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憂いの黒羽織 〜小説の中の着物〜 樋口一葉『十三夜』「徒然雨夜話ーつれづれ、あめのよばなしー」第四十一夜

憂いの黒羽織 〜小説の中の着物〜 樋口一葉『十三夜』「徒然雨夜話ーつれづれ、あめのよばなしー」第四十一夜

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小説を読んでいて、自然と脳裏にその映像が浮かぶような描写に触れると、登場人物がよりリアルな肉付きを持って存在し、生き生きと動き出す。今宵の一冊は、樋口一葉著『十三夜』。その秋の豊穣を祝い月に感謝を捧げる“十三夜”。大丸髷に結い、黒羽織を纏って人力車を降りるーそんなシーンから始まるひと夜の物語が、流麗な文体とともに情緒的で美しい映像となり脳内に繰り広げられる。まるで古いショートフィルムを観るように。

2024.08.29

まなぶ

誰かのためだけの、ただひとつのもの 〜小説の中の着物〜 知野みさき『神田職人えにし譚』「徒然雨夜話ーつれづれ、あめのよばなしー」第四十夜

今宵の一冊
『十三夜』

樋口一葉『十三夜』岩波文庫

樋口一葉『十三夜』岩波文庫

今宵こよひ舊暦きうれきの十三夜、舊弊きうへいなれどお月見の眞似事に團子いしいしをこしらへてお月様にお備へ申せし、これはお前も好物なれば少々なりとも亥之助に持たせてあげやうと思ふたれど、亥之助も何かきまりをるがつて其様そのやうな物はおよしなされと言ふし、十五夜にあげなんだから片月見かたつきみに成つてもるし、喰べさせたいと思ひながら思ふばかりであげることが出來なんだに、今夜れるとは夢のやうな……

〜中略〜
 

父は歎息たんそくして、無理は無い、居愁いづらくもあらう、困つた中に成つたものよと暫時しばらく阿關おせきかほを眺めしが、大丸髷おおまるまげ金輪きんわの根を巻きて黒縮緬の羽織何の惜しげもなく、我が娘ながらもいつしか調ととのふ奥様風、これをば結び髪に結ひかへさせて綿銘仙の半天に襷がけの水仕事さする事いかにして忍ばるべき、太郎たらうといふ子もあるものなり、一端の怒りに百年の運を取りはづして、人には笑はれものとなり、身はいにしへの……

樋口一葉『十三夜』岩波文庫

今宵の一冊は、樋口一葉著『十三夜』。

その器量を見込まれ、どうしてもと請われて身分違いながら裕福な高級官吏に嫁いだお関。
可愛い息子も生まれ、端からは所謂“玉の輿”に乗った幸せな身の上と思われているけれど……

抜粋部分は、物語の前半、離縁の覚悟を抱えて実家を訪れたお関と、常にはない夜遅い時間の訪れといつもより地味な装いに不審を感じながらも、その内心までもは知らず歓待する両親とのやりとり。

やれ畳が汚い、着物が汚れるから座布団を敷けと勧めたり、婚家の前を通り掛かっても自分が“木綿着物に毛繻子の洋傘かふもり”では声はかけられないと遠慮したり、娘の幸せな奥様生活を疑わない両親に

“それは成程なるほどやわらかひ衣類きものきて手車に乗りあるく時は立派らしくも見えませうけれど”

……と胸の内をなかなか明かせず、悶々とするお関の様子が描かれます。

旧暦8月15日の「十五夜」に対し、9月13日(ちなみに新暦では、今年は10月15日とのこと)の「十三夜」は“後の月”とも呼ばれます。
秋の実りに感謝し、栗や枝豆を供えることから“栗名月”“豆名月”とも。

月の神様に豊作を願う「十五夜」、豊穣を感謝する「十三夜」。

若妻の証である大丸髷(年を取るに従って小さく結うようになる)に金の根掛を飾り、“おかいこぐるみ”などとも言われる、絹の着物を日常的に着ていられる身分から、離縁して実家に戻ったら髪結賃も惜しんだ結び髪に、木綿の着物を着て困窮に追われ日々必死に働く生活に戻ることになる―――それは忍びないと父に説得され“鬼のような”夫のもとに戻る帰途、思いがけず初恋の相手(結婚を約束していた)である錄之助と再会します。

