着物・和・京都に関する情報ならきものと

雪が模様になった日 〜小説の中の着物〜 葉室麟著『オランダ宿の娘』「徒然雨夜話ーつれづれ、あめのよばなしー」第二十七夜

雪が模様になった日 〜小説の中の着物〜 葉室麟著『オランダ宿の娘』「徒然雨夜話ーつれづれ、あめのよばなしー」第二十七夜

記事を共有する

小説を読んでいて、自然と脳裏にその映像が浮かぶような描写に触れると、登場人物がよりリアルな肉付きを持って存在し、生き生きと動き出す。今宵の一冊は、葉室麟著『オランダ宿の娘』。人工の技術がどれほど進化しようとも、決して敵わぬ造形美が自然界には存在する。その代表的なひとつである”雪の結晶”が、数十年にわたる観察、研究の末、数百種にも及ぶ”雪華文”として世に生まれた……そんな時代の物語。

2023.06.29

まなぶ

羅(うすもの)や 〜小説の中の着物〜 瀬戸内寂聴著『いよよ華やぐ』「徒然雨夜話ーつれづれ、あめのよばなしー」第二十六夜

今宵の一冊
『オランダ宿の娘』

葉室麟著『オランダ宿の娘』早川書房

葉室麟著『オランダ宿の娘』早川書房

 「お二人には快気祝いと申しては何ですが、お見舞いのお礼に用意したものがあるのですよ」
 富貴の言葉に応じて女中が畳紙たとうを入れた乱れ箱を持ってきた。
 富貴がふた重ねの畳紙を開いた。薄藍と露草色の二枚の小袖だった。光沢のある絹地に小紋が散らしてある。
 小紋の柄は、六方に放射状に開いた不思議な花のような形が白く浮き出ていた。
 「これは、もしや――」 
小袖を手にしたるんが声をはずませた。
「気づきましたか。何年か前にお見せした雪を小紋にしてみたのです。旦那様から殿様におうかがいをたてていただいたところ、殿様もそれは面白いと仰せになられたとのことで」
 富貴がうれしそうに言った。
「きれい」
 美鶴は露草色の小袖をうっとりと見つめて、ため息をついた。富貴は薄藍の小袖を手に取って、るんにあてた。
「やはり、よく映りますね。よくお似合いだこと」

葉室麟著『オランダ宿の娘』早川書房

今宵の一冊は、葉室麟著『オランダ宿の娘』。

舞台は、江戸の日本橋に実在した江戸時代初期から約200年以上に亘りオランダのカピタン(商館長)が出府の際に利用した旅宿、阿蘭陀オランダ宿〈長崎屋〉。

江戸時代後期の鎖国下の日本において、この〈長崎屋〉は長崎の出島以外に唯一西欧文化と接点のあった場所です。

姿形、言語の違うオランダの人々や、新たな知識や価値観にあふれた世界の扉を開ける鍵となる学問と接する機会の多い〈長崎屋〉に生まれたるんと美鶴の姉妹。2人は、激動の幕末に向かう世の中の、時代の波に翻弄されながらも自らの果たすべき役割を模索します。

史実として有名でありながら、未だ謎が多くさまざまな推察がなされている『シーボルト事件』を軸としたミステリ仕立ての本作。そこに重要な横糸として織り込まれているのが、ちょうど同じ頃、古賀藩主土井利位により長年の研究結果が出版され、その美しさが江戸の町娘たちの間に一大ブームを巻き起こしたと言われる『雪華図説』にまつわるエピソードです。

その形状の美しさにより現代でも大変人気の高い“雪華文”ですが、当時、庶民だけでなく大奥や大名家など上流階級の女性たちの衣類として、また、男性にも印籠や調度品の柄としても大人気となり進物などにも利用されたようです。

ミステリ仕立てというこの物語の特性上、ここではあまり詳しく内容には触れませんが、歴史の授業で聞いたことのあるはずの実在の人物が(時代劇で有名な桜吹雪のあの御方も!)オールスター状態で次から次へと登場しますので、そういった意味でも楽しめるかと。

