着物・和・京都に関する情報ならきものと

『ヽや(ちょぼや)』 3代目・櫻井功一さん(前編) 【YouTube連動・インタビュー編】「紗月がみつけた!和の新風」vol.11

『ヽや(ちょぼや)』 3代目・櫻井功一さん(前編) 【YouTube連動・インタビュー編】「紗月がみつけた!和の新風」vol.11

記事を共有する

祇園の花見小路に店を構える履物屋さん『ヽや(ちょぼや)』は、京都の芸舞妓さんにとってなくてはならない存在。紗月さんも舞妓さん時代に履いていた「おこぼ」を作る職人の櫻井功一さんにお話を伺いました。その模様を今回もオフショットとともにお届けします。

よみもの

令和の芸舞妓図鑑

京都の芸舞妓さんにとってなくてはならないお店へ

『ヽや(ちょぼや)』の店先にて、MCの紗月さん

『ヽや(ちょぼや)』の店先にて、MCの紗月さん

世界中の人々から愛される和の文化が集結する京都。そこには伝統を守りつつ、新しい風を吹かすべく挑戦し続けている方々がいます。

「紗月がみつけた!和の新風」は伝統文化の新たな担い手たちにその活動内容や決意をうかがうYouTube連動企画

祇園甲部の元人気芸妓・紗月さんがMCを務めます。

紗月さんが中学卒業後から、芸妓を引退するまで11年間過ごした京都・祇園

前回は、祇園街で愛されるきな粉アイス専門店『京きなな』を訪問し、現役時代に成長を見守ってもらった大将の大本勝司さんとの再会を果たしました

2023.12.26

まなぶ

『京きなな』大将・大本勝司さん(前編)【YouTube連動・インタビュー編】「紗月がみつけた!和の新風」vol.9

今回も大変お世話になった方のもとへ。

祇園甲部の芸舞妓さんの“足元”を支えてくれている履物屋『ヽや(ちょぼや)』を訪問します!

まずは恒例!紗月さんの装い紹介から。

すっきりとした白色地に、スタイリッシュな格子柄の紬。朱赤の帯の彩りが映えています。

手絞り、カチン染めにてあらわされた辻が花が民藝的に、趣味高く。帯締めと帯揚げに甕覗(かめのぞき)色を入れて、すっと澄んだ気配に装われています。

お足元はもちろん、『ちょぼや』さんのもの。

スタイリッシュな形に、ちらりとのぞくシルバーが洗練されたムードです!

『ちょぼや』さんのもの

店名の「ヽ(ちょぼ)」に込められた思い

気さくなお人柄が人気の櫻井功一さん

今回、取材を受けてくださったのは代表の櫻井功一さん。『ちょぼや』の3代目として店先にも立つ櫻井さんは、気さくなお人柄でお店のお客さんたちから大人気です。

祇園甲部の芸舞妓さんたちからは「お父さん」と慕われ、紗月さんも現役時代にはたくさんお世話になった方。引退してからも何度か顔を合わせることがあったそうで、終始笑顔の絶えない和やかな雰囲気で撮影が行われました。

もともとは置屋だった建物

『ちょぼや』は、1954年(昭和29年)に櫻井さんのお祖父様が出生地の東京・赤坂から丁稚奉公でこの祇園にやってきて、下駄屋さんで修行の後に立ち上げたお店。今年で創業70周年を迎えます。

もともとは築120年の置屋さんだったという建物は、とても趣のある佇まい。

※置屋……あとでいれます

ガラスのショーケースに囲まれたカウンター

紗月さんも仕込みさん時代にお使いでこのお店にやってきて、「なんて素敵なお店なんやろ」と感じたのだとか。

当時は櫻井さんのお父様(2代目)で、いつも優しい笑顔でお客さんたちを迎えてくれていました。

代替わりしたのは、今から10年前。

櫻井さんが47歳の時に、お父様が倒れたのがきっかけでした。

お店に入ると舞妓さん人形がお客さんを迎えてくれる

幼少期よりお父様から花緒の挿げ方を学びながらも、別の道を選択した櫻井さん。

当時は会社員でしたが、櫻井さん以外に跡継ぎはいません。「この花街のためにも、私がお店を続けていかなければ」と退職を決意し、2013年に跡を継ぎました。

「初心忘れるべからず」という意味が込められて店名

字を書くために筆を置く時は、必ず「テン=ちょぼ」から始まる――

そこから櫻井さんのお祖父様が「初心忘れるべからず」という意味を込め、このお店の名前をつけました

テンには色々な漢字がありますが、「天」にするとそこから見下ろすイメージになってしまう……「商売人がお客さんを見下ろすことがあってはならない」ということで「天」をもじって「ヽ(ちょぼ)」というネーミングになったそうです。

初めて聞く店名の由来に紗月さんも思わず感心

そんな思いのこもった名前に、紗月さんから「現役時代に知りたかった!」という声が上がる一幕も。

おこぼのソールは10cm超え!慣れると走れる軽さの秘密

『ちょぼや』のおこぼ

『ちょぼや』のおこぼ

舞妓さんが履いて歩くと、“こぼっ、こぼっ”と愛らしい音がする高下駄。

地域によっては「ぽっくり」「こっぽり」と呼ばれることもありますが、京都の花街では「おこぼ」という名称で知られています

そんなおこぼを取り揃えた『ちょぼや』は京都の芸舞妓さんにとってはなくてはならない存在。紗月さんも舞妓時代に履いていたおこぼを、あらためてじっくりと見せていただきました。

以前よりもソールが高くなっていることに気づいた紗月さん

以前よりもソールが高くなっていることに気づいた紗月さん

懐かしさを感じると同時に、「こんなに高かったですっけ?」と驚く紗月さん

ご名答!

