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故・中村富十郎夫人 渡邊正恵さん 「歌舞伎俳優 ご夫人方の装い」vol.5  ―“妻の仕事“に正解はない、礼儀を欠かず誠意をつくす

故・中村富十郎夫人 渡邊正恵さん 「歌舞伎俳優 ご夫人方の装い」vol.5  ―“妻の仕事“に正解はない、礼儀を欠かず誠意をつくす

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歌舞伎界の人間国宝・五代目中村富十郎さん。踊りの名手で知られ、卓越した舞踊で観客を魅了しましたが、2011年に81歳でお亡くなりになりました。今回は富十郎さんご夫人にご登場いただき、劇場での装いから、富十郎さんとの思い出、ご結婚後ご苦労されたこと、ご子息である歌舞伎俳優・中村鷹之資たかのすけさんにまつわるお話をうかがいました。また9月に舞踊の新流派・芳澤流を興し芳澤壱ろはいろはを襲名する、ご息女の舞踊家・渡邊愛子さんにもご登場いただき、若い舞踊家の装いなどもご紹介いただきます。

2024.06.30

よみもの

中村萬太郎夫人 小川絵美子さん 「歌舞伎俳優 ご夫人方の装い」vol.4  ―着物が深めてくれるお客さまとのつながり

劇場でお客さまをお迎えする装い

──「劇場でお客さまをお迎えするさいの装い」をテーマにお越しいただいております。盛夏での装いになるかと思います。どのようなお召し物かうかがってもよろしいですか。

故・中村富十郎夫人 渡邊正恵さん01

「これは絽の付下げ小紋です。襲名のときは訪問着にしますが、それ以外で訪問着だと少し重いかなと思いまして。

初日などは付下げ小紋にして、一つ紋が入っているものを着ます。

派手にならないよう、心がけて着るようにしていますね

故・中村富十郎夫人 渡邊正恵さん02

「実は私、花の柄は好みではないのですが、この桔梗はすっきりした感じで気に入っています

花柄でこういう表情のものがあまりないんですよね……抑えたトーンの色味に波の地紋で涼しげに感じています」

──帯のほうはどうですか。

「たまたま袋帯で来ましたけれど、夏だったらもう少し軽めの帯にすることもあります。今回はさわやかな色合いのものにしてみました。柄は柳の葉ですね。

私はお太鼓は膨らまないのが好きで、硬い帯が好みなのですが、この帯はいつも通りにピッと平らにならず気になっています(笑)。

大き目に結ぶのが好みで、身体の寸法からしたらもう少し小さくするのが普通なのかな、とも思うのですが大きくないと落ち着かないんです」

故・中村富十郎夫人 渡邊正恵さん03

──お草履はどちらのものでしょうか。

「『ぜん屋』さんのものです。私は足が小さいので、後ろが細くなった変わった形の台を選んでいます

普通の草履ですと、歩いているときにかかとがぶつかってしまうんですよ。これですと一日経っても足が疲れないので重宝しています」

故・中村富十郎夫人 渡邊正恵さん04

「ただ、いま職人さんがいなくなってしまって、この形が廃盤になってしまうそうです。それは困るので、どうしても作って欲しいと頼んだら、3年待ちとのことで」

故・中村富十郎夫人 渡邊正恵さん05

洋服にない着物の魅力にとらわれ

──襦袢はどうされていますか。

「盛夏なので絽にしています。これも地紋がきれいなんですよ。波模様で着物と合わせています。

生地がしゃっきりしているので、着ていて崩れないところがいいんです」

故・中村富十郎夫人 渡邊正恵さん06

「いま、ちらっとお見せしてすぐに隠したんですけれど、夏の襦袢はすごく汗を吸うので、同じところがすぐに汚れてしまうんですよね。

洗濯しても汗染みがとれないこともありますが、そうすると着物はお袖を付け替えることができるじゃないですか。そういうところが着物のいいところだなって思います。

傷むところが決まっているから、入れ替えして着ていけるようにできている。素晴らしいですよね」

故・中村富十郎夫人 渡邊正恵さん07

「例えば今日、娘が私の着物を着ていますけれども、自分のために作ろうと思ったものでも、いつか娘も着られるかな、と考えると楽しさが倍増します。

3代は平気で着られるし、3代着ていい味がでるとも言われていますし、美しいだけでなく、そういうところも好きですね」

──日本舞踊はおいくつくらいのときから始められたんですか。

「3歳からやっていました。田舎でしたので趣味の範囲ですね。小さいときから着物が好きすぎて、洋服を着ているのに下駄を履いているみたいな子でした。

きれいだし踊りがずっとできるから、本当は舞妓さんになりたいと思っていたんです。

親に打ち明けたら、当時は、京都で生まれて京都の言葉を話せないとなれないのよ、と返されて、完全にアウトだわ、と諦めました」

故・中村富十郎夫人 渡邊正恵さん08

「実家が美容院をしていまして、母が花嫁さんのお支度をさせていただいていたものですから、花嫁衣装などが常に身近にありました。