あらためて……歴史が動くときっていうのは、やはりそういうものなのだなと。

歴史上の転換期というか、そのタイミングには、各分野においてその流れを変えるような重要な役割を果たす人物が必ず同時期に生き、密接に絡み合う。歴史というものの、そのおもしろさに気付かされます。

今宵の一冊より
〜雪尽くし〜

雪の文様と聞いて思い浮かべるのは、作中で“六方に放射状に開いた不思議な花のような”と描写された“雪華文”でしょうか。それとも波状の円のところどころが欠けた“雪輪文”でしょうか。

ぼたん雪をあらわしたとも、こんもりと積もった雪を模した、あるいは溶けかけた雪の表現、とも言われる雪輪文。この文様も、まだ正確な形状が判明するはるか以前から六角形に類する形で表現されていました。

単体の文様として、また“雪輪取り”と呼ばれるように柄の区切り方として、現代でも大変好まれ着物や帯によく用いられます。

家紋などに代表される、研ぎ澄まされた美意識による日本のデザインの秀逸さは今更語ることでもないのですが、この“雪輪”という文様においても同じことを感じます。

シンプルな円形で愛らしさや柔らかさがありながら、完璧な円ではなくところどころ欠けている形が絶妙なバランスで。この不完全さが、破調の美としてより好ましく思えるのかもしれません。

シックな薄墨のぼかしに繊細な雪華が描かれた、柔らかな象牙色の付下げ。

雪華の中央にぽつりとあしらわれた鮮やかな鶸色(ひわいろ)の刺繍が、モダンで新鮮なアクセントになっています。

雪輪のシルエットに秋草が描かれた染め名古屋帯を合わせて、“雪尽くし”のコーディネートに。

深みのある艶やかな萌葱色の地色が印象的な染め名古屋帯。

格子の地紋がほどよくカジュアルな印象で、観劇や食事の席、お茶のお稽古などにも重宝します。

雪輪の薄藤色を拾って帯揚げに差し、帯地と同色のラインが効いた帯締めを。色の分量や柄の変化によって、色数は抑えつつ帯周りにリズム感を生む小物遣いです。

雪輪の中には萩と桔梗。お太鼓に描かれた桔梗とリンクする絵柄の扇子で、真夏の装いに、そっと初秋の気配を漂わせて。

目に涼を
〜夏の雪〜

雪は冬に降るものなので、オンタイムはいつ?と言われれば当然冬なのですが、盛夏の装いにあえて取り入れることで涼を感じさせる、そんな工夫はとても日本人らしい美意識だなと思います。

雪輪、雪華、雪持ち柳。

雪にまつわる文様も、さまざまなものがあります。

儚きものに美を見出す日本人らしい感性により、平安時代から、歌に詠まれたり雪景色を楽しむシーンが物語に描かれたりと愛でられてきた雪。

大雪は翌年の豊作を示す吉兆とされ、縁起の良い文様として室町時代には家紋や衣類、調度品にあしらわれるようになりました。

中でも“雪持ち◯◯”と呼ばれる草木に積もった雪の様子は、その情景のシンプルな美しさと合わせて、さまざまな意味を込めて描かれます。

雪中においても鮮やかな緑を保つ松や竹には永遠の意を。受け止めた雪の重みにも折れることのない柳や竹には、苦難に耐えるしなやかな強さを。風雪に晒されながらも冬を越え、春を迎えて新たな命を芽吹かせる再生、生命力の象徴でもあります。

また、南国の植物である芭蕉の葉に雪をあしらった“雪持ち芭蕉”は、まず有り得ない珍しい光景=奇跡的で貴重なものとして、吉祥文様とされます。

袷の素材に描かれた場合は、文様化された雪華や雪輪以上に、やはり雪の季節……12〜2月前半に締めたくなる季節限定感の強い柄ですが、夏素材にあしらわれることも。

盛夏の雪景色にはどこかファンタジックな物語性があり、見る人の目に涼を誘います。

雨縞のような縦のラインが織り出された紋紗に、霰と切金が染められた小紋。

大小の白が効いたリズミカルな柄付けが、シックな地色ながら涼やかに目に映ります。

合わせたのは軽やかな紗の八寸帯。鮮やかな若紫との色合わせが新鮮な印象ですが、ゆったりと揺れる枝垂れ柳の葉にも着物に通じる色が使われているので、しっくりとなじみますね。

