本質なのかも?という象徴として描かれているのかもしれません)。

付け下げではあるけれど、こういった遊びのあるデザインならばほぼ小紋のような扱いで、日常のおしゃれ着としてあまり構えずラフに着こなしたいですね。

きりっとコーディネートが引き締まります。

小物:スタイリスト私物

作中のように、丸ぐけの帯締めならばレトロなニュアンスが楽しめそうですが、ここでは綺麗な金茶色の帯締めを効かせてすっきりとした印象に。きりっとコーディネートが引き締まります。

どこまでも真っ直ぐに伸びていく縞も、輪が限りなく繋がっていく七宝文も、人との縁を繋ぎ、永遠や繁栄を意味する吉祥文様。着物と同系色のグラデーションであしらわれた南天や梅などの刺繍半衿で胸元に奥行きと華やかさを添えたら、新春の装いにもぴったりです。

後丸と呼ばれる形の下駄。

下駄:スタイリスト私物

後丸あとまる(女性用は小町下駄とも)と呼ばれる形の下駄。

白木に目の詰んだ上質な畳表が貼られたものはきちんと感もあり、小紋や軽めの付け下げなど、柔らかものにも合わせることができます。

この下駄は、とある撮影で京都の芸妓さんの衣裳を用意した際に作った、実際に芸妓さんがよく履いているもの。鼻緒にも各街によって違いがあり、撮影時には祇園の履物屋さんのアドバイスに従って、より忠実に、実際に多く使用されているという銀の鼻緒に薄ピンクのつぼで作りました。

撮影後、日常的に使用するのに合わせやすい白の二石にこく(二本重なっている)で紅つぼの鼻緒に挿げ替えて。

小紋や紬はもちろん、アンティークな雰囲気の振袖や訪問着などとも相性が良いですし、踵が高い割に安定性があり歩きやすいので、身長を盛りたい方はこんな履物も選択肢に入れてみてはいかがでしょうか。

2022.06.18

よみもの

お気に入りの下駄を見つけて、一年中楽しもう! 「きくちいまが、今考えるきもののこと」vol.54

ただ、注意点がいくつか。

画像のように裏にゴムを貼っていない場合は、音がするので響く場所は避けた方が無難(作中の虹子はそれどころじゃなく、鈴を鳴らしてますが。こんなところも、虹子の“無邪気”と“傍若無人”紙一重な性格を表しているかのようです)。また、綺麗な畳に足の跡がついてしまうとちょっと残念なので、虹子と違って足袋は履く方がおすすめ。雪や雨など、悪天候には弱いです。

そして、畳表の履物全般に言えることですが、慣れないうちは畳と足袋が滑りやすいので、新しい下駄と足袋を下ろして混み合う新年の初詣に出かける予定などおありの方は、足元にどうぞご注意を。

“スタイル”を持つということ

「変わった着方、って思ってる」
唐突に話しかけられて、わたしは少し狼狽した。
「いや、でも、すごく粋だよ」
「知らないおばあちゃんとか、話しかけてくるのよ。身幅が狭すぎる、とか、裾模様の着物に、染め帯なんかあわせるもんじゃない、とか、足袋をはかないとはなにごとだ、とか。付け下げなのに、足下が下駄なんて……とかね」
たしかに、和服には事細かな決まりがある。彼女の着方は、それを片っ端から破っているようなものだ。
「変だと思わない。別に、それを破ったからといって、だれに迷惑がかかるわけでもないんだもの。ものを貰ったらお礼状を出す、なんてルールとは、全然違う」
「たしかに、洋服ならスーツにスニーカーを合わせても、文句を言う人はいないのにね」

近藤史恵『散りしかたみに』角川文庫

本作が発表されたのは平成10年。遡ること、今から27年前。

街中で着物を着ているのは、結婚式の参列かお茶関係か粋筋の方くらい。長く続いていたそんな時代がようやく変化の兆しを見せ始め、日常のおしゃれ着として着物を着る人がぽつぽつと増え始めていた頃でしょうか。