衣裳をご覧になりにお客さまがいらっしゃるときもあって、部屋にバーッと並べられた着物を親に「片付けておいて」と言われるんです。

とりあえず全部着て、ずるずる引きずって楽しんでから片付けていましたね(笑)。それくらい好きでした。

主人に嫁いでからは着物は半分仕事着になってしまいましたので、着ると仕事モードに入る感じに変わりました」

故・中村富十郎夫人 渡邊正恵さん09

嫁いでからの着物の変化は

──正恵さんが33歳のときにご結婚され、富十郎さんは66歳でした。人間国宝である歌舞伎俳優と結婚するということでプレッシャーはありませんでしたか。

「人間国宝だということを、普段は感じさせない人でしたので、私も、「私の旦那さまは人間国宝です」という意識がありませんでした。

舞台を観ていると、すごいなぁと圧倒されることはありましたけれどね」

故・中村富十郎夫人 渡邊正恵さん10

主人とは年の差があったものですから、結婚当初、主人と同じくらいの俳優の奥さまとなると大ベテランの方ばかりで、何も分からない私は主人の年齢にあわせようと地味めな着物を選んでいました。

私としてはそちらのほうが好みだったし、自然だったのですが、周りの方から歳のわりに地味すぎる、と言われたことはありましたね。

小豆色とかグレー、納戸色などでしたね。年齢が上がってきた最近のほうが、明るくみえたほうがいいかな、と明るめの色を着るようになりましたけれども。

歌舞伎俳優の妻としてロビーに出ていきますが、お客さまが主体で、こちらはお迎えする側。裏に入る人間だと思うので、当時からも控えめであるほうがいいと思っていました」

故・中村富十郎夫人 渡邊正恵さん11

「とはいえ、私たちの着物姿を楽しみにいらっしゃるお客さまもいらっしゃいますので、その時期のものを着たり、屋号にちなんだ模様が入った帯や着物を選ぶようにしています。

うちの場合は『天王寺屋』で、定紋が「鷹の羽八ツ矢車」ですから、矢が入っている帯を見かけると買いたくなりますね。息子が鷹之資たかのすけですので、鷹も意識してしまいます

思い入れのあるお品

故・中村富十郎夫人 渡邊正恵さん12

──こちらが思い入れのあるお品ですね。

鷹之資を披露するとき、名披露目なびろめの扇子を作ったんです。日本画家の大山忠作先生が絵を描いてくださいました。

帛紗にも風呂敷にもしましたし、綴れ織りの帯にもしました。白地の綴れ地にこの鷹の絵で、前は矢羽根を織ってもらって。しっかり織られているので、いまでも締めて息をするたびにきゅきゅっというんですよ」

故・中村富十郎夫人 渡邊正恵さん13

──7歳で鷹之資さんになってもう25歳、18年ですね。

「大山先生が鷹を描くということも珍しかったですし、綴れ織りの帯も、オリジナルで織っていただくことなどないので、宝物です。一年に一度は、ここ一番!というときに締めてますね」

故・中村富十郎夫人 渡邊正恵さん14

──こちらの扇子は?

愛子が9月に“芳澤壱ろはいろは”を襲名するにあたり、作った扇子です。

じつは、うちの主人が五代目・中村富十郎を襲名した際にお配りした扇子の複製でして。こちらも日本画家の小野竹喬先生に描いていただいた矢車草の絵を使っています」

故・中村富十郎夫人 渡邊正恵さん15

先生のご遺族の方にお許しをいただいて、芳澤壱ろはの襲名の扇子として複製することが叶いました。

それにしても、富十郎襲名の扇子がどうしてこんなにかわいらしいんでしょうね。優しい色合いで愛子にぴったりだと眺めているうちに、もしかしたら父親から愛子への贈り物かな、と思えてきたんですよね」

人間国宝・中村富十郎の妻として

「今日の帯締めは『道明』さん、この帯揚げは『ゑり萬』さんのものです。主人の母、舞踊家の初代・吾妻徳穂がゑり萬さんをお好きだったようで、京都へ行くと必ず寄ってお土産を買ってきていたという話を聞いていたんです。

主人の母は派手なものがお好きだったそうで、口紅も爪も真っ赤で、またそれが似合うんです。

”母は特別だ”と主人はつねづね言っていました。破天荒ではありましたけれども、やりたいと思ったことをどうにかしてでもやってしまう、またそれができた方でした」

故・中村富十郎夫人 渡邊正恵さん16

──歌舞伎俳優の妻としてご苦労されたことなどありますか。

「嫁いだときは先ほども申しました通り、年齢差がありましたから、歌舞伎俳優の妻として私は異例だったんです。

主人の母が歌舞伎俳優である息子のフォローをするような立場の方ではなかったので、主人は1人でずっとやってきた歴史があったわけです。

そこに私が突然入りましたので、主人も私に劇場にきてお客さまに挨拶することなど望んでいませんでした。表には出なくていい、とも言われていました。

ただ歌舞伎の世界は縦社会ですので、しきたりもなにもわからない私が、主人の妻となったことで急に大ベテランの奥さま方から“お姉さん”と言われる立場になってしまいました。