クラシカルな意匠ながら、洋服の中に混じっても違和感なく、現代の街並みに合うモダンさも感じられる組み合わせ。

ワンピース感覚で楽しめるコーディネートです。

薄水色の絽の帯揚げには水玉の刺繍、そして帯留にはアンティークのグレーパール。

小物遣いで散らつく雪や雪の粒、雪解け水などのイメージを添えるのも、密やかな楽しみ。

今宵のもう一冊
『六花落々』

西條奈加著『六花落々』祥伝社文庫

西條奈加著『六花落々』祥伝社文庫

 わずかに頭を上げると、尚七の前に、ずいと何かがさし出された。
 一冊の書物だった。その中ほどをひらき、畳の上に広げてみせる。
「これは!」
 それまで感じていた窮屈な気おくれが、たちまちのうちに吹きとんだ。尚七は思わずにじり寄り、書物の上に覆いかぶさった。
「六花ではございませんか」
 そこには十二種の文様が描かれていた。梅に似た形のもの、松の葉を並べたようなもの、あるいは亀甲形もあるが、六枚の花弁をもつのはいずれも同じだった。
「さよう、雪の粒を仔細に写しとったものだ」
「やはり雪は、このように六花の形を成しているのですね」
 書物に張りつくほどに顔を寄せ、十二の模様をひとつひとつ丹念に見入った。

西條奈加著『六花落々』祥伝社文庫

今宵のもう一冊は、西條奈加著『六花落々(りっかふるふる)』。

言葉にして呟いたときに、唇からこぼれ落ちるような音の響きがなんとも魅力的なタイトルです。

自然界においては、どれほどに技術が進んでも人工的にこれを超える造形美は制作不可能であろうと思われるものが多々ありますが、そのなかでも“雪華”は代表格と言っても良いのではないでしょうか。

雪に魅せられ、その真実の形を追い求める主人公の尚七。

同じ志を持つ後の古賀藩主、「雪の殿様」と呼ばれた土井利位とその側近(後の家老)である鷹見忠常(ちなみにこの2人が、本稿冒頭の抜粋部分の“殿様”と“旦那様”です)とともに、オランダ渡りの蘭鏡(顕微鏡)を用いた20余年に亘る根気強い観察の末、約200種に及ぶ数を克明に写し取り、出版された『雪華図説』『続雪華図説』は大評判となります。

ご紹介したのは、その尚七が忠常の取り立てにより利位に初めて目通りするシーン。

本来ならば、藩主と直接言葉を交わすどころか、会うことすら叶わない“御目見得以下おめみえいか”という低い身分に生まれた尚七。武士とはいえ、家禄も低く、ほぼ農民に近いほどの生活状況です。

その尚七と、雲の上のような存在であるはずの利位を、その生涯を通じて深く結び合わせたものは、学問ー特に雪の結晶ーに対する飽くなき欲求と情熱でした。

芸術や音楽などの創造の分野とは違い、自然科学や天文学などいわゆる“理系”と言われる分野においてはあまり使われることのない形容かもしれませんが、目の前に現実として存在するものではない、形のないそれが本当にあるかどうかすら定かではない事象に対し、その存在を信じ、追求し、実現や解明に向けて地道に努力を重ね続けられる人は真の意味で“ロマンティスト”なのだろうなと思います。

世の中の大多数の人は目の前にある現実をどうにかするのに必死で、目に見えない、在るかどうかするらわからないものに対し情熱を抱き続けるなんてまずできません。

例えば空気や宇宙などといった、今の私たちにとっては“在る”ことが当たり前の知識も、その概念が存在しなかった時代には、普通はそれらについて考えることすらなく疑問を抱くこと自体がすでに理解不可能。「何故なに尚七」と二つ名を付けられた本作の尚七のように、きっと相当変人扱いもされたでしょう。