その後のSNSの発達と一般への浸透により、同志との交流や繋がり、自由な意見の表明が活発になる反面、“着物○○”(個人的なことですが、私は父がその職業でしたので揶揄するようなニュアンスでその業界を扱うのが好きではなくて……業界内部の構造がいろいろと問題になることもありますが、真摯に誠実に職務を全うされている方が大部分だと思っていますので)と言われてしまうようなネガティブな側面が顕在化して久しいのは、皆さまご存じの通りです。

その予兆をとらえたようなこの描写(まぁいつの時代も他者の装いにうるさく言う人はいましたし、私自身も着物を着るようになったのはちょうどこの頃でしたから、街中で不思議な目で見られることは多々ありましたけど……)。

残念なことに30年近く経ってもまったく変わっていないどころか、SNSがより身近になったことによって、いっそう酷くなっていますね。

私は基本的には、着物は所詮”着るもの”なので、好きに着れば良いと思っています。その姿が素敵であれば。

とはいえ何をしても良いわけではないし、知っていて崩すことと、知らないで適当にすることはやはり違いますよね。

千利休の訓より発したと言われる芸道における“守破離”の精神や、十八代中村勘三郎丈の座右の銘でも知られる『型を極めてこその型破り、でなければただの型無し』という考え方は、すべてにおいて言えること。着物にも、そのまま当てはまる信念だと思います。

気候ひとつ取っても時代に即さない決まりごとはたくさんあるし、着付教室の浸透で近年付け加られた比較的新しいルールもある。ただの好みやバランスで決めて良いことなのに、いつの間にか“こうあるべき”とされてしまっていることも、がちがちに何でもかんでも守る必要はない約束事も多い。

でもそれらも、知らなければ判断ができないことでもある。

崩すにしても、どこまでが品を保った“美しい”と思える範疇で、どこからがやり過ぎになるのか(もちろん個人差もあるけれど)。

それも、その加減や自分の美意識への自信がないと判断ができないから。

現代のように社会生活を送る上で“着物”が必須ではない世の中において、その存在を考えたとき、TPOを無視したり同席する方々に不快感や違和感を与えたりするのは社会的に見て決して良いことではないと思いますので、極めるまではいかなくとも、きちんと知った上で、守る方が良い場では守り、ネガティブな影響をもたらす可能性のない場では自由を楽しむ。

そう在れたら良いなと思います。

“着物”というものが、なくても生きてはいけるけど、あったら生きる上でのいろどりが増すものであることは確かだと思うから。

2024.09.11

まなぶ

着物でお出かけ、のルール「大久保信子さんのきもの練習帖」vol.17

季節のコーディネート
〜松の緑〜

着物:特選手加工染洒落訪問着 紬縮緬地
帯:手描き友禅九寸名古屋帯「若松」
小物:スタイリスト私物

神様が宿る木としてお正月飾りに用いられる松は、常緑を保つことからも瑞々しい生命力や長寿の象徴ともされます。

目にも鮮やかな若松が描かれた塩瀬の染め帯を、先程の縞の付け下げに合わせて。七宝の帯が、のんびり過ごすお家モードなお正月だとしたら、こちらは観劇など華やかな場所に出掛けたくなる組み合わせ

裾にあしらわれた緑の縞を竹に見立てて、梅のモチーフを添えて松竹梅にと思ったのですが、その組み合わせはわりとよくやるので(笑)、さまざまな色合いの緑をあしらい、“松の緑”をテーマにしたコーディネートに。

さまざまなニュアンスの松の緑の小物をあしらって。

帯:手描き友禅九寸名古屋帯「若松」
小物:スタイリスト私物

彫金の独楽の帯留、虎竹の骨に老松色の山漆(扇面の折山に色漆が塗られていて閉じるとその色が見える)の扇子はどちらもアンティーク。

半衿や帯揚げにも、さまざまなニュアンスの松の緑の小物をあしらって。

新春の装いにはもちろん、例えば推し(笑)の役者さんのお名前にちなんだ装いとしても(密やかに……どころではなく、わかりやすいことこの上ないですが)。

2021.05.15

よみもの

文様を探す〝連想ゲーム〟を楽しんで 「歌舞伎へGO!大久保信子先生に聞く着物スタイル」 vol.6

今宵の一冊より
〜冬の紅型〜

 芭蕉の木、尾長鶏、南国の花。
 燃えるばかりの色彩に染め上げられた紅型の小紋。鮮やかな黄や赤が目にまぶしい。
 普段は地味なものを好んでいるのに、魔が差したように作ってしまったきものだった。
 すくい織りの、黒鳶の帯を文庫に結び、髪を不対称に分けて、ゆるく編んだ。

