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節目の白絹 〜小説の中の着物〜 津村節子『絹扇』「徒然雨夜話ーつれづれ、あめのよばなしー」第三十四夜

節目の白絹 〜小説の中の着物〜 津村節子『絹扇』「徒然雨夜話ーつれづれ、あめのよばなしー」第三十四夜

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小説を読んでいて、自然と脳裏にその映像が浮かぶような描写に触れると、登場人物がよりリアルな肉付きを持って存在し、生き生きと動き出す。今宵の一冊は、津村節子著『絹扇』。婚礼や出産、葬儀など、その人生の節目節目において、自ら織った白羽二重を纏い儀式に臨む。北陸の白絹の里で、実直に、真摯に機に向かい続け生きる女性の物語。

2024.01.29

まなぶ

美しい手の引力 〜小説の中の着物〜 蜂谷涼『雪えくぼ』「徒然雨夜話ーつれづれ、あめのよばなしー」第三十三夜

今宵の一冊
『絹扇』

津村節子『絹扇』新潮文庫

 春江で見合いなどということは一般的に行われていなかったが、順二のたっての希望で二人は寺の庫裏で会うことになった。
 ちよは髪結いに行って島田髷に結い、御守ごしんさんが貸してくれた蒔絵の櫛を挿した。着物は母が嫁入りの時に持って来た紫に菊の柄の縮緬に、繻子地に扇面を刺繍した帯を締めた。
 母の実家は醤油を商っている商家で、嫁入りの時は衣桁、箪笥、長持、鏡台、など、五つ道具の嫁入り支度はして来たが、義一郎が機屋を始めるにあたって着物の大方を手離してしまった。もっとも農家に嫁いで着物を着る機会もなく、ちよは、母が仕事着以外のよそ行きの着物を着た姿を記憶していない。菊の柄の縮緬は、ちよのために残してあったわずかな数枚であった。

〜中略〜

 婿よびの日、箪笥にいっぱい母が支度してくれた着物の中から、銀鼠色の地に桜の模様の着物を選んだ。春江の桜は、満開になっていた。
 実家が近いのは何よりである。婿よびは、婿と婿の身内と仲人を招き、中村家の身内が手伝いに出て供応する。西山家からは里帰りの土産のまんじゅうが届けられ、近所への挨拶に配られた。宴は内輪の小宴である。
「ちよさんは、めっぽうきれいになったと思いならんか」
 渡辺夫人が目を細めて言った。

津村節子『絹扇』新潮文庫

今宵の一冊は、津村節子著『絹扇』。

舞台は、白羽二重の産地である福井県春江村。

県を挙げてその主要産業が農業から機業へと転換し、発展していった明治20年代、ちょうどその時勢を背景に、田地を売り背水の陣で父義一郎が起こした機業の重要な働き手として、明治21年に生まれたちよは齢7歳にして当然の如くあてにされ、学校に通うこともできず、糸繰りに子守りにと日々労働に明け暮れます。

バッタン機と呼ばれる当時最新の織機を用いて、ひたすら機を織るのは母のよし。母が仕事にかかるためには糸の下拵えが不可欠で、それが朝いちばんに取り掛かるちよの最も重要な仕事でした。一家のうちでいちばん早く、4時に起きてアカギレだらけの手を薄氷の張った水に浸けながら糸束を叩く7歳の少女……現代の私たちからすれば想像するだけで痛ましいけれど、でもそれがそう珍しいことでもない。特に女には学問など必要ない、そんなものより手に職!というのが、農村や家内工業で生計を立てている地域においてはごく一般的な認識だった時代の物語です。

冒頭で抜粋したのは、春江の娘たちの中で一番、と母が自慢に思うほどの優れた機織りの腕と美貌を備えた女性へと成長した18歳のちよを、大手機業の次男で東京の大学を出て地元へ戻った順二が見初め、懇意にしている住職夫婦(住職が御院ごえんさん、その奥さまが御守ごしんさん)を通じて申し入れてきた縁談に臨むシーン。

白粉など不要な、しっとりとした最上の羽二重のように肌理きめ細かな肌がいっそう映える紫の菊の柄の着物で臨んだ秋の日の見合いの後、その秋が深まる頃に交わされた結納でちよが纏うのは、やはり母がちよのためにと手元に残していた群青に秋草模様の着物。そして遅い春の訪れとともに、自ら織った白生地を纏いちよは花嫁となります。