実は紗月さんが履いていた頃よりも、ソールが2cmほど高くなっているそう。

ソールが2cm高くなった経緯を語る櫻井さん

というのも、当時ソールを作っていた職人さんがお亡くなりに。2〜3年ほど前に新たな職人さんにお願いすることになったのですが、たまたま寸法間違いでこの高さのソールが上がってきたそう。

そこで、櫻井さんが「これをうちのモデルにしませんか」と提案。以降、四寸=12cmのおこぼが『ちょぼや』の定番スタイルとなりました。

裏には「ヽや」の焼印が入っている

裏には「ヽや」の焼印が入っている

「この、下にいくにつれてふっくらとするフォルムが大好きでした!」と紗月さん。

ソールの空洞になっている部分には「ヽや」の焼印が。また一年目の舞妓さんはここに鈴を入れ、「しゃらん、しゃらん」と綺麗な音を鳴らしながら街を歩きます。

「こんなにソールが高くて歩けるの?」と疑問に思う方もいらっしゃるかもしれません。

紗月さんもお店出しの時は何度も段差で転びかけ、一緒に歩いてくれる男衆さんに支えてもらったそうです。そうやって慣れていき、最終的には走れるくらい履きこなせるようになるのだとか(走ってはいけないのですが……と紗月さん)。

その秘密は、おこぼ自体が軽いから

おこぼのフォルムが好きだったという紗月さん

ソール部分に使用された最高級の桐は軽くて加工しやすいので、昔から履物に重宝されていたそう。

また、柔らかい桐のソールは「歩き方の癖」によって徐々に形を変えていきます。そのため、

「おこぼには左右がないので、本当は毎日入れ替えて履いた方がまんべんなくすり減っていくし、本当は草履もそうしてもらったほうが」

と櫻井さん。

紗月さんも置屋のお母さんからよく「反対に履きよし!」と言われていたそう。長持ちさせるためのコツがあるんですね。

最低4人の職人さんが制作に携わっているおこぼ

このフォルム!印象的です

足を乗せる部分は“畳”と呼ばれますが、実際の材質は竹。細かく割いた竹を編んだものを、最終的に釘でソール部分に打ち込んでいきます。

下駄の本体となるソールを作る人、畳を編む人、鼻緒を作る人、挿げる人……一足のおこぼを完成させるために最低でも4人の職人さんが携わっています

最後に鼻緒を挿げるのは櫻井さんの役目。次回はその作業を見学させていただきます!

お楽しみに。

おこぼを履いた紗月さんの写真を櫻井さんにプレゼント

おふたりのこの笑顔!楽しそうです

また今回、紗月さんが八朔でおこぼ履いている時の写真を櫻井さんへプレゼント。動画では実際の写真も公開しているので、ぜひご覧ください!

紗月さんファン必見!オフショット

紗月さん撮影入り!今日も素敵な笑顔です

紗月さん撮影入り!今日も素敵な笑顔です

オープニング撮影の前に表情筋をほぐしています

オープニング撮影の前に表情筋をほぐしています

現役時代に紗月さんが通っていた『ちょぼや』さん

現役時代に紗月さんが通っていた『ちょぼや』さん

お世話になった櫻井さんと早速対面

お世話になった櫻井さんと早速対面!

何をお話しされているんでしょう、櫻井さんのポーズが気になります(笑)!

何をお話しされているんでしょう、櫻井さんのポーズが気になります(笑)!

お店の中に入り、取材がスタート

取材スタート!!

久しぶりに見たおこぼを懐かしむ紗月さん

久しぶりに見たおこぼを懐かしむ紗月さん

「そうそう、この顔やった」と舞妓さん時代の紗月さんに櫻井さんもしみじみ

「そうそう、この顔やった」と舞妓さん時代の紗月さんに櫻井さんもしみじみ

思い出のおこぼを囲み、記念撮影もしました

思い出のおこぼを手に、記念撮影も

次回もぜひご覧ください!

次回もぜひご覧ください!

文章/苫とり子
撮影/弥武江利子

シェア

BACK NUMBERバックナンバー

LATEST最新記事

すべての記事

RANKINGランキング

  • デイリー
  • ウィークリー
  • マンスリー

HOT KEYWORDS注目のキーワード

CATEGORYカテゴリー

記事を共有する