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掌(たなごころ)を充たすものー装幀という芸術ー 〜小説の中の着物〜 邦枝完二著『おせん』「徒然雨夜話ーつれづれ、あめのよばなしー」第二十九夜

掌(たなごころ)を充たすものー装幀という芸術ー 〜小説の中の着物〜 邦枝完二著『おせん』「徒然雨夜話ーつれづれ、あめのよばなしー」第二十九夜

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小説を読んでいて、自然と脳裏にその映像が浮かぶような描写に触れると、登場人物がよりリアルな肉付きを持って存在し、生き生きと動き出す。今宵の一冊は、邦枝完二著『おせん』。手軽に大量に持ち運べて、どこででも読める電子書籍は便利だけれど、やはり捨て難いのは手触りやその重みすらも含めたまるごとの世界観。本書によって完成されたと言われる“雪岱調”と小気味良い江戸の空気、そんな贅沢な時間をどうぞ。

2023.07.29

まなぶ

雪が模様になった日 〜小説の中の着物〜 葉室麟著『オランダ宿の娘』「徒然雨夜話ーつれづれ、あめのよばなしー」第二十七夜

今宵の一冊
『おせん』

邦枝完二著『おせん』幻戯書房

邦枝完二著『おせん』幻戯書房

 東叡山寛永寺の山裾に、周囲一里の池を見ることは、開府以来江戸っ子がもつ誇りの一つであったが、わけてもかり丶丶の訪れを待つまでの、蓮の花さき競う初秋の風情は、江戸歌舞伎の荒事と共に、八百八町の老若男女が、得意中の得意だった。
 近頃はやりの物のひとつとなった黄縞格子の薄物に、鳳凰桐の模様のある青磁色の帯を締めて、首から胸へ、紅絹の守袋のひもをのぞかせたおせんは、洗い髪に結いあげた島田まげも清々しく正しく坐った膝の上に、きちんと両の手を置いたまま、かごの垂から池の上に視線を移していた。

邦枝完二著『おせん』幻戯書房

今宵の一冊は、邦枝完二著『おせん』。

浮世絵師 鈴木春信の美人画のモデルとなり、明和の三大美人と称された傘森おせん(鍵屋お仙とも)と、その幼馴染で当時人気絶頂の歌舞伎役者、2代目 瀬川菊之丞との悲恋を描いた物語です。

2022.09.30

まなぶ

黒一色からフルカラーへ 「浮世絵きほんのき!」vol.2

2023.03.10

まなぶ

浮世絵の題材はこんなにも幅広い! 「浮世絵きほんのき!」vol.4

大名の姫君から吉原の遊女千人を見渡しても二人とない、傘森稲荷境内に立ち並ぶ水茶屋の娘たちが三十人束になっても、縹緻きりょうどころか眉ひとつ及ばない、とまで描写される「鍵屋」の看板娘おせん。

そのおせんが恋慕う瀬川菊之丞は、その俳号である“路考(ろこう)”を冠した路考茶、路考結び、路考髷と、することなすこと大流行りとなる当代一の人気女形。

2022.04.16

よみもの

"四十八茶百鼠"をまとう 「歌舞伎へGO!大久保信子先生に聞く着物スタイル」vol.17

昭和8年秋から冬にかけて『東京朝日新聞』『大阪朝日新聞』の夕刊に連載されたこの小説。連載が開始されたのが、ちょうどこのコラムが公開となる9月30日のことでした。

新聞での連載小説だけあって、短い章による構成と添えられた小村雪岱(こむらせったい)の挿絵が魅力的で、テンポよくあっという間に読み終えられます。文体も、章ごとのタイトルにも風情があり、この連載は当時さぞ楽しみに待たれたことでしょう。

その期待感をリアルに感じつつ新聞連載で読んでみたかったな……ともちょっと思いますが、この本の魅力は何よりもその装幀にもあります。最初に挙げた画像のカバーの雪岱の絵はもちろんのこと、カバー下の表紙もとても素敵。

邦枝完二著『おせん』

手軽に大量に持ち運べて、どこででも読める電子書籍の恩恵にも預かってはいますが、やはり捨て難いのは、この装幀まで(手触りやその重みすらも)含めたまるごとのその世界観。