現代風に言えば、“モラハラ夫による精神的DVから逃れたいと決意して、夫の留守を見計らい子どもを置いて実家に帰るが、親に説得され再び婚家に戻ることに。その帰途、思いがけない形で落魄おちぶれた元恋人に再会するが……”というストーリー展開。

しかしその“モラハラーモラルハラスメントー”の大前提である“モラル”が、現代とは絶対的に違うので、感情移入することはなかなかに難しいかもしれません(切れ間なく続く文語体の独特のリズムにさえ慣れれば、登場人物4人の語りを中心に物語が進むので、話の内容はわかりやすいのですけれど)。

本作『十三夜』は、短いけれど場面展開が明瞭で登場人物の設定もわかりやすく、とても映像的と言うか……流れるような文体とともに情緒的な映像が脳内に展開される、とても美しい世界観の作品。

まるで、古いショートフィルムを観るような。
(描かれた内容に関しては、正直なところツッコミどころは山ほどあるのですが……何故か、映像としては美しく感じられる不思議。いわゆる“様式美”と言った感じでしょうか)

今宵の一冊より
〜黒羽織〜

本作中で黒紋付の羽織の下にお関が着ていたのは、たぶん細かめの柄の小紋あたりではないかなと思います(明治28年の雑誌掲載時の挿絵では、細かいよろけ縞に紅葉を散らした小紋で描かれています)。

(黒地に紋付、という意味で)共通する印象のある、現代の黒留袖や喪服などとのいちばん大きな違いは紋の大きさ。江戸末期〜明治初め頃までは、男女とも直径1寸強(約45㎜)ほどありますので、かなりの存在感。その後、徐々に男女差がはっきりし始め、現代では戦後あたりから男性1寸(約38㎜)、女性5分5厘(約21㎜)でだいたい統一されました(訪問着などにつける場合は、着る人の身長などにより多少調整することも)。

防寒着であったこの頃の羽織は、基本的に長め。総じて膝下からふくらはぎくらいまであったようです。現代でも、コートとして防寒目的で着用されたい方は、そのくらいの長さにすると、やはり暖かさが全然違うようですね。

ちなみに私自身は、2尺5寸(膝上)6寸(膝裏)7寸(膝下)の3パターンで長さを微調整。色柄や素材によってバランスの良い長さを決めています(あまり寒がりではないので、防寒要素はさほど考慮せず……)。

銀糸が煌めく、大きな乱菊が織り出された黒羽織。

本作の舞台でもあり、一葉が生きた明治時代であれば縮緬など艶のない素材が主ですので、もっとしっとりと落ち着いた雰囲気になりますが、このようにきらきらしくあでやかな羽織だと、同じ黒でもずいぶんと華やかな印象になります。

身体の動きにつれて不規則に煌めく銀の縫取りは、光の当たり方ー自然光かライトかーによっても印象が変わり、わりと何にでも合う黒無地だけれど、決して無難には陥らず個性的。

露に濡れた、あるいは霜を纏った乱菊。

本当に、袷の羽織の出番は11〜2月の4ヶ月限定となってしまいそうなこのところの温暖化。それならば、秋冬(11、12月)用、新春(1、2月)用といった季節限定感のあるものを楽しむのも良いなと思います(あと単衣と薄物があれば、1年分をカバーできるということに)。

秋〜冬にかけて、とことん着倒したい一着です。

花唐草の地紋が織り出された紋意匠縮緬の裾に、緩やかな流れを配したのみの色無地感覚の付下げ。背に刺繍の一つ紋が入っているので、格調高い袋帯から洒落帯まで、帯合わせ次第でさまざまな着こなしができそうです。

ゆったりと衿を合わせ、烏瓜や葡萄など秋の実りを集めた刺繍半衿をたっぷりと見せた着こなしで。

帯は少し低め、おはしょりもふんわりと緩く長めに。身分によっては室内では裾を引いた着こなしがまだ日常的にあった(出かける際には紐でたくしあげ腰回りに結び止めていた)明治の頃の、ゆったりとした着付のイメージ。

旧五千円札で見慣れた一葉自身もそうですが、その頃の実際の写真を見ると、肩幅がなく体が小柄なこともあってか着物と身体との間にゆとりがあり細い首や顎がちょっと衿に埋もれるような着方をしている(小説でも、ふと物思いに沈むときなど「衿におとがいを埋めて…」というような描写がよくあります)のが印象的。

腰回りもタイトではなく緩やかに合わせていて、基本的に帯板もしていないので帯締め(小さな帯留を通した細い二分紐)が食い込んでいたりしますし、ぐずぐずの一歩手前の人もいたりして。