 ちよの花嫁衣裳は、文金高島田に角かくし、緋縮緬の長襦袢にちよが自分で織った白羽二重の下重ね、よしが婚礼の時に着た肩にしだれ梅と松の紋様、裾と袂には梅と松に鶴が舞い飛ぶ黒地の振袖を着て、亀甲の金銀地の丸帯を締めた。
 ちよは支度が終ると仏壇にまいり、両親の前に両手をついて、
「おとっちゃん、おっかちゃん、長い間お世話になり有難うございました」
と挨拶した。
「ちよ、よう家のために尽くしてくれた。これからは、順二さんを助け、西順機業を盛り立てるんやぞ」

津村節子『絹扇』新潮文庫

まさしく「女、三界に家無し」そのものの父の台詞。

女、三界に家無し……女は、幼少のときは親に従い、嫁に行っては夫に従い、老いては子に従わなければならないものであるから、どこにも安住できるところがない。(『広辞苑』 第六版 岩波書店)

でも実際、これがこの時代のリアルだったのだろうなと思います。嫁に入ったのちに判明する夫の秘密もさまざまな困難も、そのままを素直に受け止めるというか、そういうものとして自然に受け入れるというか。それが当たり前で、もとより他に選択肢はない。ちよにとっては、ただそれだけのことなのかもしれませんが。

…とは言え、粛々とすべてを受け入れ(生真面目にも自分が至らぬゆえと自責の念すら覚えつつ)、現代の感覚からすればさすがに人が好過ぎるように思えるちよにも、やはりさまざまに葛藤はあり……それらを抱え、飲み込みながら、日々機に向かい西順機業を盛り立てていきます。

本作中では、この後に続く婚礼当日の流れや婚礼後のしきたりのいろいろ(例えば、冒頭の抜粋部分中の“婿よび”。持参した婚礼道具の数によって里帰りの日と日数が決まっているようで、里方の支度レベルが自ずと知れ渡るわけですね……)が詳細に描写されます。

この婚礼のシーンだけでなく、出産や子どもの祝いごと、葬儀など、その人生における節目節目の儀式が濃やかに描かれているのがこの物語の特徴でもあります。そういった儀式は地域によってかなり違いがありますので、なかなか触れる機会が少ない(この時代における、この地域特有の)風習の数々が新鮮でとてもおもしろい。

彼らの生活のすべての土台となり、その人生の重要な節目の衣裳として必ず登場するのが、ちよの織る白羽二重。

世界的な恐慌の煽りや関東大震災の甚大な影響の果てに、すべてを失った一家のこれからを支えるのも、やはりちよの機織りの腕でした。

また、明治から大正にかけての福井における絹織物業の目覚ましい発展と活況の中、錦紗縮緬やジョーゼットといった、アンティークなどでも良く目にする生地の製織が始まったのもこの時代。

ただただ愚直なほどまっすぐに、真摯に機業に向かい続けるちよの半生と、密接に絡み合った福井の絹織物の産業史としても興味深く、さまざまな視点から読み応えのある一冊です。

今宵の一冊より
〜桜の着物〜

澄んだ銀鼠色の地に、柳立涌と桜花が染められた訪問着。透明感のある地色に白が映え、シックながら品の良い華やぎが感じられます。

穏やかな艶のある紬地なので軽やかさもあり、帯合わせでさまざまなシーンに着こなすことができそうです。

霞の奥に覗くような袂と裾に配された枝垂れ桜がドラマチック。無地感覚の帯ですっきりとモダンにも、また、アンティークなどの濃厚な世界観のある帯合わせでも楽しめそう。

作中には“婿よび”のときの帯の描写はないので、お見合いの際に締めた帯をイメージして選んだのは、淡い珊瑚色の塩瀬地に大らかに扇面が刺繍された名古屋帯。

背には躑躅と菊、帯前には牡丹と紅葉。どちらにも程良く甘く柔らかな色遣いで、春秋の花々と雲が配されています。

ここで合わせた銀鼠を含む白や黒などのモノトーンをはじめ、濃紺や綺麗な水色、深みのあるグリーン系、朱や茶系などの同系色……と、意外と着物を選ばず袷の季節に長く活躍する一筋になってくれそうですが、やはり秋のお出かけには、作中のように濃紫の着物に合わせたい。