そんな、贅沢な時間が味わえる一冊です。

今宵の一冊より
〜黒八丈〜

冒頭の抜粋部分に添えられた挿絵。格子の着物を着て、駕籠に揺られるおせんの姿が描かれています。

冒頭の抜粋部分の挿絵

江戸の町娘と言えば時代劇でも定番、格子の黄八丈に黒繻子の衿。そして茶屋の看板娘といった役柄が多いため、前掛けまでセットのイメージでしょうか。

江戸時代の流行が、主に歌舞伎や浮世絵、遊女が発端であったように、黄八丈の流行もやはり舞台衣裳がきっかけと言われます。人形浄瑠璃の『恋娘昔八丈』で使用され大人気に。後に歌舞伎演目にもなり、現代でも上演されている人気の演目『梅雨小袖昔八丈』でも、小町娘お熊の衣裳は格子の黄八丈。

2021.09.16

よみもの

恋する女性は黄八丈がお好き? 「歌舞伎へGO!大久保信子先生に聞く着物スタイル」 vol.10

もともとの発祥が幕府への献上品として織られていたこともあり、高級品である黄八丈。その本物を手に取るのはなかなか難しかった昭和世代の庶民には、ウールの印象が強いかもしれません(実際、私も幼い頃にお対を着せてもらっていた記憶があります)。

憧れが高じて世に氾濫したこのウールや、江戸の町娘=黄八丈という姿があまりに象徴的すぎて、テーマパークなどで使用されるコスプレ衣裳の印象が強くなってしまい、現代のおしゃれ着としては少々ハードルが高くなってしまった感も否めない……そんなちょっと切ない立ち位置に置かれている黄八丈ですが、もちろんそればかりではありません。

町娘のイメージが定着しすぎて着こなしが難しく思える黄八丈ですが、こういった黒八や鳶八と呼ばれる黒地や茶の地色のものであればシックに着こなせます。

また、稀にグレー系の地色などもあり、格子や縞だけではなく無地感覚のものも織られているので、黄八丈に憧れはあるけれど黄色はちょっと……という方は、こういったものの方が着こなしやすいのではないでしょうか。

繊細なタッチで描かれた、美しい差し色が印象的な染め帯をゆったりとした角出し風に。

帯揚げや帯締めに、どの差し色を選ぶかで印象が変わります。

“まるまなこ”と呼ばれる細かな地紋による独特の艶と、草木染めによる柔らかな黒。秋らしい色合いの格子が織り出された着物に、更紗と鳳凰が描かれた染め帯を合わせて、シックな中にもモダンな華やぎのあるコーディネートに。

2020.05.20

よみもの

明るい日差しに映える、黄八丈の”まるまなこ” 「つむぎみち」 vol.2

格子柄がちょっと可愛すぎるかな……と思ったら、羽織で柄の分量を減らすと落ち着いた印象に。

格子に限らず、若い頃に作った着物やいただきものなどで柄が強すぎると感じる場合にも羽織は有効なので、何にでも合う地色で秋〜春の季節を問わず使える一枚があると重宝します。

衿元

衿元には、黒地に万寿菊(菊にしては葉がかなりあっさりしてますが……たぶん。笑)の刺繍半衿で季節感を添えて。

濃い地色の衿を着け慣れない方は、こんな風に着物と衿の同系の地色で繋ぎつつ白場の多い刺繍を選ぶと、意外と白半衿に近い感覚で合わせられるのでチャレンジしやすいと思います。

鳳凰は桐の木に棲むと言われることから、桐と鳳凰はセットで描かれることが多く、花札でもお馴染みの組み合わせ。

葡萄色の地に、桐と葵が散らされた小紋柄の羽織を重ねて。

今宵の一冊より
〜お七の衣裳〜

 部屋の中はますます暗かった。
 その暗い部屋の片隅へ、今しもおせんが、あたりに気を配りながら、胸一杯に抱えだしたのは、つい三日前の夜、由斎の許から駕籠に乗せて届けてよこした、八百屋お七の舞台姿そのままの、瀬川菊之丞の生き人形にほかならなかった。おせんは抱えた人形を、東に向けて座敷のまん中へ立てると、薄月の光を、まともに受けさせようがためであろう。音せぬ程に、窓の障子を徐々に開け始めた。
 庭に蟲の声もなく、遠くの空を渡る雁のおとずれが、うつろのように耳に響いた。

邦枝完二著『おせん』幻戯書房

実際に起こった事件を題材に、その数年後には井原西鶴により浮世草子として出版、その後浮世絵に、そして人形浄瑠璃や歌舞伎にと、さまざまに描かれてきた『八百屋お七』の物語。