近藤史恵『散りしかたみに』角川文庫

魔が差した……とは言っていても、それに負けないだけの強さや妖艶さを持つ虹子であれば、派手すぎる!と臆することはまずなさそうな気がします(強さのベクトルがちょっと異質なのでぶつかりそうではあるけれど、ある種の化学反応を起こしそう)。

鮮やかな紅型から感じるのは、シンプルで健やか、純粋な陽のオーラであるかのように見えて、その背景には虐げられ搾取されてきた歴史もあり、その影の部分をも飲み込んで、よりいっそう力強く放たれる……そんなエネルギー。

色柄が地味とか派手とか、そういう単純な見え方の問題ではなく、その迸る生命力を跳ね返す、あるいはともに発光するくらいの強さが本人にないと、なかなか着こなせない着物かもしれません。

花鳥文を染め表した王道の柄ゆきが艶やかで、ただ単純な原色ではない深みのある配色が美しい琉球紅型の小紋。

ただの無地では力負けしてしまうので、ひと癖ある揺らぎを見せる漆箔の帯で引き締めて。

雪持ち柳の羽織とともに、真冬の冷たい空気の中で纏う紅型も新鮮な表情を見せてくれそうです。

陶製の緩やかなシルエットが紅型とも相性の良い、船を模ったアンティークの帯留。深い黒を背景に、まるで夜の海に漂うかのような雰囲気です。

これだけ色があると、だいたい合ってしまうから小物合わせに困りはしないけれど、すっきり大人っぽくまとめるのはかえって難しい。幼い印象が抜けきらなかったり、ちょっと野暮ったくなってしまったり。

帯揚げ、絞りの半衿、帯留、二分半紐。そして、羽織の背に描かれた雪持ち柳にも。

微妙なニュアンスで響き合いながら、少しずつリンクする深い青の色がすべてを繋いで、プリミティヴな魅力を残しながらも、甘くなりすぎない洗練された着こなしに。

まなぶ

「紅型」に関する記事一覧

今宵のもう一冊
『歌舞伎座の怪紳士』

近藤史恵『歌舞伎座の怪紳士』徳間文庫

近藤史恵『歌舞伎座の怪紳士』徳間文庫

しのぶさんは、わたしや香澄より、何枚も上手だ。
香澄と一緒に訪れたレストランは、ビルの三十階にあり、真っ白な壁と真っ白な天井に覆われていた。

〜中略〜

「メニューってないの?」
これではこのコースがいくらするかもわからない。
「たぶん、しのぶさんがコースも指定して予約してるんだと思う」
そんな会話をしていると、入り口からしのぶさんが案内されてくるのが見えた。
白髪を綺麗に結い上げ、抹茶色の付け下げを着ている。年齢のわりに背がすらりと高く、堂々としている。バッグはグッチだろうか。着物用のバッグでないところが垢抜けて見える。

近藤史恵『歌舞伎座の怪紳士』徳間文庫

今宵のもう一冊は、同著者の『歌舞伎座の怪紳士』。

主人公は、職場のハラスメントにより退職し現在無職、人と接することに疲れ、ちょっと生きるのがしんどい思いをしている27歳の久澄くすみ

お花の先生で礼儀作法にも厳しく、姉の香澄は仲良くしているけれど自分は少し苦手でなるべく距離を置いていた、そんな祖母からの依頼で引き受けたのは“観劇代行”という何やら事情のありそうな、奇妙なアルバイト

主人公が等身大で、初めて歌舞伎に接する際の「何着ていけばいいの⁉︎」から始まる疑問も、歌舞伎だけでなくオペラや演劇など、じわじわと舞台鑑賞の魅力に開眼していく様子も、とても身近に感じられるのではないかと思います。