着物も袘綿が入っていたり何枚か重ねて着ていたりもするので、全体的にふくふくとゆったり柔らかな印象(まぁこの時代で写真に撮られるなどという機会があるのは上流階級の人々や芸者などの特殊な立場の人が多く、しかもかなり特別なことなので、良い着物や帯を身に付けて撮られているというのもあるのでしょうが)ですが、中には見ている方が息苦しいくらい衿をぎゅうぎゅうに合わせている人もいたり……そういった個々の着付の個性を見ているだけでも、結構面白かったりします。

程良いレトロ感を添えつつすっきりとしたコーディネート

小物:スタイリスト私物

結んでしまうとほとんどわからないけれど、このヴィンテージの絞り帯揚げの淡い紅紫の無地場にも楓の地紋。そして深い青紫の絞り部分は唐草柄。

絞りの帯揚げは、ともすれば少々野暮ったく見えがちなので(役柄として衣裳を考えるときは、わざと色を合わせずぼってり出しますが)着物や帯に馴染む色柄のものを選ぶと、程良いレトロ感を添えつつすっきりとしたコーディネートに。

お太鼓柄の場合、前柄は左右の脇どちらかにずらした方がすっきりと見えることが多いのですが、この文箱の柄はなんとなく……ど真ん中にした方が収まりが良く思えます。

帯留はアンティークの彫金の紅葉。文箱に描かれた紅葉が一枚、浮かび上がったようなイメージで、あえて前柄に重ねて。

袋ものの前金具や刀装具の転用によるものが多かった明治の頃の帯留は、小ぶりなものが主流。しかし、手の込んだ細工のものが多く小さくとも存在感があります。

紐は、小さな帯留を活かしながら、帯の柄を邪魔することなく、色を地色に溶かし込むにもくっきりと効かせるにも程の良い分量である二分紐。ここでは秋らしい深い焦茶を選んで馴染ませながら効かせる配色に。

紋の付いた着物を普段に着たいときにも羽織は有効。

小物:スタイリスト私物

紋の付いた着物を普段に着たいときにも羽織は有効。

この付下げ、背には刺繍の一つ紋が入っており茶席や結婚式の参列などセミフォーマルとして十分通用しますが、格を特に必要としない、単なるお出かけ着としての着用ならば、こんな羽織で華を添えた着こなしも良いですね。

秋柄の染め帯を合わせて、観劇やちょっと良い料亭やホテルでの食事などにも。

うぞ御願ひで御座ります離縁のじやうを取つて下され、私はこれから内職なり何なりして亥之助が片腕にもなられるやう心がけますほどに、一生一人で置いて下さりませとわつとこえたてるをかみしめる襦袢の袖、墨繪すみえの竹も紫竹の色にやいづるとあはれなり。

樋口一葉『十三夜』岩波文庫

袖から覗く、墨描きの竹柄襦袢。

小物:スタイリスト私物

袖から覗く、墨描きの竹柄襦袢。

現代では、洗いに出すことを考えると、襦袢の袖を噛み締めたり涙を拭いたりは到底できそうにありません(あ、うちで洗濯できる素材なら大丈夫かな。噛み心地?はどうかわからないけど笑)。

廣小路ひろこうじへ出るまで唯道づれに成つて下され、話しながらゆきませうとて、お關は小褄こづま少し引上げて、ぬり下駄のおとれも淋しげなり。

樋口一葉『十三夜』岩波文庫

そして、足元は塗りの下駄。
このスタイリングなら、黒の漆塗りでも丹塗りの赤が来ても素敵そうです。

黒羽織いろいろ

もともと男性のみのもので、女性は着用を許されていなかった羽織というアイテムを着こなしに取り入れたのは、江戸時代末期の深川芸者たちと言われています。

それが彼女たちの代名詞となり、深川芸者を指して辰巳芸者(深川が江戸の辰巳〈東南〉の方向にあったため)、羽織芸者、羽織、などとも呼ばれるように。

ある意味“男装”とも言える羽織姿に、豆奴、文太、蔦吉などといった男名前を名乗り、その気風の良さ、「芸は売っても身は売らぬ」という誇りと心意気、男勝りな気概を信条とし”粋”を体現する存在として人気を博しました。