その“お七”と聞いてすぐ思い浮かぶのが、真紅と浅葱色の大胆な斜め取りに匹田で表された鮮やかな麻の葉文様です。現代でも、お七が登場する演目には、必ずと言って良いほどに登場します。

ただ、この麻の葉文様がお七の象徴となったのは、江戸後期の5代目岩井半四郎によって演じられた『其往昔恋江戸染(そのむかしこいのえどぞめ)』において衣裳として用いられて以来。したがって、本作中で菊之丞の生き人形に纏わせていた舞台衣裳は、麻の葉文様ではないのです。

作中で“お七の衣裳”という言葉は何度か登場しつつも、柄などの細かい描写がないのは、そういう前提を踏まえてのことなのでしょう。この小説が連載された昭和初期ならば、今以上に読む側にもお七=麻の葉という共通認識が強く定着していたであろう中、この挿絵が、いっそうのリアリティを持たせていたのだろうなと。

雪岱の挿絵。

このシーンの、雪岱の挿絵。

無地の紋付きの振袖に、大きな雪輪が染められた帯を締めています。

現代においては、お七と言えばの定番である麻の葉文様が刺し子で表された紬の訪問着。

秋の夜の風情漂う、黒地に山帰来が描かれた帯を合わせて。

胸元の帯揚げと帯締めの両端に、お七の衣裳を彷彿とさせ、また山帰来の赤い実にも通じる真紅を添えて。

この帯締めは、実際に結ぶと正面から見えるのは紫鼠の一色のみ。脇や後ろ姿に紅がちらりと覗き、着姿のアクセントに。

胸元の帯揚げと帯締めの両端に、お七の衣裳を彷彿とさせる

小物:スタイリスト私物

恋する2人を結ぶ縁をイメージした、紐の刺繍の半襟を衿元に添えて。

挿絵の帯の雰囲気でもあり、岩井半四郎以降のお七の衣裳、匹田鹿子を思わせる大きな雪輪が描かれた紺鼠の羽織を合わせて。

降りしきる雪の夜に櫓を登る、お七の姿にも通じるモチーフ。

『伊達娘恋緋鹿子(だてむすめこいのひがのこ)』など、お七が描かれた演目が上演される際には、ぜひこんなコーディネートで。

今宵のもう一冊
『日本橋檜物町』

小村雪岱著『日本橋檜物町』平凡社

小村雪岱著『日本橋檜物町』平凡社

 今筆を把つてゐる時はちやうど初冬の晴れた日で、小さな庭に下り立つた私は、散り布く山紅葉のうらおもて、飛石も踏みかねるほど透間もなく、小紋の型のやうなのを、こゝにまた雪岱描く風情ありと、しばし見惚れて立ちつくした。
 かういふ風趣はよく装釘にうかゞはれた、常の絵ごころには、あるところに濃く、あるところにうすく置くべきを、小村さんはまつたく小紋のやうに埋める。縞ならば万筋、小紋ならば柳小紋、行儀あられがその好みに適ひさうな。
 現在やこれからのことではない、過去になつたいつの世にか、きものゝ物ずきする人があって柳眉細腰、小村雪岱に思ふがまゝの染衣裳をこしらへさせるといふやうなことがあつたら……夢は限りなく美しい。

小村雪岱著『日本橋檜物町』平凡社

今宵のもう一冊は、先にご紹介した『おせん』を彩る挿絵を描いた小村雪岱による随筆集『日本橋檜物町』です。

大正から昭和にかけて活躍した日本画家、小村雪岱。

その著作における装幀のこだわりと美麗さで群を抜いたと言われる泉鏡花。その鏡花の抜擢により雪岱が手がけた『日本橋』の装幀は、彼の装幀デビュー作ながら日本装幀史上における屈指の名作と言われます。それ以降、数々の装幀や挿絵、歌舞伎や新派などの演劇における舞台装置や美術考証、また、資生堂意匠部において商品や広告のデザインを手掛けるなど、単なる日本画家という枠には収まりきらず、現代のグラフィックデザインの先駆けとも言える才能を発揮した雪岱。

画のみならず文筆においてもやはり非凡な才を持っていた雪岱の、その目に映る自然や街の景色、建物やその造作、女性の風貌やその装いが、的確で無駄のない、けれど含みと広がりのある文で綴られ、まるで絵を見るように脳裏に浮かびます。