魅力的なのが、この主人公に奇妙な依頼をする祖母“しのぶさん”。

先にご紹介した『散りしかたみに』に登場した虹子とは、“呉服屋の娘”という共通点があります。著者にとって、いろいろなことをわかった上で、あえて一般的ではない自分流のこだわり(その方向性はそれぞれ違うけれど)のある着こなしをしている人という人物像に、リアリティを増す設定なのかもしれません。

物語の最後の方で、季節が移ろい夏の着物を着ているシーンが登場しますが、好みが一貫していてブレない(そのときもグリーン系の付け下げ)しのぶさんの人物像が見て取れて納得でした。

細かな鱗柄が染められた、淡い抹茶色から青緑のグラデーションが新鮮な印象の江戸小紋の付け下げ。八掛のぼかしに浮き上がる鱗が目を惹きます。

なんだか白蛇さまを思わせる渦巻の帯を合わせて、巳年のコーディネートに。

三角形が並んだ鱗文様は、もともと蛇の鱗に見立てて名付けられた文様。外敵から身を守るものであり、脱皮をすることから厄落とし、そして再生の意味もある吉祥文様です。

十二支の中でも、なかなか可愛げのある絵柄に出会いにくい巳モチーフ。ここは見立ての技を駆使して、こんな組み合わせで新しい年を迎えてみてはいかがでしょうか。

作中のしのぶさんなら白衿できりり!かなと思いますが、少し柔らかく、宝尽くしの刺繍半衿で胸元に華やぎを

小さくても存在感のあるアンティークの寿の帯留を添えて、新春歌舞伎に出かけましょうか。

本作中で久澄が初めてみる歌舞伎の演目のひとつは『京鹿子娘道成寺』なのですが、その観劇ならば半衿や帯留、扇子を桜モチーフにするとぴったりですね。

2021.12.16

よみもの

新年を寿ぐ装い 「歌舞伎へGO!大久保信子先生に聞く着物スタイル」 vol.13

扇面には水仙。

小物:スタイリスト私物

開くと、扇面には水仙。劇場内や人混みは暑いことも多いので、冬の時期も扇子は必須。

結局あおぐ機会のないまま帰宅することもあるけれど、胸元に季節の柄を忍ばせておくのも密やかな楽しみのひとつです。

まなぶ

扇子のギモンを解決!「きくちいまがプロに聞くシリーズ」

最初にご紹介した『散りしかたみに』。

(あまりネタバレはしたくないけれど)正直……物語としては、後味が良いとは決して言えない哀しいお話なので、新たに始まる1年を寿ぐこのタイミングで取り上げるのもどうかなと、ちょっと思ったのですが……(なので、正月早々哀しい気持ちになりたくない人は、時期をずらして読んでくださいませ)。

あ、でも。

もう1冊の『歌舞伎座の怪紳士』は、ふとしたことで躓き自信を失って、うずくまって動けないでいる久澄の背中をそっと支え、自らの意思で立ち上がり歩き出すまで、ただ黙って寄り添っていてくれるような、そんな穏やかで、なんとなくほっとする物語。

「踏み込んでみたら、ちょっと楽しい世界……あるよ?もし興味があったらどうぞー」と、決して無理強いすることなく、そぉっとそばにチラシを置いておくような。

再び歩き出すタイミングが本人に委ねられているところが、なんだかいいなと思う。そんな物語です。

さて次回、第四十五夜は……?

実は現在、1月9日(木)から始まるドラマの撮影に追われており、ちょっと気持ちに余裕がなく、次回取り上げる作品が決まっておりません……

サプライズということで(?)ご容赦いただき、まずは年明けから始まるドラマをお楽しみいただけたらと存じます(京都きもの市場さんにも、衣裳のご協力をいただきましたので)。

1/9(木)21時〜 テレビ朝日系列
『プライベートバンカー』

シェア

BACK NUMBERバックナンバー

LATEST最新記事

すべての記事

RANKINGランキング

  • デイリー
  • ウィークリー
  • マンスリー

HOT KEYWORDS注目のキーワード

CATEGORYカテゴリー

記事を共有する