さまざまな分野において、そのときにはまだ存在しない、目に見えない事象に対して疑問を抱き、その真相を追い求め、長年にわたる弛まぬ努力の果てにその実在を解明し世に知らしめた、数々の愛すべき変人、もとい“ロマンティスト”の偉業が、歴史上には散りばめられている。

尚七、利位、忠常……彼らが雪華の研究を進めてくれたおかげで、今の私たちは美しい雪華文様を身にまとう幸せを味わわせてもらっている。そのことに、心から感謝したくなる。

そんな一冊です。

今宵の一冊より
〜雪華〜

さまざまな雪華の形や雪輪のシルエットが、大きくくっきりと染め抜かれた麻の名古屋帯。その質感とクールトーンの色遣いが、黒地でも暑苦しさを感じさせません。

コーディネートの主役にしたい存在感を持つ帯ですが、その土台に選んだのは、うっすらと浮かぶ市松と氷割れのようにも見える豹文が織り出された絹芭蕉の着物。

織ならではの緩やかなエッジと草木染めならではの落ち着いた色で、“豹柄(文)”という言葉から連想するアバンギャルドなイメージとはかなり印象が違い、モダンさと、どこか品の良ささえも感じさせる個性的な一枚です。

どことなく、溶けかけた雪のイメージにも通じるような。

透け感があまり強くないこんな着物は、盛夏だけでなく夏秋の単衣も通して活躍しそうです。

小物遣いで大人っぽく辛口な仕上がりに。

※小物はスタイリスト私物

氷を切り取ったかのような、エッジの効いた切子の帯留を添えて。

甘くなりがちな雪華も、こんな小物遣いで大人っぽく辛口な仕上がりに。

同時代を描いたこの2冊ー『オランダ宿の娘』と『六花落々』ーを続けて読むと、同じエピソードが違う視点で描かれていたりするので、時代背景が程良く捕足され、単体で読むのとはまた違った感想が湧いてきます。

学問に対する欲求というのは、それが得られることが当たり前ではなかった世においてはより切実に求めるものであったでしょうし、その機会が与えられたら死に物狂いで吸収したことでしょう。生きていく上で、身を立てる重要な手段となる場合もあったでしょうし。

鎖国下において“蘭学”というこれまでになかった知識や技術、価値観によって新しい世界を見せてくれる学問に触れ、その迸る知識欲のままに、それだけを見据えて生きていくことができた尚七。

もちろん学問における彼の能力が認められ引き立てられた結果ではあるのだけれど、「知りたい」という純粋な思いを貫ける場所や立場を与えられ、観察や研究に夢中になりそれに没入して。そして現代でいう“天然”と言いますか……素のままの、いわゆる“良い人”でい続けられた尚七は、とても幸せな人。

国や民を背負い、政の場に生きる利位や忠常には許されなかったその生き方を託された存在として尚七がいる。

凶作、飢饉と不穏な風が吹き、激動の幕末へと向かっていく時代の変わり目に、すぐ目の前にある生命の危機に対し役立つとは決して言えない、尚七のその知識欲や好奇心は、生きるか死ぬかの瀬戸際にいる人にとってはただの遊びにしか思えないかもしれない。

けれど、どの時代どの分野においても、そういった存在がなければすべての新たな発見や発展、進化はなかった。それは確かだと思うのです。

コロナ禍を経た今、あらためてそんなことを感じつつ……

さて次回、第二十八夜は。

その小さきものたちが、夏の終わりの夕暮れに吉報を届けてくれるかもしれません。

2021.12.31

まなぶ

御菓子司 塩芳軒 ”雪”に願いを 「和菓子のデザインから」vol.7

2022.07.21

まなぶ

夏の装いの醍醐味を感じる葉月 「月々の文様ばなし」vol.5

シェア

BACK NUMBERバックナンバー

LATEST最新記事

すべての記事

RANKINGランキング

  • デイリー
  • ウィークリー
  • マンスリー

HOT KEYWORDS注目のキーワード

CATEGORYカテゴリー

記事を共有する