『雪岱調』と呼ばれる作風を確立した彼の絵から受ける、その独特の世界観と寸分違わぬ印象の随筆。そして、後半に収められた巨匠と呼ばれるクラスの作家や日本画家、歌舞伎や新派の名優など錚々たる顔触れの同時代人たちからの評を読むと、高く評価されるその多彩な才能はもちろんのこと、愛されたであろう魅力的な人となりも浮かび上がってきます。

ちなみに、ここで抜粋したのは実は雪岱の文ではなく、昭和17年に刊行された『画集・小村雪岱』に寄せられた鏑木清方(かぶらききよかた)による序文の一節なのですが、雪岱を語る清方の評がなんとも趣深く、私自身、清方が“美しい夢”と表現したその世界を見てみたいと思ったので、あえてこの部分をピックアップ。

2022.04.11

よみもの

『没後50年 鏑木清方展』東京国立近代美術館「きものでミュージアム」vol.9

画を生業とする人なればこその繊細で濃やかなその描写は、雪岱にも清方にも共通するもの。文字を辿る目も、ひと繋がりの言葉として響く耳にも、その情景が浮かぶ脳裏もなんだか心地良い。そんな随筆集です。

2代目 瀬川菊之丞が好んで用い、“路考茶”と呼ばれた緑みを含んだ渋い茶色地に、まさに“散り布く山紅葉うらおもて”といった情景を思わせる艶やかな小紋。

ぽってりとした縮緬の風合いが、いっそう深まる秋の風情を漂わせます。

そして、これもまた歌舞伎役者由来の柄として代表的と言える市松文様の帯を合わせて。

「石畳文様」と呼ばれ平安時代にはすでに定着していた柄ですが、初代 佐野川市松が舞台で着用した白と紺の石畳文様の衣裳が演目ともに人気を博し、これを機にその名を冠して“市松文様”と呼ばれるようになりました(ちなみに、このときの演目『心中万年草』を演じた年に生まれたのが2代目 菊之丞)。

アンティークの瑪瑙の帯留をアクセントに

小物:スタイリスト私物

本来の白と紺の配色に留まらず、さまざまなアレンジで現代でも愛されているその意匠は、シンプルであるがゆえに配色やその大きさ、配置するバランスによって、着物の柄を活かす無地感覚の帯としての使い方もできれば単独で主役級の強さを打ち出すこともでき、またクラシックにもモダンにもなり得、時代や和洋の境界も超えてその存在感を発揮します。

色づいた紅葉を思わせる、アンティークの瑪瑙の帯留をアクセントに。

春信が描いた、“もみじを散らした一本の女帯”が登場する『おせん』の「帯」の章。

その背後に開いたのは、新派の名女形 花柳章太郎の『舞台の衣裳』の1ページです。

『おせん』の「帯」の章

『おせん』「帯」の章(前)、花柳章太郎『舞台の衣裳』(後)

巻末の註釈には、“紫の濃いお召しに、白の横長市松に、深水氏自身で描いた紅葉”。そして“長襦袢は、ゑり萬製の紅地に絞り水浅葱の流し水形のもの”とあります。

この紅葉の着物を描いた伊東深水だけでなく、奥村土牛、木村荘八といった錚々たる画家の肉筆による帯など(本稿でご紹介した『日本橋檜物町』にも、小村雪岱に直筆で帯を描いてもらったと言うエピソードが)も掲載されており、そのこだわりは並々ならぬものであったと言われる花柳章太郎の舞台衣裳への思い入れが窺えます。

やはり好きな世界はどこかでリンクしているもので、こんな風に小説や作品集などがふとした拍子につながるのも、読書の楽しみのひとつ。

今回取り上げた市松も麻の葉も、着物業界にいる人間からすれば見飽きたと言っても良いほどに馴染み深いものですが、数年前のアニメの大ブームにより巻き起こった現象は、ある意味とても興味深いものでした。

現代の若い世代にとっては、“市松”柄ではなく“鬼滅”柄なのでしょうね。
数100年前に、佐野川市松の舞台によって“石畳”文様が“市松”文様となったように。

2021.03.17

着物の柄

今さら聞けない!アニメ『鬼滅の刃』に登場する柄・模様と、込められた意味

さて次回、第三十夜は…

澄んだ秋の空気には、織の着物がよく似合う。

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