ご自分のお嫁さんくらいの歳の私ですから、みなさま周りの方々も戸惑われたと思いますし、“お姉さん”になってしまった私に作法など教えてくださる人もいませんでした。

ですので、やっていることが正しいか間違っているかもわからないまま、咎める人もいないので、手探りでやってきました」

故・中村富十郎夫人 渡邊正恵さん17

「もちろん、「こういうときはどうしたらいいですか」とうかがうと、「こういうものよ」と教えてくださる方もありました。でも「お家お家で違うんだからいいのよ」と優しくおっしゃっていただいて。

いまもそうだと思うんですが、たぶん正解ってないんです。お家によってやり方も違いますし、礼儀を欠かないようにせいいっぱい誠意を尽くすことに限るのではないかな、と思っています

パリの帯を中心に若々しい装い

──愛子さんの装いもご紹介いただいてよろしいですか。

故・中村富十郎夫人 渡邊正恵さん18

(愛子さん)「今日はどうしてもこの帯を締めたくて、帯に照準を合わせてコーディネートを考えました。

帯締めは道明さん、着物は母のものになります。

柳の地紋が意図せず母とかぶってしまいました。帯揚げもおそろいになっていますが、偶然です(笑)」

故・中村富十郎夫人 渡邊正恵さん19

──貴久樹さんのパリの帯ですね。パリオリンピックに合わせて。素敵です。

(愛子さん)「せっかく着るなら普通のコーディネートはいやだという気持ちがありまして。ちょっとほかとは違うな、と思われるように着ようと思ってしまいます

──髪もご自分でセットされて。こちらはかんざしですか。

(愛子さん)「カメリアのバレッタです。勘祖先生からいただきました。お店かと思うくらい、たくさんお持ちなんです。色違いで何個もいただいてしまいました」

──この度、藤間勘祖先生の後ろ盾のもと日本舞踊・芳澤流を興し、芳澤壱ろはを襲名されますが、今後目指していく踊りの形はありますか。

(愛子さん)「まだこれからなので形は決まっていないのですが、私のなかで父の踊りが一番好きなので、それを求めていきたいですね。

父の踊りは見ていてスカッとするというか、気持ちがいいんです。

キレがよくて、テンポ感、間の取り方も独特なんですけど、私もそこを目指していきたいと思っています」

故・中村富十郎夫人 渡邊正恵さん20

──富十郎さんから踊りのご指導されたことはありますか。

(愛子さん)「父から踊りを教わったことは一度もないのですが、父からは舞台に立つときには、目を輝かせて、手をきれいにということを言われました。あとは先生から教わったことをやればいいよと言われておりました

──富十郎さんとの着物の思い出などありますか。

(愛子さん)「私が7歳のときに、父の具合もあったので七五三を早めてやったのですが、そのときに京都の井上八千代先生からいただいた黄色の着物を着せていただいて、自分の髪で日本髪を結ったんです。

そのときの父の写真もありまして、自分のなかで大切な思い出です」

故・中村富十郎夫人 渡邊正恵さん21

着物ファンへのメッセージ

──着物を着て歌舞伎観劇に出かけたいと思ってる着物ファンへ、メッセージをお願いします。

お着物をらくにお召しになっていらしてほしいです。カチッと着ると、それだけで窮屈になってしまわれるので、らくに着ていらしていただけたらな、と思います」

談笑

(愛子さん)「劇場で、いろいろな方の着こなしを見るのもすごく楽しいです。この方はどういう着方をしているのかな、とか、お茶の方と踊りをやっている方の着方も違いますし、選ぶ柄行きもぜんぜん違うので、そういうのを見ていると、やはり面白いなと思います。

粋でかっこいい着方を見つけると、観察して自分も真似してみようかなとか。着物は工夫次第で、その人の個性がよりよく出ると思っているので、私もセンスよく着こなしていきたいと思っています」

公演情報

8月12日に国立能楽堂にて、中村鷹之資さん主宰の第九回『翔之會』が催されます。歌舞伎のみならず、さまざまなジャンルの方が出演されます。

チケットなど詳細はこちらのサイトをご参照ください。

また、9月21日に国立能楽堂にて、芳澤壱ろは 襲名披露『壱ろはの会』が開催されます。
若き舞踊家として活躍している渡邊愛子さんが芳澤壱ろはを襲名し、初めての自身の会を開きます。

チケットなど詳細はこちらのサイトをご参照ください。

取材・構成・文/渋谷チカ
撮影/TADEAI 久野藍

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