刺繍の立体感がより際立つ、とても印象的なコーディネートになりそうです。

よろけ縞が織り出された紋織りの白半衿を。

小物:スタイリスト私物

白絹の里で機に向かい続けたちよに敬意を表し、春の麗らかな日に立ち昇る陽炎のような、緩やかなよろけ縞が織り出された紋織りの白半衿を。

照りのある質感が顔映りを晴れやかに見せてくれ、小紋柄の白や小物の白と呼応して清冽な美しさを醸し出します。

嫁入り先で娘が恥をかかぬようにと、ちよの両親がかなりがんばって支度してくれた四季を通じての着物や帯。

でもそれができたということは、ちよが幼い頃から支えてきた甲斐あって、実家の機業も、ある程度軌道に乗っていたということなのでしょう。

ただ、母のよしが嫁入りに持ってはきたものの、労働に明け暮れ自分は手を通さないまま……という描写があるように、きっと、何もせずゆったりと座っていることのできる、よっぽどの裕福な家に嫁ぐのでない限り、それが繰り返されていたのが庶民の実情だったのでしょうね。

母が父の起業において大半を手離したように、ちよにも、これらの着物や帯が、ちよやちよの娘たちが着る以外の形で役に立つ日が来てしまいます。戦争の際に食料と交換したという話もよく聞きますが、こういう支度は、いざというときのためのせめてもの親心だったのでしょう。

季節のコーディネート
〜貝合わせ/雛祭り〜

3月3日は五節句のひとつである“上巳の節句”。

ちょうど時期である“桃の節句”、あるいは“雛祭り”の方が耳慣れていますよね。雛人形を飾り、女児の健やかな成長を願う日でもあります。

その雛祭りの祝膳に供される食材のひとつに、蛤があります。

祝膳とは、もともと、生命力の発露である“旬”の食材を神様に供物として捧げ、そのお下がりを頂くという意味で整えられるもの。蛤はその“旬”のものという意味でも、また、この貝が元々一対だったものとしか合わさらないということから唯一無二の相手との幸せな結婚生活を願う意味も込めて、雛祭りの膳拵えに欠かせないものとなりました。

このことから、貝合わせや貝桶といった実際の道具類も婚礼の際に持参する調度品として用いられるようになり、七段飾りなど人形以外の道具類が並べられる雛人形にも添えられています。着物や帯の意匠としても、婚礼衣裳だけでなく七五三の女児の衣裳などにもよく用いられていますね。

……と、言わずと知れた謂れを一応綴ってはみましたが、女児に願うのは幸せな結婚、5月5日の端午の節句で男児に願うのは武功や出世(武者人形とか武具とか鯉とか)……と決めつけては、現代の感覚ではいろいろと差し障りがありますよね(これらのしきたりの形が出来上がったのがそういう時代だったのだから、それはもう仕方ないと思うのですが)。

なので、とりあえず。

まずは本来の意味に立ち返ってみる。

例えばここで取り上げた蛤なら、“旬の食材で厄を祓い健康を願う”ということと、相手が同性であれ異性であれ、結婚という関係性にも限定せず、“人間関係”という広義(親友とか、掛け替えのない仕事のパートナーとか、いろいろぜーんぶひっくるめて)の意味で大切な関係となる誰かとの縁を願う、ということ。シンプルに、それで良いのではないでしょうか。

しきたりや風習って、だいたいにおいて、辿ってみたらいろんなルーツが絡まり合ったりいくつかの違うしきたりが混じり合ったりして、時代を経て今の形になっていることがほとんど(それが確立した時代の政治的背景や、子どもへの躾的な意味合いが付加されていることも多い)。

だから、とりあえず余計な概念を削ぎ落として核になるおおもとのところだけ抽出してみると、生きていく上で大切な、シンプルな願いが見えてくるような気がします。

健やかであれ、幸せであれ。ただそれだけは、いつの世でも変わることのない親の願いだろうと思うから。

雪解けの後の春野を思わせる白茶色の紬地に利休色の絞りの雲取り、素朴なニュアンスの柳……と、素朴な絵本のような長閑な魅力を湛えた訪問着。

合わせたのは、しなやかな締め心地が特徴の紹巴織しょうはおりの袋帯。落ち着いた色遣いで、貝合わせの意匠が織り出されています。

紬地にも合う適度な重さのある帯を合わせて、そのほわんとした緩さが魅力の着物をぐっと引き締めたら、観劇やお雛祭りの会食などにぴったりの装いに。

桜と結び文の刺繍半衿を添えて。

小物:スタイリスト私物

庭園に設えた小川の流れに杯を流し、自分の前を通り過ぎないうちに歌を読む……という、かつて宮中において3月3日に行われていたという「曲水の宴」にちなみ、桜と結び文の刺繍半衿を。