きっかけは屋形船の寒さに耐えかねて贔屓の旦那さんから黒紋付の羽織を借りて羽織った姿が粋で人気となり、深川芸者全体に広がったと一説には言われていますが、男ものであるがゆえに少し大きめの黒羽織を、その華奢な身体の肩先に引っ掛けるように羽織った姿は、どこか倒錯的なあでやかさーマニッシュな魅力ーに満ちていたことでしょう。

その後明治に入ると、一般女性の間でも防寒着として羽織を着るようになり、明治20年代には黒紋付羽織が流行。この頃の絵や写真を見ると、小紋柄や絵羽柄、日常着には織の羽織など、さまざまな羽織を着た姿が残されており(振袖に袴、袂の長い羽織を羽織った女学生を描いた絵なども)女性の着用アイテムとしてすっかり定着したことがわかりますが、やはり大元の発祥からか、現代でも羽織は礼装としては扱われません。あくまでも礼装の上に羽織れるのはコートのみであり、羽織はカジュアルなアイテム。

とは言え、移動のみであれば個人の好みにおいて着用は自由です。コートにしても結局は同じで、着物においては上着を羽織らない帯付きの姿が正式であり、移動時以外で上着を羽織ることはないので。

……と言うことで、コートがあまり好きではない私は、フォーマルの移動時には背に刺繍紋を入れた無地羽織か絵羽の羽織を着ています。

銀鼠〜黒藍のぼかしが絵羽状に織り出された縞大島。青みがかったモノトーンの配色が、艶のある大島特有の生地感と相まってクールでモダンな印象。

落ち着いた銀地に、シルエットが綺麗で甘すぎない兎と月が刺繍された袋帯を合わせたら、大人の遊び心が感じられるお月見コーディネートに。

冒頭の抜粋部分でお関の父が語っているように、「十五夜」のお月見をしたなら必ず「十三夜」も。どちらかだけの“片月見”(片見月とも)は縁起が悪いとされていますので、こんな装いで“後の月”を愛でつつお祝いを。帯に添えるのは、栗か豆の帯留でしょうか?

ここで羽織として合わせたのは、大小霰の堅縞が染められた着尺地。適度なハリのある生地で、裏も綺麗に黒無地に染まっているので、単羽織にしても使い勝手が良さそう。反巾の広い男ものの着尺地なので、裄を長く取りたい方にもおすすめです。

霰の縞は夜露、それとも雨……?(お月見ならば、月が見えないのは残念なので夜露ということにしておきましょうか)

白や薄鼠の細かい柄によって黒でも重くなりすぎず、モノトーンなので重ねる着物や帯は選ばず合わせやすい。それでいながら、見立ての妙も楽しめる。そんな重宝な一着になりそうです。

黒羽織というと、渋くて粋、クラシカルといった印象が強いかと思いますが、こんな着尺を選べばぐっとモダンでエレガントな印象に。

大胆なアレンジの葉がひらりひらりと舞う、まるでドレスのような黒地の小紋。

合わせた帯は花織の半幅帯。羽織の場合、コートと違って室内でも脱がない場合も多いので、半幅帯を有効活用するのも良いですね。

こういった上質な素材の半幅帯は、帯揚げ帯締めを合わせたら名古屋帯や洒落袋帯にも引けを取らない着こなしになりますし、こんなインパクトのある着こなしならカジュアルなパーティーなどにも対応できそうな組み合わせです。

こんな羽織には、組紐状の一般的な羽織紐ではなくアクセサリーのようなパーツ使いのものが似合いそう。

流水に桜楓文が染められた総柄の小紋に、大柄の牡丹が疋田で表された縮緬の羽織を重ねて。

着物の柄が、ちょっと華やか過ぎたり賑やか過ぎたりする気がして少々気後れする……そんなときにも羽織はボリューム調整にお役立ちです。

黒無地の羽織は基本的にまず合わない着物はないですし、柄が入っていたとしても、黒ベースであればかなり汎用性は高いです。

一瞬合わないように思えても総柄の場合使われている色も多いため、たいてい何かしらの色がリンクする(ここでは八掛の茶と牡丹の茶)ので、意外と合わせる着物を選ばず違和感なく馴染みます。

こういった無地場の多い大柄の羽織は、ここで合わせたように細かい総柄に意外と合ってしまうことも多いですし(それが着物の面白いところ)、無地感覚の着物に合わせれば羽織を主役にした着こなしができる、使い勝手の良い一着。

例えばこんな、横縞がちょっと気になる……?そんな場合にも。

これまでのコラムでも何度か触れましたが、着物の感覚的には幾何学柄は無地扱いなのでこういった組み合わせはある意味王道。ですが、そんな幾何学柄の中でも、ちょっと気になる方も多いのではないかなと思うのがこういった横縞系の柄。

他にも、大きめの格子柄や色が派手すぎる、あるいは可愛すぎて気が引ける……そんなとき。着物のボリューム調整にお役立ちなのが黒羽織です。

黒コートがどんな洋服にも合うように、ある意味万能なので、とりあえず羽織を一枚と考えている方は選択肢に加えてみてはいかがでしょうか。

季節のコーディネート
〜いろは歌〜

従来の気候ならば袷の季節到来ですが、まだまだもうしばらくは出番がありそうな単衣の着物。

素材は、しゃりっとした質感が肌触り良く、軽やかさもあって着心地の良い生紬。切り嵌め風に、さまざまな縞が染められた染めの紬です。

困窮に喘ぎながら創作に励んでいた一葉の日常着は、おそらく大切に繕いながら着ていたであろう木綿の地味な縞ものだったでしょうし、当時の一般庶民にとっても、縞の着物はもっとも身近な着物であったでしょう。

その短い生涯を、生活に追われながらも一心不乱に執筆に向かい続けた一葉を偲び、いろは歌と民具が染められた名古屋帯を合わせて。

こまつ座の旗揚げ公演として1984年の初演以降何度も上演されている『頭痛肩こり樋口一葉』(井上ひさし作)という舞台がありますが、花螢(幽霊)役の若村麻由美さんをはじめとした女優さんたちの演技が本当に素晴らしくて面白く、舞台の衣裳も素敵なので、また再演があったならぜひこんな装いで。

色が豊富に遣われているので、小物も楽しめそう。

小物:スタイリスト私物

軽やかな牛首紬地にカラフルな色遣いでいろは歌とさまざまな民具が染められた名古屋帯。単衣にも袷にも合わせられるので盛夏以外のスリーシーズン活用でき、また紬地でもしなやかな素材感なので、小紋などの柔らかものにも合わせられて便利です。

帯留は、帯の柄の民具と合わせて俵に乗る鼠が象られた素朴な木彫のものを。

色が豊富に遣われているので、小物も楽しめそう。葡萄の実のような、鮮やかな紫の帯揚げをアクセントに。

まだまだ暑い日が続きますし、紗の羽織はもうしばらく出番がありそうな気配。

レースの羽織などと同じ感覚で、塵除けとして使っても良いのではないかと思います。帯の柄がしっかり見えるのも、後ろ姿の魅力を増す要因ではないでしょうか。

ここでご紹介したように単衣にも、もちろん薄物にも。そして袷にも。

着物は重ねて着るものだからこそ、組み合わせで調整ができる衣類。うまく活用していきたいものですね。

本作品『十三夜』の前半において、お関は玉の輿を喜に自慢に思う両親のためにも、夫の縁で職を得ている弟亥之助のためにも、何よりもひとり息子の太郎のためにも、離縁は諦め死んだ気で婚家に戻るしかない。

普通に考えたら、その流れはある意味当然。当時においては、女性は家や家長に従属する存在でしかなかったから。そういう生き方をした女性は、実際星の数ほどいたはずです。

しかし、後半を読み終えた後。

んん……?もしかして……
現実を受け入れた最大の理由は、それらではなかったかもしれない……?

十三夜に再会した錄之助が、車曳きではなく、成功した実業家だったりしたらどうだっただろうか(そんなふうに考えてしまう自分の性格の悪さに、ちょっと苦笑いしつつ)。社会的に見て弱者の立ち位置にいる、自分と同じ女性であるお関のやるせなさ、悲嘆を描きながら、同時にその表面状の弱さに隠された太々しさ、したたかさを垣間見せる一葉の醒めた視点が怖いような、痛々しいような……。

向学心と才能に溢れ、また美意識も備えていた一葉にとって、上流階級の人々に混じって在籍した歌塾「萩の舎」でまざまざと突き付けられる貧富の差は相当に厳しかっただろうと思います。才媛と呼ばれ、学問の力量が塾内でもトップクラスだっただけに余計に。

今回取り上げた『十三夜』だけでなく、樋口一葉の作品には着物の描写が多くありますが、現実にどうにもできない経済状況への葛藤が作品のあちらこちらにこぼれ落ちていて、何とも胸が痛くなります。

さて次回、第四十ニ夜は……
いざや、傾かん。

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