胸元には、可愛らしい菜の花が描かれた扇子を添えて。

煙水晶の帯留。

小物:スタイリスト私物

この煙水晶の帯留は、ルースの状態で入手したもの。その形がまさに蛤そのもので何とも魅力的だったので、いつか帯留に加工しようと思っていました。

※ルース……加工されていない石そのもの。裸石

銀線細工作家の松原智仁さんにお願いし、背面に流水を配した帯留の金具を作っていただきました。空間の空き具合も綿密にご相談し、出来上がったのがこちら。アンティークでは背面の加工にこだわったものがよくありますが、現代ものではやはり少なくなっているので、こういったものが増えるといいなと思います。

表から見たときの水底に沈んだような流水も、裏から見た際の繊細な細工も、どちらもそれぞれが異なる魅力に溢れており、単純に、もの・・として美しい。それが嬉しいなと思います。

今宵のもう一冊
『白百合の崖ー山川登美子・歌と恋ー』

今宵のもう一冊は、同著者の『白百合のきし−山川登美子・歌と恋−』。

本作の主人公は、明治の文壇において、自我の確立と解放を情熱的に歌い上げる浪漫主義の中心となった文芸誌『明星』の同人として、与謝野晶子と共に名花二輪と評されながら29歳という若さで早逝した実在の歌人、山川登美子。

明治12年に福井県小浜市に生まれた登美子。

『絹扇』のちよが明治21年生まれなので、少し年上ではありますが、ほぼ同時代の物語です。

津村節子『白百合の崖』新潮文庫

 仮祝言の日、登美子は高島田に結い、白の元結に銀の丈長、鼈甲の簪と銀の平打を挿し、衣裳は本格的な式服ではなかったが、白羽二重の長襦袢に白羽二重の下着を重ね、紋付の友禅裾模様に、錦の丸帯を締めた。
 ゑいは、今更ながら娘の美しさに興奮を抑えかね、前に立ち、後ろに廻って、何度も嘆声をあげていた。

〜中略〜

 衣裳を着換え、登美子は新床ののべられている離れ座敷に坐っていた。
 三分芯の小さなランプの灯が、中庭を囲む廻り廊下を渡ってくる。
 登美子は、白羽二重の寝衣ねまきの衿を、思わずかき合わせ、居住いを正した。

津村節子『白百合のきし−山川登美子・歌と恋−』新潮文庫

この仮祝言の後、東京で挙げた正式な祝言では「新郎駐七郎は、タキシードを着てシルクハットを手にし、登美子は裾綿のはいった黒の留袖に唐織の丸帯の花嫁衣裳で」記念撮影をしたという描写。

登美子自身も裕福な家の生まれであり、親の決めた結婚相手の駐七郎も、当然ながら家柄、学歴申し分ない相手。外務省に勤務しメルボルンに駐在経験のあった駐七郎は、西洋の生活様式や洋装にも馴染んでいたことが窺えます。

今宵のもう一冊より
〜木蓮の振袖〜

『絹扇』と『白百合のきし』、どちらにもお見合いや婚礼衣裳の描写がありますが、もともとの身分や経済状況が違いますので、やはりそこにはかなり違いがあります。

ほぼ同時代、同じ福井を舞台とする物語であるが故に、より顕著にその違いが浮かび上がってきます。そんなところに注目して読み比べてみるのも一興かと。

本作もやはり婚礼以外の儀式や節目の装いについての描写が多く、終盤には白羽二重の喪服で送る葬儀のシーンなども(何よりも29歳という若さで早逝した、登美子自身の葬儀の描写もかなり衝撃的でした……)。

登美子の場合、仮祝言の前の見合いのシーンは描かれていないけれど、もしも今頃の季節にお見合いをしていたとしたらこんな感じだったかも……と。

鮮やかなフクシアピンク(和名で言うなら、躑躅色が近いでしょうか)のぼかしが印象的な、甘いクリームがかった白地に、手描きの木蓮が描かれた振袖。流水に浮かび上がる有職文様を散りばめた軸が優雅に織り出された袋帯には、歌人として短い生を清冽に生きた登美子のイメージを重ねて。

このフクシアピンク(躑躅色)とターコイズブルー(新橋色)は、明治後期から大正にかけて大流行した、当時を象徴する2大キーカラーと言える色。

着物も帯も、そのモチーフ自体はクラシカルなのに、この鮮やかな配色によりとてもモダンな印象に。一見清楚でおとなしやか、しかしうちに秘めた靭さを感じさせる…こんな装いを、登美子であればしていたかもしれません。

少しだけ洋のニュアンスを添えて。

小物:スタイリスト私物

木蓮の花芯に小さくぽつりと使われた美しい青碧の色を拾い、小物で帯周りに重ねて散りばめて。

衿箪笥にいっぱいの刺繍半衿を所持していた登美子であれば白衿ではないでしょうから、甘やかな薄桃色に宝尽くしの刺繍半衿を合わせてたっぷりと見せる着方に。

瑪瑙の帯留はブローチとしても。少しだけ洋のニュアンスを添えて。

季節のコーディネート
〜春景色〜

例えば、先程ご紹介した木蓮の振袖が見合いに臨むお嬢さまだったなら。

同席するお母さま?あるいは仲人夫人?は、こんな装いだったかもしれません(もしも現代で、お見合いにこんなふたりが現れたなら、相手は恐れをなして逃げてしまうかもしれませんけど……)。

薄雲鼠の地色に、たんぽぽと菜の花が描かれた、まさに“今が旬”と言った風情の手描きの訪問着。

胸周りにほわほわと浮かぶ蒲公英の綿毛が、小紋のような軽やかさを感じさせる趣味性の強い柄付けなので、より個性の強い帯や逆にあっさりとした軽めの帯を合わせたら観劇などにも活躍しそうです。

たんぽぽと菜の花が描かれた、“旬”の訪問着

小物:スタイリスト私物

落ち着いた品の良い滅紫地に、金で鴛鴦と松竹梅が織り出された袋帯。

番の相手を決して変えないとされる鴛鴦の柄も、婚礼の席にはよく用いられる定番中の定番モチーフ(……が、すべての説を根底から覆す、実際の鴛鴦は毎年番の相手を変えているという研究結果もあるとかないとか 笑)。

小物は白で揃え、格調高く改まった雰囲気に。

華やぎが欲しいパーティーでの装いならば、小物に色を添えても良いですね。

生命力の象徴でもある瑞々しい旬の植物文様に、夫婦和合の象徴とされる鴛鴦の組み合わせならば、今頃の季節に執り行われる結婚式への参列にもぴったりです。

迸る激情を高らかに歌い上げ、欲しいものは欲しいと言いその手に力強く勝ち取っていく晶子とは対照的に、意に染まぬながらも親の決めた縁談に素直に従って表舞台から去り、青い炎をうちに秘めてそれを静かに燃やし続け、数は少ないながらも遺した歌に見事に昇華させた登美子。

しかしながら、世に発表される官能的で堂々とした(要するにあからさまな)晶子の歌と、それにより状況を知り嫉妬に身を焦がす登美子。その様子は、まるで現代のSNSにおける、いわゆる“匂わせ”アピール(笑)のようで。平安時代の和歌の応酬も似たようなもので、いつの時代もやってることは大して変わらないなと、ちょっと笑えてしまいました。

儀式…とはちょっと違うのだけれど、『白百合のきし』で私がいちばん印象に残ったのは、登美子と友人の雅子が袴の染め返しについての会話をするシーン。

短いやりとりですが、庶民の娘と裕福な家庭の娘、悪気がなく無邪気だからこそ、よりその事実が残酷なほどに際立つ会話が秀逸。そこに関しては、ぜひ抜粋ではなく本作を読んでいただけたらと存じます。

幼い頃、手に職さえあれば学問などなくても強く生きていける、という両親や祖母の考えに少しの反発を覚え、学校に行ける子らを内心羨ましく思いながらも、結局は家のために、嫁しては夫のために、子のためにひたすら労働に従事し続けたちよ。

でも結局、必死に盛り立ててきた工場も人手に渡り、すべてが無となったそのときも、ちよの“手に職”が支えとなり、これからの生活の基盤となるであろうことはまごうことなき事実なんですよね。そしてたとえ明確に自覚していなかったとしても、ちよがそのことに誇りを持ち、生きる上での揺るぎない礎となっていたことも。

ただ、願わくは…それがちよの選択の上での“手に職”であって欲しかったし、そうでなければならないと思う。けれど、ちよが生きた時代の女性には、その前提は許されてはいなかった。“手に職”があることが強いのは、いつの世においても変わらない事実だと思うので、選択肢があり、その上でそれを選べる現代に生きている私たちは幸せだなと…改めて。

さて、次回。第三十五夜は…

4月1日は、衣替え。綿を抜く日です。

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